決められた道
「私が? モアラ様の元に行くのですって?」
呼び出された父の部屋で、シーラは耳を疑った。
サザムは、少し寂しそうな顔をしたが、それ以上に目がうれしそうだった。
「どうなることかと思ったが……。おまえはモアラ様に気に入られたようだ。最後の試験に受かったというべきかな?」
「しけん?」
「そうだ。おまえは、モアラ家に嫁ぐのだ」
まったく意味がわからない。
「どういうこと?」
「私は、おまえが生まれる前に、モアラ様と約束をかわしたのだ。もしも、生まれる子供が娘だったら、モアラ家のご子息に嫁がせると」
――モアラ家に嫁ぐ? ご子息?
それは、あの少年のことだろうか?
シーラは、ソリトデューンと名乗った少年の顔を思い浮かべた。
そして、恥ずかしい夢を……。
とたんに気が動転した。
――ま、まさか、予知夢? そんなこと、考えられない!
「ちょっと待って! 駄目よ、絶対に、それは駄目!」
真っ赤になりながら、激しく否定する娘に、サザムは目を丸くした。
「だが、これはまたとないいい話だ。こちらから出した話だから、断るわけにはいかん。モアラ様に恥をかかせることになる」
ウーレン族は名誉を尊ぶ。恥をかかされることを嫌う。この話は、先方が断らない限り、絶対の約束なのだ。
「で、でもね、ご子息が納得するかは……」
それが、シーラの一番気にするところだった。
あの恥ずかしい出会い。まさか、夢のような展開にはなりそうにない。
「ソリトデューン・モアラ様は、王族としての立場をわきまえていらっしゃる。おまえが生まれる前から、すでに納得なさっている」
その言葉を聞いて、シーラは力が抜けた。
(私が生まれる前から……って。はぁ……)
つまり、家の方針がすべて――シーラが、どのような少女であっても、彼は気にも留めていない。かまわないのだ。
だいたい、夢のように少年が子守唄――いや、恋歌を歌い、求婚するはずがない。
親が嫁にもらえと言ったら、はいと答える。まるで、親の人形ではないか? それに、何の疑問も持たないなんて、シーラには考えられない。
――いや、向こうだって、本当は嫌なはずだわ。こんな勝手な話。
だって、私のこと、何も知らないじゃない? なのに、嫁にするようにって、決められちゃうなんて!
「嫁ぐ……って、花嫁になるってことよね? でも、私、田舎者なんだけれど」
シーラは間の抜けたことを言った。
シュリンが、田舎者は貰い手がないと言っていたことを思いだしたのだ。
「まだまだ花嫁にふさわしくない。私、花の香水を付けるよりも、野花の中に横になるほうが好きだし、踊りよりもポニーに乗るほうが好き。それに、礼儀作法もよく知らないし……」
「それは、モアラ家で身につけさせると、モアラ様がおっしゃった」
「でも、気に入られないかも知れないし……」
シーラはまだ七歳だ。まだ子供だ。
いや、シーラの結婚は、生まれる前から決まっていた。だとしたら?
サザムは、両手でシーラの頬を包み込んだ。
大事な大事な娘。そして、王族との血縁の大事な切り札――
「私は、モアラ様が気に入るように、おまえを育てたつもりだ」
心が凍り付いた。
シーラの脳裏に、田舎で過ごした幸せな日々が、走馬灯のように走った。
自由で楽しかったけれど。
――それって……。
離れて暮らしてはいたが、父の愛を疑ったことはなかった。
父の口癖。
――私の大切な姫君。
大切って……王族との血縁を結ぶ道具だから?
愛情に満ちている目……と思っていた父の視線が、なぜか精巧な人形を作り上げた細工師のように見える。
父は、長女のシュリンに王族に嫁ぐべく完璧な教育を徹底したように、次女のシーラをも作り上げたのだ。先方が、気に入るように。
涙が出て来た。
悲しくて泣いた経験は、あまりなかったのに。
「嫌よ! お父様! 私、お父様やお母様と一緒にいたい! どこにも行きたくない!」
それだけではない。
今までだって、一緒にいたかったのだ。できなかったのは、そのくだらない婚約のせいだ。
自由気ままに楽しく過ごしたけれど、本当は、両親が恋しかった。望んでも叶わないから、別のことで気を紛らわしてきただけなのだ。
だが、父はシーラの気持ちを汲み取ることはなかった。
優しくシーラの涙を拭き取り、頬に口づけした。
「いいかい? シーラ。私も辛いよ。でも、これはシーラのためなのだよ」
――ひどい!
シーラは唇をきつく噛んだ。
そして、もう何も言わなかった。
父にどんな訴えをしても、もう無駄だと悟ったのだ。
――私は私。自由なはずよ。
でも、親に決められた道を歩むしかないの?
いや、何か方法があるはずだわ。
「ひどい!」
父の部屋を出ると、涙を浮かべた姉のシュリンがいた。
こっそり、今の話を聞いていたらしい。
「ひどいわ! シーラ。なぜ、あなたなの? なぜ、私ではいけないの? 父の願いを叶えたい一心で、私、何でもやってきた! 努力したわ!」
「そんな……私、こんなこと……」
姉の努力は、見なくてもわかる。身からにじみ出ている。
デルフューン家を盛り上げるため、シュリンは自分を磨いて育ってきたのだ。
なのに、なんと皮肉なことか?
「なぜ、あなたは生まれる前から、恵まれているのよ? 努力もしないのに、なぜ成功が決まっているのよ? なぜよ、なぜ!」
「なぜって……」
シーラは逆の思いだった。
生まれる前から、決められている道なんて、嫌だ。
むしろ、姉のように様々なことを学び、自分を磨き、その上で自由に生きたい。結婚相手だって、自由に選びたい。
緻密に引かれた一本の道を、言われるがままに突っ走るのは嫌だ。
「ごめんなさい。お父様が定めたことだから、あなたに言ったって、無駄なことは知っている」
いつもは言い返す妹が、ずっと無言だったのが気になったのか、シュリンは声を低くした。
「でもね、覚えておいて。私は、私の力で、幸せをつかみ取るから。幸運なんて、信じない」
そう言うと、シュリンは立ち去った。
しゃんと歩き去る姉の姿を見て、シーラはうらやましいと思った。
姉ならば、このような定められた道を、我が道として歩めるのだろう。自分のやるべきことと、割り切れるのだろう。
――きっと。
シュリンは私に憧れて、私はシュリンに憧れていたんだわ。
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