第7話 春と風

「いいよね、こういの」

 長らくしまい込まれて折り目のついたレジャーシートを、投網さながら投げて広げる。移動する太陽に木陰はそのうち木陰でなくなるけれど、見渡す限りここが一番よさげなのだからまあかまわない。

「実はスピーカーも持って来た」

 滔々と流れる川は一級と聞く。だから憩いの場所と河原に芝は敷き詰められて、そのごくわずかを広げたシートで虹色に切り取った。上へいそいそ、あたしたちは腰を下ろす。

「コーヒー、いる?」

 風が強い。シートがめくれ上がらないよう端へ重しとカバンを置いて、その中をまさぐりながら背でたずねる。

「じゃ、もらおうかな」

 向こうも向こうでそっぽうを向くと、持って来た、と豪語するスピーカをスマートフォンにつないでいた。

「サンドイッチも作ってきたし」

「選曲がまたイケてんだよな」

 なんて、つながっていない会話だろうとそれは相槌が見当たらないだけで、あたしたちにとって齟齬はない。

 紙コップへ注いだコーヒーを突き出す。

 受け取り片手でスマートフォンを操作していたかと思えば、やがて自慢の一曲目は聞こえてきた。小さいながらもスピーカーの音質は結構いいらしい。なるほど、と思うのはもう何度も聞かされた曲だからで、すぐにもリズムは体を揺すると任せてカバンの底からサンドイッチもまた取り上げた。

「あー、あったかくなったなぁ」

 スピーカーを、もう片方のシートの隅へ置いた手が振り上げられる。ままに伸びて背を反らせると、ついた後ろ手で吐き出されたセリフにこそ異存はなかった。

「日焼けするかも」

 気を遣ってはきたが、ギラギラとした真夏の太陽より今頃の日差しの方が思いがけず焼けるのだから納得できない。もしかすると原因は日差しではなく、恋しがって肌が無防備に吸い上げているせいなのかも、なんて飛躍で帰結させてみる。

 焼いてきた卵にトマトとレタス。

 みずみずしいきゅうりにハム。

 挟んだサンドイッチへかぶりつく。

 我ながらマヨネーズの量がちょうどだ。

 チーズとツナは残念ながら手元になかった。

 そのシンプルなサンドイッチを二人並んで口へと運ぶ。いまさら美味しい、とか、どちらの方が好みだ、とか評価に吟味はよそよそしくて、ただ腹を満たすだけの二匹になって黙々、食べた。

 前では川が流れている。

 傍らで音楽もまた流れていた。

 そのいずれも、この味だって、感じているが触れてはおらず、けれどひどく優しく肌に寄り添い包み込むのは、きっとこの日差しのせいだと思ってみる。

 花より先に春はやって来るから。

 到来に何もかもは緩むと、あたしたちもその一部になっただけのこと。

 手の中に残ったパンくずを芝生へ払った。飲み干した紙コップを潰してひとつに重ねる。

 選曲はまだいくらか残っている様子だけど、日陰はずいぶん動いていた。腹も落ち着いたなら立ち退くことにする。

「せっかくだからアッチのリユースショップも回ってみようよ。可愛いソファが欲しいしさ」

「ん、じゃあそう、するか」

 なんて立ち上がりながら投げたとして、アッチ、の店がどの店かを察してくれるあたり、ハナから運命だ。

 そう、花より先に春は来るけど、そんな春より先にあたしたちは結婚を決めた。

 いきさつは嵐のようで。

 吹き付けて油断したレジャーシートがまくれ上がる。

 わっ、と互いに声を上げていた。

 舞い上がる。

 虹色が、緩んだ春の中へ。

 あたしたちは追いかけて、

 舞い上がる。

 幸せの中へ。

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