第19話 首都攻防戦①

 ――首都『ラクシャ』はナユタ国における政治・経済・文化の中心であり、都市人口4千万人を有する大都市である。これは、総人口の4割を占めていることになる。


 もしナユタ国に侵攻するならば、ラクシャを陥落させることが最優先であるが――と同時に最大の難関でもある。というのも、シン・ナガト博士が考案、開発した『防御壁アダマント』が首都圏を覆っている。これは、空爆の一切を防ぐことに特化した軍事兵器だ。この技術は世界で唯一ナユタ国が所有するものであり、ライバル国に対する大きなアドバンテージとなっていた。



◇ ◇ ◇ ◇



 イブキが上空で戦闘機とドッグファイトを繰り広げている頃、首都ラクシャのとある細い路地を裸足の男が息を切らせて走っていた。


「はあっ! はあっ! はあっ!」


 その男はスミス・ウェールズだった。

 

 得体の知れない奴らに捕まり、長い間拘束されていたが、ようやく逃げ出すことができたのだ。

 

 長い間といっても、1週間ぐらいだろうか? ずっと目隠しをされていたので、時間感覚はあやふやだ。


「はあっ! はあっ! だっ、誰かに助けを!」


 後ろ手に縛られ、足首も縛られたまま、ずっと拘束されていたので、体中の関節が悲鳴をあげていた。だが、この千載一遇のチャンスを逃せば自分は殺される――スミスは悲鳴をあげる体へ鞭を打つように、必死に前へ足を出し続けた。


「どこに行きやがった!」

「さっき、この路地に入るのを見たぞ!」

「絶対に逃すな!」


 3人の男達の怒号が聞こえた。


 もう気がついたのか! スミスは落胆しながらも、急いで周りを見渡すと、さらに奥へと続く路地を見つけた。

 

 男達の声が近づいてくる。


 スミスは仕方なく、奥の路地へ急いで走った。


「あっ!」


 奥の路地を曲がったが、不運なことに行き止まりだった。引き返そうと、来た道を振り返るが、壁に写った男達の影がこちらに向かってきている。


「だめだ……見つかる」


 ほんのひと時の自由だったな、とスミスは嘆息した。捕まれば殴られ、拷問も受けるだろう。


「くそっ! なんでこんなことに!」


 自由を求めてナユタ国までやってきて、ようやく平穏な日々を手に入れたと思ったのに……。

 スミスは涙を浮かべ、妻のミコト、娘のイズミを想う。


「ごめんよ……。まだ帰れそうにない」


 男達の足音が、曲がり角の手前までやってきた。スミスは諦めて、男達の怒号が飛んで来るのを待っていると……。


「? 待て! 通信が入った」

「ん! なんだ?」


 男達は立ち止まり、通信の内容を確かめている。


「ちっ! 南の通りでウェールズ発見かよ!」

「まるっきり反対方向じゃねえか!」


 男達は何やら文句を言いながら、来た道を引き返していった。


「助かった……のか……?」


 何が起きたのか分からず、しばし茫然としていたが、とりあえず危機が去ったことに安堵した。そして、自分が大量の汗をかいている事に気がついた。スミスは、額に流れる汗を手で拭っていると――。


「ハンカチ使います?」


「!!」


 スミスは後ろを振り向いた。


 そこには、白いハンカチを差し出した男が1人立っていた。


「ハンカチ使います?」

「ひっ!」


 その男は、黒髪のロングヘアをヘアゴムで止め、褐色の肌をしていた。目立つのは全身真っ白のスーツだが、なにより惹きつけられたのは、無表情に青く光る目だった。


 スミスは恐怖で声が出なかった。


 いつの間に現れた?


 行き止まりの路地なのに、どこからやってきた?


 こいつは敵か? 味方か?


「ハンカチ……使います?」

「ひ――!!」


 スミスはもう逃げるしかなかった。


 男に背を向け、走り出したその瞬間――スミスの体は宙を舞った。


 両手、両足が凄まじい勢いで引っ張られ、スミスの視界は一瞬で空を捉えた。


「あぁ! ぐぅぅ!」


 スミスは上空へ飛ばされた。突然の出来事に呼吸ができず、意識が飛びそうになる。

 なんとか意識を保とうとするが、それも限界に達しようとしたその時――――スミスは空中で静止していた。


「くはぁ! はあ! はあ!」


 荒い呼吸をしながら、自分の置かれている状況に混乱する。


 なぜ? どうやって宙に浮いてる? さっきの男がやったのか?


「ハンカチ使います?」

「うあっ!」


 スミスの目の前に、さっきの男がまた現れた。当然、男も宙に浮いている。


 恐怖、混乱、不安……。様々な感情が入り乱れ、スミスはただ応じるしかなかった。


「はっ、……はい。つっ、使います」


 男は笑みを浮かべ、ハンカチを差し出してきた。スミスはそのハンカチに触れた瞬間ーー。


「――――ッ!」


 一瞬でハンカチがスミスを覆うぐらいに大きく広がり、巻きついていく。


「うっ! ああああ! ぐっ!」


 巻きついたハンカチ? は、スミスの顔まで覆い、鼻の部分だけが残った。


「…………」


 意識を失ったのか、スミスはぴくりとも動かなくなった。


 スミスの様子を確認した男は、スミスを連れて瞬時に地上へ降下した。


「…………」


 男は何かに気づいたのか、後ろを振り返る。


「いたんですね。社長さん……」


 男が振り返ったその先は、ぽっかりと口の開いたトンネルのように、出口の見えない深遠の暗闇が広がっていた。

 その暗闇の中から、1人の男が姿を現した。


「いやぁ〜、ごめんね! ンドゥクちゃん!」


 暗闇とは対照的に、陽気な男が現れた。髪型は黒髪のオールバックで、真っ黒なサングラスを掛け、口には無精髭を生やしていた。さらに、がっしりとした体躯に全身黒のスーツを身に纏った男……ギルドの社長だった。

 顔の前に両手を合わせ、ごめんと意思表示すると、ンドゥクと呼ばれた男は無表情で返す。


「……あなたの部下がちゃんと見張っていれば、私が出向くことはなかったのですがね? ギルドに所属する者は素人の集まりですか?」


「あれは俺の部下じゃないよ。日雇い労働者みたいなもんだ。使い勝手がいいから、利用してるだけさ」


 社長は、懐から出した扇子を小気味良く仰ぎながら、スミスを見下ろした。


「そいで? こいつは生きてんの?」


 扇子でスミスを仰ぎながら、様子を伺っている。


「殺したいなら、いつでも殺しますが?」


 ンドゥクの返答に、社長は扇子で口元を隠した。


「だめだよ殺しちゃ〜。こいつには、まだやってもらう事があるんだから〜」


 その口調から、口元は狡猾な笑みを浮かべているようだ。


「この首都ラクシャで、最高のエンターテイメントショーを披露してもらうんだから!」


 社長は両手を大きく広げ、ラクシャの空を見上げた。その様子を見ていたンドゥクは、ふんっと鼻を鳴らした。


「……さて、スミスを連れて俺に付いてきてくれ。最後の仕上げだ!」


 社長はンドゥクを手招きすると、再び暗闇のトンネルが現れた。


「そういえば、あいつらはどうした?」


 突然思い出したかのように、社長はンドゥクに問いかけた。


「……ええ。滞りなく」


「さすがだね! これからも期待してるよ!」


 社長はサムズアップをしてニカッと笑い、白い歯を見せた。


 ンドゥクは無表情のまま、「早くいきましょう」とだけ呟いて、社長の横を通り過ぎた。


「つれないなぁ〜、ンドゥクちゃんは!」


 扇子を仰ぎながら社長はンドゥクの後を歩き、暗闇の中へと消えていった。その暗闇は収縮し、彼らがいた空間から消滅した。



◇ ◇ ◇



 細く曲がりくねった路地を、1人の男がおぼつかない足取りでフラフラと歩いてた。


「ちょっと飲みすぎたかな〜?」


 時刻は夕刻を回っており、辺りはすっかり暗くなっていた。足元が見えにくい中、男が歩いてると、ピシャッ! と液体のようなものを踏んだ。


「ん? 犬のションベンでも踏んじまったか?」


 男は不快な顔で足元を見ると、少し粘着質な液体だと気づく。


「なんだ〜?」


 液体を踏んだ側の足を地面に擦りつけながら、液体の正体を確認するために覗きこむ。


「なんだ? このネバネバしたのは?」


 男はおもむろに前方を見た。


「ひっ! ひやああああ――!!」


 男の眼前には、3人の男が槍のような物で串刺しにされていた。しかも、その槍は地面から突き出て、男達を突き上げていた。


「うっ! おっ、おえ――!!」


 男は嘔吐した。


 3人の男達は、槍で突き刺されただけではなく、四肢を切断され、地面にそのまま放置されていたのだ。おそらく地面に流れた血は、四肢から流れ出たものだろう。


 男は嘔吐を繰り返しながら、恐怖で震え上がった。そして、一刻も早くこの場を立ち去ろうとしたその時、何かに引っ張られる感覚がした。


 辺りを見ると男だけではなく、3人の男達の死体、流れ出た血も一緒に引っ張られていた。いや、吸い込まれるのが正しいだろう。

 まるで水が排水口に吸い込まれるように、渦を巻いて死体と血が何かに吸い込まれていった。男はとにかく『死にたくない!』と地面を必死に掴むが、それも虚しく終着点へと近づいていく。やがて吸い込まれる勢いが増すと、地面から手が離れ、渦を巻きながら男は最後の時を迎える。

 声も発することが出来なくなった男は、何かを叫びたかったのだろうか……。最後に唾を飲み込み、吐いた胃液の酸味を感じながら……消滅した。


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