第13話

「抜け駆けなんていい度胸してるじゃない」

「乙女の柔肌を見るなんてタダじゃ置けません」

「「地獄へ落ちろ」」


 息ぴったりの直截ちょくさいな殺意にホラーツはひたすらに縮こまっていた。


「まあまあ、二人とも落ち着いて。こいつだってわざと見たわけじゃないし、反省してるしその辺にしてあげてよ。リカルダちゃんから直に制裁も受けてるんだし。な、ホラーツ」

「うむ。しかし、不可抗力とはいえ、見てしまったのは事実だ。潔く罰を受けようと思う」

「おまえのそういうところ美徳だと思うけど、生きずらそうだよな」


 ホラーツを庇っていたアードリアンは息を吐いて肩をすくめた。

 先日の対スライム戦後にリカルダのシャツに透けた肌を見てしまった件は、見事な紅葉を顔に貼り付けたホラーツからあっさりと明るみに出た。リカルダは一発殴ったんだからチャラよ、お互いに忘れましょ、と終わった気でいるが、そうは問屋ノエルとヨンナが卸さない。二人でホラーツに制裁を加えることに決定した。リカルダはなにもそこまで、と早々にホラーツを許してしまうのが分かっているので、もちろん知らせていない。

 ノエルは人差し指をぴん! と立てて、ホラーツにのたまう。


「この学園で一番最初に作られた第一庭園は知ってるわよね? 通称『初代の庭』。そこにある初代学園長の石像に木札を置いておくわ。それを取って来なさい、もちろん真夜中にね! それが出来たら許してあげてもいいわ!」

「わ、わかった」

「あら~? ホラーツ君ってば、足が震えていますよ~? 怖いんですかぁ~? 怖いですよね~?」


 だって、とヨンナがノエルと一緒になって高笑いする。


「『初代の庭』は“出る”って有名ですもんね~?」


 『初代の庭』はコールズ学園の創設と共に作られた歴史の古い場所のひとつだ。初代学園長が作ったその庭は、初代学園学園長の石像が安置されてから、ぽつぽつと続くように石像が設置されていって、背の高い生垣も合わさって、まるで迷路のようになっている。夜になると人魂が飛び交い、話し声が聞こえると専らの噂だった。


「幽霊が怖いあんたが行けるかしらね~?」

「嫌ならやめてもいいんですよ~?」

「こ、怖いが、行く。我の贖罪の気持ちだからな」

「それなら精々頑張ることね」

「期待しないで待ってま~す」


 いつもは元気があり余って活発的なホラーツが、小さくなって震えている様が面白いらしい二人は笑い声を響かせて去って行った。


「おい、ホラーツ。あの庭はマジで出るって言うし、そんな無理しなくてもリカルダちゃんは許してくれるぞ?」

「うむ。リカルダは許してくれるだろうな。だから、これは我の自己満足だ。リカルダの友である二人に認められずして、リカルダの伴侶は名乗れぬ」

「はあ……。本当、おまえのそーゆーところはすごいなって思う反面、マジ生きずらそう」


 アードリアンのもっと狡賢く生きればいいのに、という呆れとマジで無理だったら戻って来い、戦略的撤退は恥じゃないぞ、というアドバイスを胸に皆が寝静まった真夜中にホラーツは寮を抜け出した。


 時は少し遡り、寝支度をすっかり整えたリカルダはベッドのふちに座りながら、今日は妙におとなしかった三人の様子を思い返していた。言わずもがなホラーツ、ノエル、ヨンナの三人である。

 いつもなら三人のうちの誰かリカルダに必要以上に近付いてきては残りの二人が間に入ってケンカに発展するのが常なのだが、今日はそれが一切なかった。アードリアンはその理由を知っているのか、微妙な笑顔を浮かべていたし、とリカルダは己の指に銀髪を絡めて思考にふける。

 あの二人ジゼッラとインニェルが妙におとなしい時はぜったい何か企んでるんだよなあ、と頭痛を耐えているようなスピリドンの声が脳内に響く。そうなのよねえ、とリカルダも深くため息を吐いた。

 学園にいるうちに問いただしておけばよかった、とリカルダはベッドに横たわった。しかし今はもう夜中で、これから学園に乗り込むわけにもいかない。

 明日の朝いちばんにアードリアンに聞こう、と決めてリカルダは布団をかぶった。



「ううう、人魂は明かり……ただの明かり……」



 人魂が行き交う初代の庭をホラーツはびくぶる震えながら、それでも進んでいた。何かが敵として出てくるならせめて物理攻撃の効くやつが出てきますように、と祈りながら。人魂がただの明かりではないことなど百も承知だが、それを意識してしまえば進めなくなってしまうため、極力考えないように。

 前世も苦手だった魔力放出が今世でも苦手なので、幽霊嫌いも持ちこしてしまった。情けない、と思うも、震えは一向に止まらない。夜目が利くのに、否、だからこそ余計に夜の庭園が怖くて堪らなかった。前世で体を乗っ取られて以来、実体のない相手はどうしても苦手になのだ。

 初代学園長の石像はどこだ、と涙目で進んで行く先々で見つけた石像の名前を確認しては肩を落とし、また恐る恐る次の石像を目指して歩いて行く。


「また違う……」


 いったい何体の石像を確認しただろうか。次こそは、と曲がった生垣の先から出てきた人物とぶつかりそうになり、ホラーツは持ち前の運動神経を駆使してその人物を避けた。そしてパニックになる。こんな夜中に、こんなところにいる存在など、幽霊に決まっているからだ。


「のわー――――! 悪霊退散!」

「賑やかですね」


 腰を抜かして座り込んだホラーツの前に立っていたのは、少しだけ眉をしかめてこちらを見ているリカルダだった。

 夜風になびく銀の髪も、晴天の青い瞳も、ホラーツの愛してやまないリカルダそのものだ。


「り、リカルダ……?」

「こんな夜中に何をしているの? 子どもはとっくに寝ている時間でしょう。さっさと寮に帰りなさいな」


 両手を腰に当ててかわいらしく怒るリカルダに、ホラーツは素直に謝った。しょぼくれて、しおしおとしてしまったが、ホラーツはだが、それでも帰るわけにはいかないのだ、と立ち上がる。かくかくしかじか、とここにいる理由を話した。


「律儀ですね。見張られているわけでもないのでしょう? こんな真夜中に来なくても朝早く取りに来たっていいでしょうに」


 呆れた風に言われて、ホラーツの目から鱗が落ちた。


「それもそうだな。……しかし、それではケジメにならん。これはリカルダに対する贖罪なのだから、やり遂げねばならん」

「本人が要求したならともかく、いつ要求されました?」

「う、うぐ。それは……されていないが……」


 ノエルとヨンナに言われて、自分がやる、と決めただけだ。リカルダからは何も言われていない。改めてその事実を突きつけられて、ホラーツは俯いた。


「ほら、分かったのならお帰りなさい。朝までぐっすりと眠るのですよ、睡眠は大事ですからね」

「む、い、いや。一度約束したのだ、取りに行く」


 呆れが八割、残りの二割が感心の割合で彼女が笑う。


「本当に律儀ですね。仕方ありません、その石像まで案内しましょう」

「い、いいのか? 助かった……。ここは迷路のようで自分が今どこにいるかも見当がつかなくなっていたのだ」

「こちらです。ついて来てください」

「ま、待ってくれ!」


 ホラーツを待つ気がないのか、彼女はさっさと行ってしまう。ホラーツは慌てて闇の中に軌跡を描く銀色を追いかけた。右へ、左へ、また右へ、と曲がって行くうちに、いつの間にやら霧まで出てきた。いつまた幽霊が出てきてもおかしくないぞ、とホラーツは早鐘を打つ心臓を宥めようとしたが、まったくの無駄だった。人魂の明かりではまったく安心できず、早く石像に着いてくれ、と滲みそうになる視界で前を行く人影を見失わないよう必死だった。

 ようやくその背中が止まり、開けた場所に出たことに気づく。見回せば古びて見えるが、荘厳な石像が広場の中心に安置されていた。


「これが初代学園長の石像です」

「助かった! ありがとう!!」


 石像の足元を探せばお目当ての木札があって、見れば人を小馬鹿にしたような表情が描かれていた。しかし今はそんなことなどどうでも良く、ホラーツは急いでそれを懐にしまうと、ここまで案内してくれた彼女に向き直る。


「ここまで案内をしてもらった上にさらに世話をかけて申し訳ないのだが、出口まで連れて行ってもらないだろうか……」

「あら」


 彼女は口元に手を当てて典雅てんがな仕草で微笑んだ。それを見てホラーツはじりり、と後退る。


「あなた、身体能力が高いのでしょう? これくらいの生垣なんて簡単に跳び越せるでしょうに」


 彼女の言葉に、雷に打たれたかの如く衝撃を受けたホラーツは恥じ入って顔を朱に染めた。


「その通りだ、ご指摘感謝する」

「植木は極力傷つけないでくださいね。寮の方向はあちらですよ」

「は、はい」


 ありがとうございました、と魔族時代の礼を彼女にとって、気恥ずかしさを誤魔化すようにホラーツは足早に助走をつけて大きく跳躍した。空中で案内してくれた彼女に手を振る。


「我を怖がらせぬようにリカルダの姿をとってくださり感謝する!」


 でもそれはそれで怖かった! とホラーツの姿は霧と生垣の向こうへ消えていった。それを見送った彼女はするり、と元の自分の姿へ戻る。古めかしい意匠のドレスに身を包んだ淑女が霧の中に佇んでいた。


「やっぱりバレっちゃってました」

「そりゃ、そうでしょう。貴女の演技はあまりうまいとはいえませんし?」

「もう。あなたはいつも意地悪ばかり言いますね。かわいい私の小烏こがらすさん?」

「俺よりちょっと年上で背も高いからって、いつまでも子ども扱いはやめてくださいと言ってるでしょう」


 死んでから何百年経ってると思ってるんです、と淑女の傍らに立つ男は言う。お互いに顔を見合わせ笑った二人の姿は、霧に融けるように薄れていった。初代学園長の石像は消えた淑女によく似ていた。


 翌日、ホラーツが取ってきた木札を渡されたノエルは、つまらなそうに鼻を鳴らした。


「本当に取ってきたのね。てっきり怖くて取りに行けませんでした、って土下座する間抜けな姿が見れると思ったのに」

「一度約束したのだから、怖くたって行くぞ。約束は必ず果たす」

「チッ」


 舌打ちしたヨンナに引きながらアードリアンが現れた。その後ろにはリカルダの姿もある。


「女子のアイドルやってるヨンナ先輩とは思えぬガラの悪さ」

「なにか言ったかな、アードリアン君」

「イイエナニモ」


 朝一でアードリアンに理由を聞き出したリカルダは呆れるしかなかった。


「私が知らない間になにをやってるのよ……」

「ほ、本物のリカルダ……!」


 リカルダの姿を認めたとたん、ホラーツが泣き出した。大粒の涙を流しながら男泣きをするホラーツに他の四人は困惑した。


「やはり本物のほうがいっそう輝いて見える……!!」

「いきなりどうしたの、本物の私ってなに。偽物がいたの?」

「いた……」


 ホラーツが洟をすする。あんまりにも哀れだったので、リカルダはハンカチを貸してやった。


「そう……いたの……」

「善良そうな幽霊だったが、いつ、また体を乗っ取られたらと思うと、怖かった……」


 前世組は視線を交わし合った。乗っ取られたことがあったのか、それは怖い。

 今では稀な事例だが、前世いぜんでは幽霊ゴースト系に身体を乗っ取られるのはままあった。抗魔力が高ければ簡単には乗っ取られたりはしないが、それでも自分以外の何かが自分の中に入ってくるあの感触は、忘れたくても忘れられるものではない。幽霊系に出会ったら即魔力放出で吹き飛ばすのが鉄則だった。

 自分が乗っ取られて仲間を傷つけるのも怖いし、仲間が乗っ取られて自分に向かってくるのも大層怖かった。スピリドンたちは幸い、乗っ取られた仲間を手に掛けることなどなかったが、最悪の場合はそうしなくてはならなかったのだ。


「嫌なら嫌って言っていいわよ、二人とも理由を話せば分かってくれるから。ね、二人とも」

「ええ、悪かったわ。そこまで深い傷だと思ってなくて……。ごめんなさい」

「もちろんです。乗っ取られるのは怖いですよね。すみませんでした、肝試しは二度としません。お守り、いりますか?」

「あ、ありがとう……」


 いきなりホラーツに親切になったノエルとヨンナに首を傾げたアードリアンだったが、仲良きことは美しきかな、と気にしないことにした。

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