第10話 命の泉に縋りし者

「そろそろお別れだ。泉の守護者」

「待っ――」

「止めて!」


 刀身を振り下ろす直前、小柄なシルエットが全力でダミアンに抱き付いた。僅かに攻撃の軌道が逸れ、刀身はアレックスではなく地面を削った。


「マイラ」


 必死に体に追い縋るマイラを、ダミアンは怪我をさせないように冷静に引き剥がした。マイラが物陰からこちらの様子を伺っていたことはダミアンも気づいていた。まさかアレックスが連れて来たとは思えない。悪い予感でもして、勝手に後を追って来たのだろう。


「この人を殺さないで!」

「なぜ庇う? 物陰から一部始終を見ていたのなら、こいつの本性も分かっているだろう」


「……今とても混乱しています。だけど、例え本当は悪い人だとしても、アレックス様は私の危機を救ってくれた恩人です。泉のことだって悪い人達から守ってくれました」


「奴にとって泉は、自らの殺人嗜好さつじんしこうを叶えるための舞台に過ぎない。奴は奇跡にすがろうとした多くの罪なき人々を殺してきた」

「……でも」


 頭では理解していても感情でアレックスを悪と断じきれないのは若さ故だろうか。少女にとってそれはきっと初恋。良くも悪くもマイラという少女は純粋が過ぎる。


「……命の泉よ。僕の傷を癒せ、あいつに雪辱する力を僕に寄越せ」


 ダミアンがマイラを諭している隙に、アレックスは負傷をおして泉まで死に物狂いでっていった。泉の縁まで辿り着き、健在な左手で泉の水を掬う。


 命の泉はあらゆる病や傷を癒すと伝承されている。奇跡を信じて泉を訪れた者達の希望を無残に打ち砕いてきた張本人が今まさに、命の泉の奇跡に縋ろうとしていた。


「愚かな」


 ダミアンが哀れむと同時に、アレックスは左手ですくった水を一気に飲み干した。


「待っていろ魔剣士狩り……必ずお前の首……を――がはっ……な、何だ……あうあああ――」

「アレックス様?」


 泉の水を摂取したアレックスが突然苦しみだし、体が激しく痙攣けいれんした。血走った目を見開き、しまいには口から泡を吹き出した。


「アレックス様! アレックス様!」


 慌ててマイラが駆け寄った時には、アレックスは苦悶の表情で絶命していた。体には微かに痙攣が残り、血走った双眸そうぼうは虚空を見上げたまま一切の反応を示さない。


「アレックス様! アレックス様!」

「止めろ。もう死んでいる」


 遠目でもそのことに疑い用はない。アレックスが絶命したのを見届け、ダミアンは使い手を失ったメガロプテラの柄目掛けて乱時雨みだれしぐれで強烈に刺突。内部に埋め込まれていた魔剣の源である魔石は粉砕され、魔剣としての体裁を失った。


「……泉の水を飲んだのにどうして」


「伝承の効能なんてそもそも存在しない。それどころかその正体は、致死性の毒が沁み渡った危険な水源だ。これ程の即効性とは思っていなかったがな」


 泉の不思議な力については端から信用していなかったが、正体がただの泉ではなく、致死性の毒水だったというのは想像の上だ。


 威力はアレックスの末路を見るまで把握出来なかったが、泉に毒性がある可能性自体には思い至っていた。泉の周辺には野生動物が近づかない実情。近くの集落の人間が神聖視しているからといって、人間側の事情など野生の世界には関係ない。にも関わらず野生動物が水源である泉に近づかないとすればそれは、本能的に危険な場所であることを理解しているからに他ならない。地水の問題かあるいは毒性のある水生植物の仕業か。いずれにせよ、泉には古くから、あるいは誕生時点から強い毒性があったと推察される。


「そんなの嘘です。ここは神聖な泉ですよ? 毒性なんてあるはずが――」


 自分の体で真実を確かめようと、マイラは体を震わせながら泉の水を両手で掬った。


「馬鹿な真似は止せ」


 ダミアンはマイラの手から泉の水をはたき落とすと、我に返ったマイラはその場にへたり込んでしまった。視界に写り込んだアレックスの苦悶の死相に確かな死の恐怖を感じたのだろう。


「家まで送ろう」

「触らないで!」


 差し出された手をマイラは感情的に叩くと、ひたすらにアレックスの死体に泣き縋った。


 今夜の出来事は一人の少女にとってあまりにも衝撃的で、感情は容量オーバーであろう。


 冷静になる余裕は持てない。ましてや善悪は別として、思い慕っていた男性の死のきっかけを作った男の手を取るなど感情が許すまい。


「……後追いなんて、早まった真似はしないことだ」


 混乱状態にあるマイラにその言葉が届いたかどうかは定かでないが、今のダミアンには出来ることは、彼女の身を案じる言葉を残し、この場を立ち去ることだけであった。


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