夢の少年


 歳の頃は、姉と同じくらいだろうか?

 長い黒髪を一人前の軍人のように飾り紐で編み上げ、ウーレンでは男性の正装である軍衣をまとっていた。

 耳の先に見える赤い飾り毛は、シーラのような付け毛ではない。まだ充分に生え揃っていないところが、自然だった。

 やや大人びた顔つきで、精悍な感じ。声を張り上げる時に、かすかに眉間に皺が寄った。

 舞台の入り口でじっと見つめるシーラに、彼は気がついたようだ。


 ふとぶつかった視線。目は、燃えるような赤。

 かすかに微笑んだ?


 ――この人だ! 間違いない! 


 思わず体がしびれた。 

 求婚――だが、あれは夢。

 少女趣味と、姉が馬鹿にする夢。

 では、今、目の前にいる少年は、いったい何者なのだろう?

 シーラはすっかり混乱した。


「ああ、うますぎるわ。この後っていうのは、やりにくい」

 シュリンも舞台の入り口で、少年の歌声を聞いていた。

 心が洗われるような、澄み切った音――

 辺りはしんと静まり返り、ただ、少年の歌声だけが響いていた。

 この声は、天性のものだろう。人々を惹き付けて離さない心地よさがあった。

 歌の内容は、ウーレン王家を讃え、永久の繁栄を祈るものである。

 銀髪の皇子はうつむいたままだったが、先ほどまで興味無さげだったウーレン王の表情には、変化が見える。

 案の定、少年が歌い終わった時には、今までおざなりだった拍手を、しっかりとしていた。

「……いいえ、負けないわ。あの皇子の顔をあげさせてやる。いいわね、シーラ」

 シュリンは隣にいるはずの妹に声をかけた。

 が……。

 そこにシーラの姿はなかった。



 少年の歌が終わると、シーラは思わず舞台裏から飛び出していた。

 拍手喝采の人並みをかき分けて、舞台の反対側へと回る。少年は、そこから舞台を降り、親の待つ席へと戻るはずだった。

 少年の後ろ姿を見つけて、シーラはほっとした。どうやら間に合ったようだ。

 ところが、舞台を降りた少年は、パーティー会場とは反対の方向へと向かってしまった。どうやら、さっさと帰るつもりらしい。

「ちょ、ちょっと! 待って!」

 シーラは慌てて声をかけたが、人々の歓声にかき消された。

 その歓声が、最後を飾る少女たちへの期待の声だと気がつけば、シーラは舞台へ戻っただろう。

 だが、シーラは少年を追った。

 走ろうとしたら、人ごみに押されて転んだ。衣装の羽が、三枚ほどちぎれてなくなった。激しく人とぶつかって、耳の飾り毛が片方なくなった。

 それでも、シーラは人の隙間から見える少年の背中を見失うことなく追いかけた。


 馬車の待機場所手前で、やっとシーラは少年に追いついた。

 あの噴水の近くである。

 樹々についていた白い飾りに光が灯り、まるで星をまき散らしたようだった。

 噴水の水がキラキラと夜空に舞った。

「待って! あなたは誰?」

 いきなり背後からかける言葉にしては、いささか奇妙だろう。だが、シーラには、それしか言葉がなかった。

 少年は、ゆっくりと振り向いた。血のように赤い瞳が、シーラを見つめた。

 少し気後れしたシーラだったが、ぐっと胸を反らせた。

「あなたは、いったい誰?」

 少年は、かすかに微笑んだ。

「姫君」

 美しい声で呼ばれると、夢を思いだす。

 だが、その呼びかけに続いたのは、甘い求婚でも歌でもなかった。

「相手に名前を聞くときは、先に自らが名乗るのが礼儀だ。たとえ、姫君であっても」

 シーラは、カッと体が熱くなるのを感じた。

 姉に、常に田舎者扱いをされて、腹を立ててきたが、今回ばかりは恥ずかしくて、穴があったら入りたい思いだった。

「わ、私は!」

 礼儀作法を真面目に学べば……と後悔しても、もう遅い。

 だが、少年に無礼を責める気配はない。むしろ、諭すような雰囲気だった。

「わ……私。シーラ・デルフューン」

 らしからぬ小声で名乗った時、噴水が勢いよく水を夜空に跳ね上げた。

 少年は、かつかつと靴音を立てて、シーラのもとへと歩み寄った。そして、ウーレンでは一般的な方法――胸に手を当てて、シーラに敬意を示した。

「あなたが、シーラ・デルフューンならば……」

 少年の瞳に、かすかにいたずらっぽい色が浮かんだ。

「今頃は、舞台の上で踊っているはずだ」

 その時、パーティー会場から、歓声と拍手が聞こえてきた。

 本来ならば、シーラにも注がれていたはずのものだった。

「あ! ああああ!」

 シーラは激しく動揺した。

(い、いけないっ! 忘れていたわ!)

 どうすればいいのかわからず、うろたえてしまった。


 いったい何が起きたのか?

 何をしでかしてしまったのか?


「とりあえず、戻ったほうがいい」

「え、ええ……。ええ……」

 半べそになりつつ、シーラは少年の言葉に突き動かされて、何も考える間もなく、小走りに来た道を戻り始めた。

(何やっているのよ! 私ったら!)

 自分を責めても何もならない。

 勝手な夢を見知らぬ少年に押し付けて、無礼を働いただけではなく、舞台に穴をあけたのだ。父の顔にドロをぬったようなものだ。

 そして、結局は少年の名前すら、聞いていない。

 その時、声が追いかけてきた。

「シーラ!」

 自分の意志に無関係に動いていた足が、ぴたっと止まった。

「私は、ソリトデューン・モアラ」

 硬直したシーラの背中に、その名は刻まれた。

 シーラは振り向くこともなく、一目散に走り出していた。

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