第35話 ここから仕事だねぇ④



 卑弥呼の宿の修行道場。人気の無い片隅で半次と貴史は、小声で話し合っていた。

「貴史さん、準備が整いました。さて、始めるとしましょうか」

「一体、何から手をつけるのですか? 副代表の支配体制は軍隊並みにガッチリしているのですが」

 彼の心配を余所に、半次は懐中時計に目を落とし何かを待っている様だった。

「もうそろそろ、始まると思うんですけどねぇ」


「一体、どうなっているんだ! 高見さん! 高見さんは居ないか!」

 ドスドスと足音を立てて、水野が奥の間から道場へと入り込んで来た。呆然とする貴史へ、ニヤリと笑いかけた半次は水野の前に進み出た。

「これは副代表。どうなさいました?」

「どうしたもこうしたもありません! 先日増やして頂いた二十万円(一億二千万円)が煙のように消えてしまったのです」

 彼の手には電報の束が握られていた。株式市況など電話以外での最新情報であるらしい。


「先日、利益確定を行ったばかりですよね。売却益納税後の資金のお話でしょうか?」

 株式売却益は原則非課税だったが、二十万円の利益は大き過ぎた。この場合、少なくはない納税をしなければならない。半次の言葉に一瞬、水野は口籠る。恐らく強く促されていた、納税をしていなかったのだろう。

「税務の話は後回しにしましょう。それより消えた二十万円の話です!」

 強引に話を戻した彼は半次に詰め寄る。どうやら半次に相談せずに株式投資を始めたのであるが、あれよあれよという間に資金が消滅してしまったらしい。


 折しも昭和大恐慌の風が、吹き荒れている株式市場である。そんな事もあるだろうと半次は説明した。

「それにしても、二十万円ですよ! それが数日で消えてなくなるとは」

「大変大きな金額だと思います。しかし私が介在した訳でもありませんから、ご説明のしようがありません。元金を考えれば損は無いのですから、諦めて頂くしか……」


 半次の仕事が始まった。


 水野は自分の思う通りに投資を進めた様に考えているが、そうではない。彼が取引所だと思っている電話番号や口座は、半次が作った偽物だ。しかし何度も半次は、この電話や口座を使用して利益を彼に提供している。

 水野は、こっそり株式運用をしている心算だったろうが、彼の動きは半次に筒抜けだった。あっという間に、偽口座に振り込まれた二十万円は闇に消える。


 仲間から送金の連絡を受けていた彼は、この案件に水野自らが気付くのを待っていたのだ。

(大体予想通りの頃合いか。私が先回りして教えたら、内緒の投資に何か関係あると感づかれちまうからねぇ)

 顔色を赤くしたり、青くしたりで道場を歩き回る彼は、半次に詰め寄る。

「高見さん。もう一度、投資をお願いします。今度はケチな事は言わない。初めから五十万円(三億円)突っ込むぞ!」


「あの副代表。二十万円と言うのは一体、何の事ですか?」

 あまりの興奮状態の彼を、見かねた貴史が声を掛けた。ビクリと背筋を伸ばす水野。どうやら余りの興奮に彼の目には半次しか映っておらず、貴史の姿を見過ごしていたらしい。

(この案件の部外者で融通の効かない、生真面目な海軍窓口の青年に一部始終を聞かれてしまった……)


「い、いやいや大した事ではないのです。ちょっと高見さんをお借りして……」

「しかし大変な金額が、煙になったとか」

 半次を奥の間に引き摺り込もうとしていた水野は、身体付きに合わない高い声を挙げると貴文を睨みつける。

「本当に大したことではありませんから! 今、話したことは他言無用ですよ!」

 そう言うと彼は二人を置き去りにして、奥の間に逃げ込んで行った。



「一体全体、副代表はどうされたのでしょうか?」


 小首を傾げる貴史に、半次はニヤリと笑いかけた。

「それではこれまでの経過をお話ししましょうかねぇ」

 自分は海軍省から依頼されて卑弥呼の宿について、調べる仕事を行っていること。調査の結果、宿が有害であると海軍省に認証されたこと。現在は残存信者が残らないように宿を潰す作業を行なっていること、などを手早く説明した。

 勿論、自分が詐欺師であることは伏せたままである。


「そ、それでは光菱銀行にお勤めというのは……」

「勿論、嘘っぱちです」

「しかし、先物取引で素人では出来ないような、凄い利益を上げられたんですよね」

 半次は周りに人気が無いことを確認し、立てた人差し指を小さく振った。他言無用であると念を押してから口を開く。


「それが今回の仕事の肝でしてねぇ。水野に信頼される必要がありましたから、


 偽の書類を作成して、先物取引で利益を上げた態を作り上げたのである。その後、水野の投資したと勘違いしている資金は、そのまま海軍へと戻っていた。

「タイミング良くというか随分と早く、水野が欲をかいてくれて助かりました。幾ら海軍様とは言え、二十万円は大金ですからねぇ」

 ヘラヘラと笑う半次を見て、彼は何も言えず口をパクパクさせる。


「副代表さんの災難は始まったばかりです。これからエグイですよぉ」


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