第46話 黒川有季、吠える

「いやああぁぁ!!」


 敵の攻撃を、垂直跳びにてやりすごし、逆に相手の真上につける。


 防御も回避もままならない相手に向かって、死角より、重力をも味方につけた垂直斬りを見舞う。


 三重の有利に、俺は勝利を確信していた。


 刃が、敵の左肩に触れる。


 鎖骨を割り、心臓を真っ二つし、そのまま腰まで一刀両断――のはずであった。


「!??」


 剣は動かない。


 敵の全身を覆う、漆黒のひし形ウロコが、刃物の威力を完全に受け止めていた。


「あ、え?」


「クルルル」


 刃を乗せたまま、黒鋼蜥蜴が軽く肩を回す。


 それだけの動作で、俺の身体が宙を舞った。


 斜面に顔からたたきつけられる。


 鼻の激痛をこらえながら、大急ぎで立ち上がり、剣を構えなおした。


 手が震え、切っ先が定まらない。


(い、今の一撃は、紛れもなく会心のものだった)


 それを歯牙にもかけなかった。


「こ、この化け物は一体」


 通常エンカウントとは思われない出色の能力である。これまでに対峙した特別なモンスターたちが頭をよぎる。


「ま、まさか、こいつがゲラ火山のボスモンスターか? それともイベントモンスター?」


 以前の『黄昏時の死神』の時のように、知らぬ間に何らかのイベント発生条件を満たしてしまった可能性を、俺は疑った。


「そんな大層なもんじゃないさ」


 戦闘を傍観していたユウ君が、苦笑気味に言った。


「こいつらは、うじゃうじゃ湧いて、うっとうしいばかりのザコモンスターに過ぎない」


「な、何言ってんだよ。今の戦闘能力を見ただろ!?」


 そもそも、このゲラ火山は、ゲーム開始地点シエナと隣り合わせのダンジョンである。


 ゲーム進行の都合上、こんな強豪モンスターが配置されている訳がない。


「バグだよ」


 信じがたい単語が飛び出した。


「は? ……え!?」


「だから、バグだ。ゲーム上のエラー」


 俺はぽかんと口を開くばかりだった。


「このゲームがバグだらけなのは、珪ちゃんもよく知ってるだろう。どういう手違いかは知らんが、本来、ゲーム中盤以降に訪れるはずだったゲラ火山ここが、最初の街に隣接してしまったんだとさ――」


『命が惜しければ絶対に近づかないように』


「――あのやる気のないナビゲーターが、チュートリアルでそこだけ熱心だった」


「あっちゃいけないだろう! そんなバグ!!」


 もちろん、こうした会話の最中も、俺は黒鋼蜥蜴への警戒を怠ってはいない。


 ただ、ユウ君からもたらされた情報が、刺激的すぎたのは問題であった。


 集中力の配分が、わずかに狂う。


 狡知に長けたモンスターはそれを見逃してくれない。


 今までよりも小さな予備動作からの、瞬足の一歩。


「!??」


 ふくらはぎに瞬間的に蓄えられたエネルギーが、一息に解放される。


「あ、ううう」


 気づいたときには、もう手遅れだった。


 黒鋼蜥蜴の指先から生えた黒鎌が、俺の首筋に触れていた。


 湾曲した刃が、皮膚を浅く裂き、血が滴り落ちる。


 万事休すであった。


 わずかな動き見せただけで、敵は容赦なく鎌を切り払うだろう。


 何一つしなかったとしても、数秒後には死がもたらされる。


「――」


「――」


 しかし、敵は、いつまでも黒鎌を動かそうとしない。


 この生殺しの状況を楽しんでいるかと思いきや、そのようにも見えない。


(どうして?)


 敵はしないのではなく、できなかったのだ。


 輝くような金髪と、灼熱の砂漠を彷彿とさせる肌色を、併せ持つ少女。


「ユ、ユウ君!!」


 彼女が俺のすぐ傍らにいて、黒鋼蜥蜴の手首を鷲づかみにしていた。


「クルルルル!」


 黒鋼蜥蜴の踏み込みを察したユウ君が、それ以上の速度をもって俺の元へ駆けつけ、首筋の黒刃を間一髪で制してくれていた――のだろう。


「さすがに、まだ黒鋼蜥蜴と一対一は早かったかな」


 そこに込められた微かな失望感に、俺はドキリとする。


 しかしそこは新山珪太おれ


 ゆっくり後ずさって、刃から首筋を外すと。


「後はお願いしまーす」


 敵と仲間ユウくんに背を向け、全力で逃げを打った。


 プライドと命、俺にとっては秤に乗せるまでもない問題であった。


「お、おいこら!」


 ユウ君が、怒りで頬を紅潮させる。


「クルルル!」


 黒鋼蜥蜴が、自分の腕を、ユウ君の手の内から引っこ抜こうとしだす。


「助けに入った私をほったらかしだと。それでも男か!」


 黒鋼蜥蜴の腕はびくともしない。


 つかまれた腕を、もう一本の腕で鷲づかみにし、綱引きの要領で全身の力を集約させる。


「ああ、あの可愛らしかった珪ちゃんが、どういう5年間を過ごせば、あんな薄情な人間に成り下がってしまうのか」


 ユウ君はビクともしない。


 片手の腕力だけで、黒鋼蜥蜴の全身力と拮抗させている。


「クゥルル!」


 黒鋼蜥蜴が、方針を変えた。


 もう一組の指先から生えた鎌で、ユウ君の首筋を刈り取ろうとする。


 草茎くきどころか、木幹みきすら断てそうな一撃である。


「ふんっ」


 ぺちん、と、こともなげに、ユウ君はそれをはたき落とした。


「お前は、……黙ってろ」


 モンスターへの闘争心の大半は、おそらくは俺への怒りが転嫁されたものだっただろう。


 ユウ君の右足が、そっと浮き上がる。


 虚空に、音も無く、三日月が描き出された。


「上段回し蹴り!」


 敵との身長差から、その一撃は、黒鋼蜥蜴の胸部への打撃となった。


 黒鋼蜥蜴が、腕をすばやく折りたたんで、防御態勢を取る。


 大型トラックが、信号待ちのスクーターをはねたような音だった。


「!?!?!?」


 黒鋼蜥蜴の身体が、ナナメ上にすっ飛んだ。


 斜面に勢いよく叩きつけられ、そのまま重力に逆らって、50メートルも坂を転がり昇った。


「あ、ああ」


 あまりの力業に、味方でありながら、俺は言葉を失っていた。


 よろよろと黒鋼蜥蜴が立ち上がる。


 キックを直に受けた左腕はへし曲がり、かばったはずの胸部にも深刻な陥没が見受けられる。口から血の塊を吐き出した。


 モンスターはユウ君を見下ろし、ユウ君が見上げる。


 心理的立ち位置と、実際の立ち位置の非対称性が、ひどく奇妙に感じられた。


「ル、ルゥ――」


 左腕と同じく、黒鋼蜥蜴の心は完全にへし折れていた。


 俺の自信もまたへし折られていた。


(そこそこ経験を積んで、俺なりに多少は近づけたと思っていたけど)


 まったく差は縮まっていない。


 俺の遙か上に黒鋼蜥蜴がいて、その遙か遙か頭上にユウ君が君臨する。


 そして、その少し上に篠原瑠衣が鎮座しているのだが、それは今はどうでもいい。


「行け」


 ユウ君が顎をしゃくって、森の奥を指し示した。


「ル?」


「私は絶対に勝てる喧嘩はせん。弱い者いじめになるからだ」


「!?」


 言語は介さなくても、自分が施しを受けていることは、察せられたのだろう。


「クルゥゥゥ!!」


 プライドを着火剤に、再び黒鋼蜥蜴の目に闘志の火が宿った。


「やかましい!! とっとと失せろと言ってるんだ!!!」


 爆発にも似た怒号が、森を揺らした。


 木々の梢が震え、若葉が舞い落ちる。


「ルルルルル!?」


 もどった戦意はたちまちかき消え、黒鋼蜥蜴は、脱兎のごとく駆け出した。


 黒い背中は、瞬く間に見えなくなる。


(――視線も消えた)


 戦闘開始の少し前から、何者かに見られている感覚がつきまとっていたのだが、それがたった今完全に消えた。


(当たり前だな)


 視線の元がモンスターの群れであろうことは想像に難くない。俺たちの様子を遠巻きに眺めていたそいつらが、今のユウ君の戦闘能力を目の当たりにして、引き上げを決断したのだろう。


 それは間違いなく正しい。


 ただ、問題が一つ。


「ちっ、妙な意地を張りやがって。……まあ、張る意地すら無い誰かさんよりはマシか」


 その驚異の存在が、最悪の機嫌のまま、俺に近づいてきているのだ。


(ひたすら平身低頭して嵐をやりすごす)


 方針は、早々に定められた。


「いやあ、さすが、ユウ君。あんなザコまったく相手にならなかったっスね。あいつのビビりようときたら、もう失笑ものでした。へへへへ」


 激しく手もみをしながら、媚びた笑顔を振りまく。


「あ痛っ」


 頭を思い切り小突かれた。


「やかましい。そのザコに手も足も出なかったお前が言えることか」


 俺を打った握り拳が、わなわなと震えていた。


「だ、だってさあ。ユウ君にとってはザコでも、俺にとっては立派な怪物だ。あんなのをあてがわれて、俺の方がいい迷惑だよ」


「期待していたんだ。珪ちゃんがカッコいいところを見せてくれないかなって」


「無理無理無理。過大評価も良いところだ」


「最低限、私が間に入ったとき、見栄の一つも張って欲しかった。『いやいや、俺が売られた喧嘩だ。最後まで俺にやらせてくれ』、とかさ」


「い、いやいや、そんな固いことを言わないでくれよ、げへへへ」


「その卑屈な笑い声はやめろ!」


 その後も、ユウ君のお説教は長々と続いた。


 もちろん、虎太郎の安否は気遣われるので、こうしている間も俺たちは足を止めない。


 第二のモンスターはもちろん現われなかった。


 俺たちは森の終わりにたどり着く。


 そこはゲラ火山全体のちょうど二合目。


 目的地であるロッジのある三合目は、目と鼻の先と言えた。


「ここからが正念場だぞ――」


 ただ、ユウ君の声に楽観は無い。


「――山麓付近の森は、むしろ安全地帯と言える。ゲラ火山は、ここからが本当の佳境だ」


「ほ、本当の佳境って」


 ここまでも十分に修羅場だった俺には、とうてい信じがたい言葉であった。


 そうして、俺は出会うことになる。


 この一連の幽霊事件の鍵を握る存在に。


 あの忌まわしき『不死鳥の眷属』に。



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