放課後あやかし退治奇譚 ~~あやかし退治を一緒にしていた宮家の姫さまとの結婚~~
風親
卒業編
第1話 お姫様に呼び出されて
学園にある古びた時計台から、小さく澄んだ鐘の音が響いた。
西日に照らされた儀洋風の校舎が連なるこの学園の中で、中庭にそびえ立つその塔は、午後四時を告げたのだ。
放課後の教室に差し込む光は、すっかり夕暮れの色に染まり、年季の入った木机も赤みがかかっていた。
「姫さまに指定された時刻だな……」
僕はため息をつきながら鞄を手に取り、教室を後にした。
廊下に出たものの足取りは重い。
「お別れを言われるんだろうなあ」
そう予感させる胸騒ぎが、足取りを重くしていた。まるで、この一ヶ月間の空白が、二度と戻らない時間のように思えた。
(結局、僕らの活動って何だったのだろうか……)
二年間の記憶が走馬灯のように蘇る。僕たちは生徒会という名ばかりの肩書きを背負いながらも、その実態は怪奇現象の解決集団だった。幽霊や怪物、さらには人間の悪事まで――依頼を受けるたびに、その活躍は学園内にとどまらず、街や華族の間にも噂として広まり、様々な依頼が舞い込んだ。
「まあ……あやかし退治団、ってところか」
独り言をつぶやきながら歩き続ける。表向きの生徒会はすでに代替わりし、仲間だったイリーナと真琴も別の任務のため学園を離れていた。あと一、二か月で戻る予定ではあるが、僕たち四人組が揃うことはもう長くはないことを、どこかで覚悟している。卒業後、僕たちはそれぞれの道を歩むことになるのだ。
それに、僕らのリーダーであり本物の姫さまである彼女――皇国の六つしかない宮家の一つ、穴守宮家の長女である彼女は、いずれその地位に見合った役割を背負わなければならない。
本来なら真琴はともかく僕なんかが一緒にいられる身分の人ではなかった。ただ、ある事件で出会った後、姫さまは身分を隠してこの学園に編入して僕らと二年の月日を一緒に過ごしてきた。
本当ならもうとっくに公務に追われていてもおかしくない人だった。
だから、本来の身分の仕事に戻る時が来たのだろうと思っていた。
(でも、宮家のお姫様方は、やっぱりどこかのいい家に嫁いだりするのかな……)
皇子たちは、そのまま宮家を継いだり、やれどこの旧大名家の姫を嫁にもらっただの、三男とかであっても軍人になったり学者として活躍したなどといった話題は時折、新聞を賑わせていたりしていた。ただ、姫さまたちがその後どうなったのかはあまり報じられてなかった。
(あまり表沙汰にはしないけれど、やっぱりどこかの華族の良家に嫁がれるのだろうか……)
そう推測すると姫さまに会える時間はおろか、見ることができる時間も少ないのではないかという気がしてなんとも言えない寂しげな気持ちになってしまう。
そんな気持ちのまま僕は時計台の中の部屋の前まで来た。重い気持ちを押し殺すように深呼吸を軽くするとドアをノックした。
「鳥海 蓮です」
「蓮君! はい。どうぞ」
姫さまの優しくも凛とした声が返ってきた。
ドアを開けて中に入るといつも通りのセーラー服姿なのだけれど、変装をしていない姫さまが立っていた。普段、学園で変装している姫さまは、認識妨害用の眼鏡をして髪を後ろで縛った少し真面目そうな女子生徒だった。
ふくよかな胸とお尻が一部の男子生徒から熱狂的な人気を集めていたが、それ以外は、学級委員長を押し付けられるような、地味で真面目な生徒という印象だった。
だが、変装を解くと、眼鏡を外し、髪を解き放っただけで、周囲を圧倒する神々しさに目を奪われてしまう。
夕日に照らされて、今日はいつもより一層、ふわりと髪が揺れ、その美しさを増しているように感じられた。
本当ならば生徒は立ち入り禁止のこの部屋には、時計台の点検や補修のための作業道具だけが置いてある。そんな殺風景な部屋の中でこの天使は僕を出迎えてくれた。
「蓮くん、来てくれてありがとう」
笑顔で挨拶をしてくれたものの、僕らの間には、しばらく沈黙が流れた。
「せっかくですから、上まで登りましょうか」
「上ですか?」
この時計台には、一度だけあやかし退治で来た気がするが、その構造はもう覚えていなかった。戸惑う僕を、姫さまは有無を言わさず引っ張っていく。この主導権を握るのが姫さまだということは、いつもと変わらない。
鉄製の狭い螺旋階段は、時計台の中ということもあり、僕らの足音がやけに響いた。三階建ての建物ほどの高さを、ぐるぐると回って登るのは、それなりに骨が折れた。僕はまだ良い方だったが、僕の前を歩く姫さまは、途中で一度立ち止まり、肩で息をしていた。その時、僕の目の前で揺れる柔らかそうなお尻や、スカートから覗く太ももに、いけない気持ちを抱き、慌てて目を逸らした。
「到着です」
姫さまは嬉しそうに、目的の小部屋にたどり着くと、両手を広げ、子どものように喜んだ。そのまま奥まで歩くと、木製の窓を開け放ち、眩い光を室内に取り込んだ。
「綺麗ですね」
窓から飛び込んできた景色に、僕は思わず感嘆の声を上げた。時計盤を掃除するための、ただの作業部屋だと思っていたが、窓の外には学園全体と、美しい穴守の森が一望できた。夕日の光が右から差し込み、紅葉し始めた森と、赤みを帯びた校舎が混ざり合う景色は、幻想的で息を飲むほどだった。
「綺麗でしょう? 本当は、生徒は立ち入ってはいけない場所だけれど、私だけが知っているのは勿体ないと思って、仲間にも見せてあげたかったの」
「はい、ありがとうございます」
いつも通っている場所から、こんなにも素晴らしい景色が見られるとは思ってもみなかった。僕は素直に感謝の言葉を口にした。そして、僕を仲間だと言ってくれた事が、何より嬉しかった。
「それで……今日呼び出したのは……ね」
姫さまは僕の横に並び、話を切り出した。この景色を見せたかっただけではないことは、分かっていた。きっと、お別れを告げられるのだろう。『正義の味方ごっこは終わり。私には、もっと大切な公務が待っているから』そう言われる覚悟は、とっくに出来ている。視線は赤く染まった学園の校舎に向けられたままだった。自分の目が潤んでいることに気づいたが、そんな情けない顔を姫さまに見せるわけにはいかなかった。
「お願いがあるの」
「はい」
僕の方に真っ直ぐと顔を向けた姫さまに、僕は力強く答えた。
「お願い、聞いてくれる?」
頼みを口にすることを躊躇している姫さまは、どこかいつもと違っていた。僕らのリーダーである姫さまは、常に決断力があり、その言葉は絶対的なものだった。それは、生まれ持った威厳のようなものだと思っていた。イリーナがたまに突っ込みを入れることはあっても、姫さまが決めたことには、僕らはただ従うのみだった。
「え? はい」
思わず、僕も姫さまの方に体を向け直した。
「ほ、本当に? 何でもお願い聞いてくれる?」
ぐいっと一歩、僕の方に踏み込み、顔を近づけてきた姫さまの髪からは、なんとも言えない良い香りがした。夕日のせいで気づかなかったが、顔は赤く染まり、目は真剣そのものだった。
(もしかして、そういう話……なのだろうか?)
姫さまと釣り合うとは思えないし、残りの二人がいない時に、そんな話はないものだと決めつけていた。だが、どちらにしても、終わりは近いのかもしれない。仲良し四人組でいる必要も、もうないのかもしれない。姫さまは、そう考えているのだろうか。
(それで? 僕はどうしたい?)
自分に問いかけてみる。
「はい。もちろん。僕にできることでしたら、何でも」
僕の中の答えは、シンプルだった。今までも、姫さまの決断に間違いはなかった。僕なんかより、ずっとみんなのことを考えている。刷り込みに近い感情かもしれないが、僕が忠誠を誓うのは、姫さまだけだった。
「ほ、本当? いいのね」
姫さまが、こんなにも緊張している姿を見るのは初めてだった。息を吸い、決意を固めたのが分かった。もう、死ねと言われても受け止められるくらいの覚悟をして、僕は待っていた。
「わ、私と結婚してくれないかしら」
胸に手を当てた姫さまの声が、小さな部屋に響いた。
「え?」
予想もしていなかった言葉に、僕の頭は一瞬真っ白になり、表情も固まってしまった。そして、徐々に白くなくなってきた頭に、一瞬、残りの二人の仲間、イリーナと真琴の顔が浮かんだ。
わずかな沈黙の後、姫さまは、さらに戸惑う言葉を重ねた。
「半年、いえ、さ、三ヶ月でいいわ」
まるで値切るように、姫さまは三本指を立てて提示した。笑ってしまいそうな展開だったが、姫さまの瞳を見れば、それが真剣そのものであることが伝わってきた。
(ちょっと、僕の反応を試したのか?)
本当に結婚を申し込まれた時、どんな反応をするかを見てみたかったのだろうか? 結論から言えば、僕は少し戸惑ってしまった。
(これはまた、いつもの流れなのか……)
真琴から、どこかの家に嫁がされそうだから、婚約していることにしたいという頼みを何度か受けていたことを思い出す。
だが、今回は、そんな簡単な話ではない気がした。
「分かりました」
僕ははっきりと答えた。
「え? いいの? 理由とか聞かないの?」
「あっさりと説明できることなら、姫さまは、最初に説明してくれます。そうでしょ?」
「ま、まあ、そうだけど……」
「姫さまのこと、信じていますよ」
「……あ、ありがとう」
にっこりと笑った僕に、姫さまは微笑み返してくれた。目からは涙が零れ落ちていて、僕は生まれて初めて、嬉し泣きというものを目の当たりにした気がした。
とても良いことをしたような満足感と、姫さまに対する愛おしい気持ちが入り混じる。だが、それと同時に、先ほど想像していた事態よりも、遥かに深刻な何かがあるのではないかという不安が、僕を襲っていた。
泣き止むのを待っていると、静寂が部屋を包み、遠くで聞こえる学生たちの声だけが、夕暮れを告げていた。
「そ、それじゃあ、一緒に帰りましょうか」
「あ、はい」
いつも冷静な姫さましか見たことがなかった僕は、こんなに浮かれている姫さまを見るのは初めてだった。時計台の下まで一緒に降りると、姫さまは僕の方を振り返った。
「手を、繋いでもいいですか?」
上目遣いに、問いかけてくるこんな可愛い天使のお願いを、僕が断れるはずがなかった。
「いいですけれど……姫さま。変装しなくてもいいのですか?」
「うっ、でも今日くらいは良いわ。記念すべき日ですし」
そんなに記念すべき日だろうかという疑問はあったが、差し出した手を姫さまに掴まれると、そのまま校門へと向かった。
この時間、学園に残っている生徒は多くなかった。
しかし、全くいないわけではなく、今日の部活動を終えようとしている運動部員などから、好奇の目が向けられていた。
「あんな可愛い子、いたっけ?」
はっきりと声に出す、球拾い中の野球部員たちもいた。よだれを流しそうなほど羨望の眼差しを向けられているのは、悪い気はしなかった。
柔らかく温かい手の感触を抱きしめながら、僕は心まで温かくなり、学園の外へと出ると、姫さまの護衛官の姿が見えた。
「村重さん。今日は蓮くんと帰るので、護衛は必要ありません」
姫さまの護衛である村重は、門から少し離れた場所で、黒いスーツ姿で学園の壁に溶け込むように直立不動で立っていた。これもいつもの光景で、姫さまは顔を向けることなく、すれ違いざまに指示を出した。
「はい。その少年と一緒でしたら、安心です」
村重はそれだけ答えると、その場を動かず、軽く一礼をした。細身で、白髪が目立ち始めた、優しそうな初老の紳士といった印象だが、ただ者ではないことを僕は知っていた。何度も助けてもらったこの人に認められ、姫さまの護衛を任された気がして、僕の気分は高揚していた。
とはいえ、護衛が一人だけということはない。百メートルおきに、人の気配を感じていた。しかし、今日は、少し気配が違った。
(殺気だ……)
内心で冷や汗を流しながら、周囲に意識を集中させていると、隣を歩く姫さまが、僕の顔を覗き込んでいた。少し、心がここにあらずだったことを反省し、『何でもないですよ』というように、にこりと微笑んだ。
「手を繋ぎ直してもいいですか?」
「え、はい」
姫さまは繋いでいた手を少し離すと、僕の指と姫さまの指を絡ませ、恋人のように繋ぎ直した。ちらりと横の姫さまの顔を覗き込むと、まるで、これくらい何でもないですよというような澄ました顔をしていた。しかし、頬のあたりが真っ赤になっている姫さまは、この上なく可愛らしかった。
次の瞬間、殺気が増したのが分かった。姫さまと仲良く歩いて行くと、百メートル間隔で、別の殺気を感じることが出来た。
(他の護衛の人たちか……。まあ、小さい頃から大切に守ってきたお姫様が、こんな素性の知れない男と手を繋いでいたら、無理もないか)
あからさまな嫉妬は怖かったが、姫さまを守っているのが、村重さんのような感情のない戦う機械のような護衛官ばかりではないことに、少し安心もしていた。
「送っていただき、ありがとうございました」
坂道を登ると、宮家に隣接する道路に僕らは到着し、姫さまは少し申し訳なさそうに礼を言った。ただ、あまりにも家が広いので、正門まで行くには、ここからまだ、かなり歩かなければいけなかった。
送ってきたというよりは、引っ張られてきたという気がしたが、姫さまが嬉しそうなので、特に何も言わないでおいた。
「ところで、蓮くん」
「はい」
「蓮くんの保護者は、どなたになるのでしょう?」
僕の両親が、かなり昔に亡くなっており、天涯孤独の身であることは、姫さまも良く知っている。
「え、美鈴さんになりますけれど……姫さまも、何度か会っている方だと思います」
「……あ、あの寮母さんですか?」
しばらく考え込んだ後、慌て出す姫さまだった。
そういえば、イリーナたちと一度、追い払われたことがあったと思い出す。
「はい。美鈴さんは、寮母で、孤児院の責任者でもあります」
「そ、そうだったのですか」
「それが、どうかしたのですか?」
少し緊張しているような表情の姫さまを、僕は覗き込んだ。
「い、いえ、何でもありません。では、週末に、結婚のご挨拶に伺いますので、よろしくお伝えください」
姫さまは手を離し、僕の方にしっかりと向き直ると、少し慌てた様子で深々と頭を下げた。
「え」
既に僕たちは、宮家の正門前に到着していた。僕は、十人以上の嫉妬からくる、本気の殺気を感じていた。
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