第7話
漆黒の闇の底から忍び寄る声が囁いた。
神社の鳥居を潜る前に低く嗄れた声ははっきりと聞こえる言葉で”知識の権化”と流星に言ったのだ。
その声に嫌悪感を感じながらも抗うことができない圧倒的な威圧感がある。
「小僧、お前は人間として知らなくてもいいことを色々と知っているようだが……知識欲というのはな、人間の欲求の中でも最も汚らわしいものだということを知っているか?」
老人のような枯れた低い声が問い掛けているが、恐怖のどん底に落とされた流星にはそれに答えるだけの気力は失せていた。
暫くの沈黙の後、再び囁きが始まった。
「渇望……無知であるがために知らないことが許せない……無知ゆえに知らないことが恐ろしい……すなわち無知とは罪であると自分自身の知識を卑下する」
声の主が流星に囁きかける言葉の意図が掴めぬまま、恐怖に耐えるしかなかった。
流星は恐怖のあまり気を失いそうになるのをひたすらに耐えているが、これ以上何かがあればどうなるか分からないほど追い込まれている。
「お前たち人間は最も汚れたおぞましい存在だ。小僧、お前も自分よりも知識のない無知で愚かな人間を見下してはいないか?……」
「俺は……そんなこと……」
流星は否定しようとしたが、必死さが声を震わせ言葉が上手く出なかった。
「お前たちみたいな化け物を饕餮というのだよ。何でも知識という名の食べ物を貪る大食大欲にまみれた人間だ。その欲の深さでお前たちはやがて最も醜くそして汚らわしい怪物になるのだよ……」
「饕餮!? 怪物になる!?」
「そうだ……お前たち人間は心の在り様ひとつで聖人にも悪鬼や怪物にだってなるのだ……」
言葉の意味が理解できず困惑することしかできずにいる流星に声の主が言ったのだった。
人間は邪な魂の持ち主であり、それが肥大化して己の魂を喰い尽くした後、化け物へと転じてしまう。
流星に囁きかける声の主もまた化け物であり、無垢な魂を喰らおうとしていた。
「か、怪物でも……心の何処かに人間であった頃の心を残しているのなら……」
流星は必死に言葉を絞り出す。
「人を喰らってその人の知識を貪るような強い力を持った怪物……強欲な人間のなれの果てである饕餮がたとえ僅かにでも人間の心を残しているとどうなのだ?」
不快な声が興味を示してきた。
「僅かであっても人間であった頃の心を残しているものが人間だと思います! たとえそれが人ではない饕餮であっても……姿、形が変わり果ててそれが化け物となったとしてもです! 俺はそう信じます!」
流星は今出来る限りのことを行った。
これが、声の主に届くかは分からない。
まだ人間としてありたいという想いが声の主にあることを祈るばかりである。
「小僧、それは理想だな。お前ら人間のエゴというものだよ……」
夜風がそっと頬を撫でるように声の主は囁きかけた。
そして、全身を力で捩じ伏せるような圧倒的な威圧感はいつの間にか消え失せていた。
強張っていた緊張の糸が緩み一気に脱力感が全身に押し寄せてきた。
突然のことで何が起きたのかさえ理解できずいると、いつの間にかいなくなっていた仔猫のタケルが震えながら叢から出てきた。
仔猫は無言のままの流星に抱き抱えられ鳥居へ内側へと駆け込んだのだった。
#ファンタジー
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