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【王慧龍・劉裕】飛言賈

 滎陽けいよう城内のあちらこちらから木工の音が、鍛冶の音が響き渡っている。城門より太守府たいしゅふをつなぐ大通りのあちらこちらにも転輪待ちの資材が転がる。

 いま、この町が戦場真っ只中であると、嫌というほど思い知らされる。田克でんこくは自身の率いる隊商を振り返った。こうした喧騒においては物取りもまた横行する。執事に気を緩めぬよう指示をさせれば、執事もうなずき、各車御者に伝達を飛ばした。

 さして乱れているわけでもない襟元を整える。胸中の熾火おきびを大火とせねばならぬ。そのための手管を揃えてきた。仕手を損なえば、全てが水泡となる。

 街の片隅より、黄色の布を翻す小姓があらわれた。田克は戻ってきた執事に隊商の扱いを任せると、ひとり小姓に従う。ひとつ路地の奥に踏み込めば、しつらえごとの音はますます賑々しきものとなる。

「みなみなさま、ご精勤にあられますな」

王滎陽おうけいようの陰徳ゆえにございますれば」

 たどたどしき物言いであった。「それ以外を言うな」と、「丹念たんねんに」しつけられたのだろう。

 ならば、田克もそれ以上を語りかけはしない。ただ小姓のあとに続く。時折周囲の活況に目をやりながらも、見失わないようには気をつける。やがて鍋鍛冶の工場の前にまで来ると、入り口に立つ兵士に小姓が何やら耳打ちした。すると兵士がうなずき、小姓に駄賃を渡した上、田克のほうに振り向いた。

「これはこれは、ようこそお越し下されました。私は呂玄伯りょげんはくと申します、お見知りおきを」

 まさか、と言いかけた。

 呂玄伯。この滎陽を司る太守たいしゅが、仮として用いる、と書にて記していた名であった。本名は王慧龍おうけいりゅうと言う。

 町工場を守る兵なりの、粗末な甲冑に身を包む姿でこそあったが、やや甲冑に着られているようにも見える。刺客の目を欺くため、と手紙には書かれていた。確かに、下手に太守然としたいでたちでいるよりは狙われづらいのかもしれない。

「こちらこそ、いち旅商に過ぎぬやつがれが斯様な形にてお目通りの光栄に浴したること、恐縮禁じえませぬ」

「太守も申しております、人は宝、備えは砦。ならば材を運ぶ田殿のようなお方こそが生け垣となる、と。どうしてあたら粗略に遇せましょう」

「勿体なきことにございます」

 田克は拱手きょうしゅし、頭を下げると、さっそく袖口より書を取り出した。滎陽入りに先立ち、ほうぼうで仕入れてきた物資を取りまとめた目録である。いわば田克の滎陽における以後の身の置きようすべてを握る、と言って良い。

 王慧龍は書を受け取ると、その場にて開き、素早く目を通していった。ひと通りを確認すると元あったように丁寧に畳み、田克に返却する。

「事前に伺っていた内容よりも、二、三分ほどの水増しがされているようですね。そのまま受け取るわけには参りませぬ。戦時なればこそ、まいないのたぐいは足場を揺らがせますゆえ」

 その声に硬質なものが交じる。周囲で二、三の気配が動き出したのを感じる。

 田克のうなじに冷たい汗が伝う。

 とは言え、どのみち分の悪き博打である、その一手は、次の一手のためのもの。改めて袖口より、二通を取り出した。

「そう仰って頂けるものと思っておりました。今しがたのものは総目録にございます、なにぶん、もともと申し出た数より多く持ち込むのは間違いのなきこと。ならばそれを下手に隠し立てするわけにも参りませぬゆえ」

 ふむ、と王慧龍の顔に好奇の色が浮かんだ。二通はその厚みがまるで違う。そして薄い方の表書きには「劉彭城りゅうほうじょう調略之事ちょうりゃくのこと」とあった。

「これは?」

飛言ひげんを放ちたく思うのです、太守の、ひいては大魏たいぎの守りを固めんがための」

 厚いほうについては懐にややぞんざいに押し込み、薄いほうの目録に目を通す。田克は見逃さなかった、王慧龍の面持ちに、かすかに熱が帯びたことを。

 一通りを確認し、王慧龍は書を畳み、長く吐息をついた。

「田克殿、失礼だが、身をあらためさせていただいても?」

「はあ、構いませぬが――」

 言うが早いか、先程あった気配たちが素早く田克のもとに寄った。二人がかりでばさり、と敷布が掛けられ、その中にて三人がかりでもとどり、襟元、懐、袖口、帯周り、「ご無礼」なる声とともにふんどし、果てには財布の中まで調べの目が入ったのち、敷布が剥がされた。あっという間の手際であり、怒りを覚える隙すら与えられなかった。

 調べ手のひとりが王慧龍のそばに寄り、耳打ちすると、王慧龍はうなずいた。

「あの、いまのは一体?」

「それを含め、滎陽の散策がてらお話し申し上げましょう。しばし、お付き合い願いたい」

 人好きのしそうな笑顔をこそ浮かべはするものの、その奥にはなぜか、獰猛で狡猾な狼の気配を忍ばせもする。「従わねばどうなるか存じておりましょうな?」とでも言わんばかりである。

 王慧龍の誘いに応じ、隣に並ぶ。ひとたび歩き出せば、護衛らしき護衛もない。

「下手な人払いは、却って人の耳を寄せましょう。あなたも油断のならぬ方だ、私の身に劉彭城りゅうほうじょうの名がどのように響くか、よくよくお調べになっておられるらしい」

「あなた様のご尊祖、ご尊父、ご堂父様がたの仇、どころか、あなた様より帰る国をも奪った僭主せんしゅ彭城ほうじょう劉裕りゅうゆう

 王慧龍の顔が、歪んだ。

 世が世であれば、南国の晋にて皇族をも凌駕しかねない、と言われるほどの勢力を誇った権門、太原王氏たいげんおうし。それが王慧龍の家門である。ただし一門はその権勢に溺れ、寒門の士を軽んじることも多かった、という。

 対する劉裕は、まさにそうした寒門から台頭した武人であった。しんの政変に乗じ簒奪の大逆をなした者をわずか一昼夜にして追い落とす快挙を為し遂げると、その返す刃にて王慧龍の一門を謀反嫌疑にて抹殺した。王慧龍自身は懇意にしていた僧に匿われ、なんとか脱出が叶ったのだ、という。

 その劉裕はまた、絶大なる武勲を背景とし、王慧龍にとっては故国と言うべき晋より簒奪、宋を打ち立てた。

「あなた様の怒りの深さを拝察することこそ叶わねど、やつばらを恨むは、やつがれとて同じゆえ」

「同じ、とは?」

「この田克、生まれも育ちもせいの地にございます。古くは燕将えんしょう慕容恪ぼようかく様に父をお取り立て頂け、やつがれもそのご縁にて慕容徳ぼようとく様、慕容超ぼようちょう様より手厚きご恩を賜りました。ならば燕帝は我が親にも等しくございます。その親が、劉裕により一門まるごと殺し尽くされました。これで、どうしておめおめと僭主を拝せましょう」

 叶う限り沈着に語ろう、とは心掛けたが、どうにもうまく行かない。

 燕は、言うなれば劉裕の武勲の贄となった。

 晋国の体勢を整えると、劉裕は大軍を率い、瞬く間に燕の都城を包囲した。当時の王、慕容超よりの帰順宣言を握りつぶし、容赦のない攻撃を加えた。劉裕による無道に抗うべく慕容超は最後まで抵抗を続けたが、ついには力尽き、落城。この時劉裕は想定を遙かに上回る抵抗を示されたことに激怒し、配下の諫めも聞かずに燕の王族を皆殺し、穴埋めとし、王城も跡形もなく解体した。残された民はみな奴婢ぬひとして晋の旧領に引っ立てられ、国そのものが地図より消え去った。

 ひとたび燕主らの、そして燕都を踏みにじった劉裕の名を口にすれば、それこそたった今祖国を焼き尽くされたかの如き怒りが胸を占めた。抑えきれるはずもなかった。

 とはいえ、いまは王慧龍との折衝の場である。思いがけず激してしまったことに気付き、弾けるように横を向いた。

 呆気にとられていた。

 やってしまったか、とほぞを噛み、慌てて頭を垂れる。

「こ、これは申し訳ございませぬ! 呂君りょくんより賜った問いもなげうち、私情を垂れ流してしまうとは!」

「いや、詫びるべきはむしろ下官かかんにございましょう」

 打って変わっての、従容しょうようとした声。顔を上げれば、先ほどまでの剣幕はいずこやら、こぼれ落ちんばかりの苦衷くちゅうが、王慧龍の顔にあった。

魏帝ぎていと燕主は、その袂こそ分かたれはしたものの、もとは同じ天を仰ぐ同胞にございました。ならば我らは、もとより手を携え合うべき朋友ほうゆう。にもかかわらず、我が怒りを弄ばれたかのごとく感じてしまいました。恥じ入るばかりにございます」

 王慧龍が深々と頭を下げた。慌てて止めようとも思ったが、すぐさま跳ねるように頭を上げる。その顔には、すでに柔和な笑みが戻っていた。

「さ、いつまでも湿っぽくなるわけにも参りますまいな。参りましょう、久方ぶりに快きお話を伺えそうだ」

 軽快な一歩を踏み出す王慧龍に、いちど田克は自らの両頬を軽く張ったのち続く。

「ならば、楽しき話にせねばなりますまいな。とはいえ、無論やつがれはただのあきんど。僭主せんしゅを害する力なぞ到底持ては致しませぬ。故に狙うは、民。この滎陽より淮北わいほくに到るまで、噂をばらまきたく考えております」

「噂?」

「劉裕は自身の標榜ひょうぼうしておるかん楚元王そげんおうすえでなぞなく、むしろ項羽こううに近しき血を引くに過ぎぬ、とするのです」

「なるほど……?」

 とは口にするものの、王慧龍の中で腹落ちが進まずにいるのは明らかであった。

「いや、申し訳ござらぬ。なにゆえそれが滎陽や大魏の守りを固めることになるのでしょうか」

「では、卒爾そつじながら。呂君は項羽について、どのように評しておられますか?」

「その無類の武勇にて、漢祖かんそを最後まで苦しめ抜くも、人を使うに才なく、滅びた、と言ったところでしょうか。それと、言われてみれば劉裕と足跡が似ておりますな。ひとたびこそ長安ちょうあんを手中に収めながらも見捨て、彭城に戻った、と」

「いかにも。ならばこの先、劉裕当人はさておき、その子孫にどのような末路がもたらされるかが、この噂にて暗に示されることとなりましょう。そして大魏と南国との間柄に、民は何を見ましょうか? ひととは思ったよりも理ではなく情で動くものです。無論劉裕より実際に民心を引き剥がすには様々な手立てを取る必要こそございましょうが、我が謀が成れば、諸々の手立て、その根本としての働きを果たしましょう」

 しばし黙して聞いていた王慧龍ではあったが、田克の言葉が切れたところで天を仰ぎ、大いに笑い声を上げた。

「いや、なんとも荒唐無稽こうとうむけいな! それでいて、不思議と成し遂げうるのではないか、とも思わされる!」

 周囲からの目が刺さり来るも、王慧龍が気に留めようとする様子もない。見立てを誤っておらねば「快き」笑いのはずだが、とはいえ、見立てに甘え切るわけにもゆかぬ。

「此度の話を持ち掛けるは、やつがれでは函谷関かんこくかんを越えることができぬゆえにございます。河淮かわいのはざまを慌ただしく飛び回るに手いっぱいなこの身なれば、関中かんちゅうにこの噂を広めるだけの伝手もそうは拾えませぬ。ならば、河淮より司隷しれい、はたまた河北かほく朔北さくほく、果てには隴山ろうざんへと至る、まさに喉元と呼ぶに相応しき地をあずかる方のお力を賜われれば、より楚猿そざる国人こくじんらが疎んじるようにもなって参りましょう。これこそが武器持たぬ商人のできる戦い方であると考えておりまする」

 王慧龍はその笑いを絶やすことなきまま、一粒、二粒と涙をこぼしていた。

「そこまで言われては、私とて協力せぬ訳にも参りますまい。しかしながら、巷間こうかんの噂では、太守府にて流布させるわけにも参りませぬ。どれだけのことができますやら」

「時折話題に上げさえしてくだされば事足りましょう。各地にて既にちらほらと噂はばらまいておりまする、南に行けば行くほど劉裕に同情的に、こちらに近づけば近づくほど軽んずる形にて。あとは、呂君が殊更にこの噂を笑い飛ばして下されば、相手とて幾分の興味も懐きましょう」

 王慧龍が二度、三度とうなずく。新たないたずらを思いついた悪童かのごとき面持ちである。

 ふと、田克は町の活況に目を向けた。

 次の戦に向け職人らが忙しく走る中、水売りたちが巧みに水瓶の載る車を操り、すり抜けている。田克はひと瓶ぶんの値段にて盃二杯ぶんの水を求め、王慧龍に持ち寄った。

「楽しみましょうぞ、どうせ駄目でもともとなのです」

 盃と、田克。王慧龍は両者の間にしばし目を往復させたあと、苦笑を浮かべた。

「まったく、やはり油断できぬお方だ。こんな愉快な話を頂き、どうしてあなたのこの街での商いに便宜を図らずおれましょう」

 ふたつの盃が、ちん、と控えめな音を立て、合わさった。


   □


 ――島夷劉裕,字德輿,晉陵丹徒人也。其先不知所出,自云本彭城彭城人,或云本姓項,改為劉氏,然亦莫可尋也,故其與叢亭、安上諸劉了無宗次。

 魏書ぎしょ島夷とうい劉裕伝、すなわち魏書に載る「敵」こと劉宋りゅうそう武帝ぶていの伝記は、このような形で書き始められている。大意を取れば「劉裕は彭城劉姓を自称しているが、一方でもともと項姓こうせいであったのを改めた、とも言われている。ただしその出処は不明である。少なくとも彭城劉氏、すなわち漢高帝かんこうていの弟たる劉交りゅうこうの血筋である、とされる叢亭里そうていり安上里あんじょうり本貫ほんがんとする両家門とのつながりはない」となる。

 実に不可解な内容である。史書とは確実な取材に基づき編まれねばならない。不確かな内容は本来忌避されるべきなのである。ならば編者の魏収ぎしゅうがこの記述に込めた意図としては以下の二つが想定されようか。典拠を求められぬはずであるにも関わらず無視できないほどにその憶説が流布されていたか、無典拠であることを押してでもこの憶説を劉裕批判の文脈で入れておくべきと判断したか、である。あるいは別の理由も考えられようが、いずれにせよその真意とて、魏収の著すよう「しかるにまた莫可尋たづぬべきなきなり」としかなるまいが。

 なお、結果のみを語れば、劉裕、そして王慧龍の死後、北魏ほくぎは大いに劉宋を圧し、その国境線を南へ、南へと押し下げることに成功した。

 とは言え、無論この戦功に、件の憶測がどれだけ関与したかを語る史料は存在しないのである。

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魏晋南北短編集 ヘツポツ斎 @s8ooo

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