第三章 幼い婚約者

重大な話

 シーラのモアラ家での日々が始まった。

 寝不足で起きれなかった朝、シーラはルナに叩き起こされるはめになった。

 きっちりした一日だった。

 ウーレンの歴史だけではなく、魔の島全般の歴史・今の社会情勢の把握。数字の知識・文字の知識等等。その合間に、剣・弓・槍と、武芸の時間。

 朝から夕方までびっしりだ。遊ぶ時間も休憩時間もほとんどない。翌日も、その翌日も、うんざりするほどの、勉強が待っていた。

 ぐったりしそうな勉強の合間に、シーラは打ち明けられた秘密のことを考えた。

(あの話は本当だったのかしら? あまりにも何もないわ)

 まさか、はめられた? などと、シーラは疑いだした。

 それくらい、何事もなかったのだ。

 だが、夜のたびに悪夢にうなされる日々が続いた。


(どうしたの? なにが辛いの? 教えてちょうだい)

(口にすれば、少しは楽になれるわよ?)

(ねえ、シーラ? 教えてちょうだい)


「うーん、うーん……」

 寝付けないし、息苦しい。

 しかも、尋問されているようで……。

 シーラは、思いっきり夢の中で、聞いた話を吐き出してしまいたかった。

 でも、口に当てられたデューンの手を思い出しては、口をつぐんだ。

 夢にうなされても、秘密を叫んではいけない。

 神聖な誓いを立ててしまったのだから――。


 そして。


 デューンの話通り、数日後には、ウーレン王の死が公表された。

 あまりにも突然の、若すぎる英雄の死――ウーレン国内の動揺は、計り知れなかった。

 王を殺した犯人は、ウーレンにはいない毒蛇だという話だが、誰もそれを信じる者はいなかった。

 確かに蛇かも知れないが……それを放した暗殺者がいるはずだ、と噂が都で広がっていた。

 都・ジェスカヤの混乱は、モアラ家のある村にも伝わってきた。

 モアラ家も重たい空気に包まれたが、逆に人は増えていた。多くの兵士たちが、屋敷を守り始めたのだ。

「モアラの村の住民たちよ。いざというときは、このように衛兵として、ここを守る事になっているの」

 ルナの説明に、シーラは緊張した。

 つまり……今は、いざという時なのだ。


 あの夜以来、デューンには会っていなかった。

 彼は、都の王宮にいて、モアラ家には戻って来ていないらしい。まだ成人していない彼には、葬儀の準備など、おもだった仕事がないはずなのだが。

(でも、あの秘密を知っていたってことは……)

 おそらく諜報。子供であることを生かして影の仕事をしているのだろう。

 ウーレンには、間者と呼ばれる仕事をこなす者がたくさんいる。諜報活動や伝書の扱い、時には暗殺をも行う影の存在だ。

 怪しまれないよう、女・子供を使う場合もあるという。十五歳までは公の席に滅多にでない子供たちは、王族・貴族であっても、この仕事に身を置く事があるのだ。

 シーラはデューンが心配になった。

 ――そりゃあ、確かに、私が心配しても何の解決にもならないけど……。

 一心不乱に剣の練習をしていたデューンの姿が浮かんだ。



 デューンとリュートが慌ただしく戻って来たのは、王の葬儀の前々日のことだった。

「今まで顔を見せなかった無礼を詫びる」

 リュートは、微笑みさえ浮かべて、シーラと挨拶をかわした。だが、微笑む状況ではないことが、後ろに控えていたデューンの顔色からも充分にわかった。

「お父様、どうぞよろしくお願いいたします」

 この際、婚約なんて認めないなどと、わめいている場合ではない。

「この家の娘として、供に歩んで行きたいと思います」

 すっとお辞儀すると、リュートは満足そうにうなずいた。

「家族が揃ったところで、今後のことだが」

 目配せで、ルナをはじめ、召使いたちが部屋を出て行った。


「ウーレン王の葬儀は、盛大なものになる。内外から、たくさんの弔問客がくる」

 まずは、元第一・第二リューマ族長国の指導者たち。

 彼らは、犯人だという人物の首を持って、ウーレンに昨日着いたという。監禁なみの厳重な警備の下、王宮に滞在している。

「王の暗殺は、個人的な恨みによるものであり、今度ともウーレンの支配に甘んじるという姿勢だ。だが、本当に真犯人の首かどうかは、実に怪しい」

 ぞっとする話だった。

「宰相のモア様は、この話を受けた。王亡き後は、かの地での争いは極力避けたいからだ。話し合いで折り合いがつくなら、その方が有利と見た」

 デイオリアの顔が、少し曇った。

 シーラは、話の意味が飲み込めず、きょとんとしていた。デューンが、小声で説明してくれた。

「……つまり、いずれウーレンは東の支配を捨てるということだ」

「そ、それって……つまり降参?」

「し、静かに。次の話がある」

 子供たちのやり取りが終わるのを待って、リュートは話を続けた。

「エーデム王・セリス様が、ジェスカヤに来ることになる。当日、お着きになるはずだ」

「えーーー!」

 思わずシーラは声をあげた。すぐに口を自分で抑えた。

 エーデム王といえば、ウーレン王妃の兄にあたる。だが、彼は一度たりとも、ウーレンの地を訪れたことはなかった。

 ウーレンとエーデムの和平は、王家の婚姻でなされたものだ。だが、その以前は、戦いの歴史を繰り返していた。国民同士の確執はすぐにほどけるものではない。

 危険ある地に、用心深いエーデム王は足を踏み入れることがない。

 今回の葬儀への参列は、実に特別なことである。

「モア様とセリス様は、密に連絡を取り合っている。しかも、エーデム王独自の情報網は、ウーレンの間者たちよりも正確で早い。今回の事件も、今後起きるだろう事件も、すべてセリス様はお見通しだ」

「では……何かあるのですね?」

 デイオリアが言った。リュートはうなずいた。

「葬儀の後、セリス様は王妃をエーデムに連れ帰ることになる」

「え、えええ!」

 再びシーラは叫んでしまった。

「声が高い」

 リュートが低い声で注意した。

「これから話すのは、最も大事なことだ」

 シーラは大きく深呼吸した。

 もう次に変な声をあげたら、この場から追い出されてしまうだろう。

 膝の上でぐっと手を握ったら……。その手の上に、デューンが手を重ねてきた。

 ちらっとデューンの顔を見たが、彼はまっすぐに父親を見つめていた。

「リナ様の決起は、葬儀の翌朝だ」

 決起?

 シーラは、しばらく考えた。だが、デューンの説明を待つ事なく、自分で答えを見いだした。

 ――つまり、反乱を起こすってことじゃないの!

 声を出しそうになったが、デューンの手が強くシーラの手を握り続け、どうにか留まる事ができた。


 リナ・ウーレン――。

 規律に厳しいウーレン族の中にあって【痴れ者】と言われたベルラント皇子の正妻の娘である。

 ベルラント皇子は素行の悪さから、王家を追放され、ウーレンの名を名乗る事さえ許されなかった。しかし、リナは、幼い頃からジェスカ皇女に気に入られ、シーアラント皇子の婚約者として、王族として育てられたのだった。

 魔族は、混血を嫌う。

 リナは、ギルトラント王が、エーデムの姫を娶って混血の皇子を持った事を常日頃よく思ってはいなかった。特に、銀髪の第一皇子を毛嫌いしていた。

 ウーレン王が亡くなった後、第一皇子の王位継承を危惧する勢力をいち早くまとめ、武力によって王妃と皇子たちを排除しようと企てたのだ。


「モア様の話では、オイリア家・ラーン家・メイ家が、すでにリナ様についている。シズ家とアズル家は、灰色の状態だ」

「では、ほとんど王族はリナ様につくと?」

「そういうことだ」

 シーラは、小声でデューンに聞いた。

「そういうことって、どういうこと?」

「……つまり、ウーレン王妃フロル様と皇子たちは、敵に囲まれているということだ」

 デューンが声をひそめて説明した。


 ――あのお二人の命が……危ない?


 シーラは、皇子たちの誕生日の夜を思い出した。

 デューンと初めてあった、あの夜である。

 たくさんのウーレン貴族たちがお祝いしたのは、ほんの少し前のことである。

 あの幸せな夜は、もう二度と戻ってこないのだ。


「東の覇権を失い、かつ、エーデムとの同盟を危うくしてはならぬ」

 リュートが声をひそめて言った。

「リナ様は、フロル様を殺すおつもりだ。それは、エーデムとの同盟を殺すこと、つまりウーレンを滅ぼすことになる。私は、フロル様をお助けせねばならぬ」

「では……他の王族をすべて敵に回すことになりますのね?」

 デイオリアが言った。

「そうはならない。モア様には、奥の手がある。だが、それもフロル様が亡くなったら、何もならない」

 だんだん、話が難しくなってきた。

 シーラが理解できたのは、どうもモアラ家は危険の中に突っ込もうとしている……ということだけだ。

「フロル様が脱出に失敗したら……の時だ。王宮を守っている我が兵で、フロル様と皇子を死守し、この屋敷に逃がすことになっている。丸一日、篭城できれば、その間に、モア様がリナ様を説得することになる」

「説得できない場合は?」

「ない。だが……」

 リュートは、デューンを見つめた。

「篭城戦の前に、デューンは、シーラをデルフューンに連れて行け。一緒に死なせるために預かったわけではないからな」

「はい」

「……! ちょ、ちょっと! 何で「はい」なのよ!」

 あまりにもあっけないデューンの返事に、シーラは頭に血が上った。

 またまた仲間はずれである。

「わ、私、たった今、娘としてよろしく……と言ったばかりなのよ? それなのに」

「話は、以上だ。来るべき時に備えて、ゆっくり休め」

 シーラのことをまったく無視して、リュートはその場をお開きにした。



 シーラは、部屋に戻ろうとするデューンの後ろを、小走りについていった。

 彼はまったくの無表情で、にこりともせず、すたすたと歩くだけである。

「ちょっと待ってよ! ねぇ、いったいどういうことなのよ!」

 ここになじめと言ってみたり、返すと言ってみたり……。

「勝手な都合で、ほいほい人を動かさないでよ! 返すなら、連れてこなければいいじゃない。返すなら、今、帰る!」

「あなたは!」

 いきなりデューンが振り向いた。

 何か言おうとしたが、数回唇をふるわせただけで、言葉は出てこなかった。かなり、怖い顔をしていたので、シーラは少したじろいだ。

 泣き虫ではないはずなのに、なぜか涙が出てくる。

「私……あなたたちがわからない」

「すまない」

 デューンは、少しだけ眉をひそめた。

 そして、床に膝をつくと、そっとシーラを抱きしめた。

「あなたを帰さない。今は、ただ黙って、帰さないで済む努力をさせてくれ」

「それって、どういうこと?」

「ここに王妃はこない。篭城もない。政変も起きない。そういう努力」

 デューンは、少しだけ微笑んだ。そして、シーラの頬を指で撫でた。

「今、この状況を無事乗り越えたら、もっとあなたと一緒の時間を作る。あなたが、モアラ家になじめるよう、努力するつもりだ。だから、今は耐えてくれ」

 見つめられて懇願されると、どうも弱い。

 シーラは、仕方がなくうなずいた。

「では、明日に備えて、お休み」

 デューンは、立ち上がると、足早に歩き出した。

 シーラは、その後ろ姿を見送ったが、はっと気がついて、大きな声で怒鳴った。

「わ、私! べ、べ、別に、あなたにかまってほしいって言ったわけじゃないから!」


 ――かまってなんか、ほしく……なくない。


 シーラは、自分の素直な気持ちに、愕然とした。

 突然、婚約者……と言われ、この家に引き取られたのに、会う機会が少なすぎた。

 なじめない環境のまま、勉強・勉強・また勉強である。先生たちはとても厳しく、乳母の目を盗んで遊びほうけたシーラだったが、逃げられなかった。

 聞かされた秘密は、シーラには荷が重く、日々不安に苛まれた。ウーレンに迫る不安定な要素は、シーラを恐ろしい夢に誘った。

 ほっとするといえば、デイオリアやルナとのちょっとしたやりとりくらいだった。

 やっとなれてきたベッドだが、枕は涙を吸うことが多かった。

 そしてまた……怖い話。

 先の見えない未来。


 ――戻りたい。牧場の日々に……。


 勉強を投出し、乳母に追いかけられて、逃げまくる。ポニーに乗って、草原に出る。牧夫たちと挨拶する。その子供たちとは、棒切れをつかった剣争い。

 何も知らない明るい少女が、あそこにはいた。

 もう戻れないのだ。二度と、あの時代には。

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