追記② 愛しい姉へ(アイグラム視点)
アイグラム=ファン=ベルケンは公爵家嫡男として生まれた。
母親譲りの金髪翠眼で、美少女に間違えられるほどの女顔だ。
まだ12歳という年齢で成人前ということもあり、身長もそれほど高くはない。
それでも幼い頃から、4つ年上の姉を守ると父親に誓うくらいには男気に溢れている。
そもそもファン=ベルケン公爵家は思い込みが激しい。一途といえば聞こえはいいが、一度暴走したら止めることは難しい。それは父である公爵に数々の逸話とともに名付けられた異名からもうかがい知れる。
同じ血を自分も確実にひいている。
アイグラムの4つ上の姉は、信じられないくらい美しい。この世の者とは思えないほどの浮世離れした美少女だ。同じ金色の髪は金糸のように滑らかで、透き通るほどに白い肌に、女神に愛されたかのような整った顔立ちをしている。何よりも特筆すべきなのは、呪い子と呼ばれる異なる2色の瞳だ。こぼれそうな大きな瞳をしているが、金と翠の色で見つめられるだけで神々に見透かされているかのような厳かな気持ちになる。
信じられないほど神秘的な姉が呪い子などと呼ばれるのは我慢ならない。そのため、アイグラムはいつも周囲に気を配っていた。心優しい穏やかな姉が少しでも傷つくことがないように、注意を怠らない。姉を守るのは自分だと自負していた。
それが一変したのはとある年の馬術大会のときだった。観客席にいたはずの姉が、ふと目を離した瞬間にいなくなっていたのだ。慌てて探しに行き、暴れ馬に襲われていたところを目撃してしまった。駆け出したが間に合わず、たとえ間に合っていたとしても姉よりも小さな自分に助けられたとは思えなかった。それでも体は動いていた。絶望的な気持ちのまま。
そんな姉を颯爽と助けたのは、騎士の恰好をした男だった。さきほどの早駆けにも出ていたので、アイグラムも名前くらいは知っている。
ジルクリフ=ベルツ=ファーレン。
同じく公爵家の三男で、騎士団に所属している。鮮やかに助けられた姉はそれ以来、その男の話ばかりになった。
自分と同じく女顔なのに、少しも女のように見えない。むしろ整った容姿は美貌の公爵三男として有名だ。馬を走らせれば右に出るものはいない。剣の腕もたつ男で、国王からの信頼も篤い。おおよその欠点と言えるのは信じられないくらいの馬好きだというくらいだ。
大好きな姉を取られた気持ちになったけれど、姉が勝手に舞い上がっているだけならばそれほど憎い相手ではなかった。
だが、姉との結婚が決まった時、被り物を欲した姉の言葉に、一瞬で憎悪がわいた。
姉の美貌が恥ずかしい、とでも言いたいのか?
被り物で横に立ってほしいなどと、許せることではない。呪い子など迷信だ。異なる2色の瞳をした者は顔を隠さなければ妻として迎え入れられないとでも言いたいのか。
なにより大事な姉だ。
それを傷つけられて、笑顔で受け入れることはできなかった。
二人の結婚は認めないと、固く誓った。
結婚式にも出なかった。
だが、社会科見学で牧場にやってきたときに、見たくない姿が見えて顔を顰めた。嫌がったのに、マリーに腕を掴まれて引きずられた。
「あの、ジルクリフ=ベルツ=ファーレン様ですか?」
「ああ、そうだが」
赤茶色の髪をしたユリウスが薄い青色の瞳をキラキラさせながら憎い相手を見上げている。その横にいた金髪のマリーが同じく憧憬の瞳を向けているのも見えた。
「僕、ユリウス=ヂェ=ルクと申します。こちらはマリー=ホル=アッシェントです。ジルクリフ様は、寮監のマクシムを覚えておられますか?」
「マクシム、懐かしいな。まだ寮監をやっているのか?!」
ユリウスが告げた名前は寮監だ。やや禿げかけた中年太りの小柄な男で、いつもイライラしていて、寮生をいたぶるのが大好きな小者だ。
ジルクリフの驚きの声に、ユリウスが興奮したように名前を叫んだ。
「では、あの暗黒寮生の噂は本当ですか?」
「暗黒寮生?! なんだ、それは?」
「寮の食材を盗みだして売りさばいたとか、部屋中を黒一色に染め上げたとか、階段に油をまいて寮監を突き落としたとか、風呂場に蛙を放って一晩寮監を眠らせなかったとか」
「ジル坊はやんちゃだなぁ」
「まあ、学生の頃ですし…」
牧場の経営者風の男が、感心したように声をあげる。ジルクリフが苦笑しながら頷いている。
「本当なんですね! 僕たちはあなた方を勇者と称えて日々を頑張っているんです」
「あ、ありがとう?」
ユリウスが握手を求めて、ジルクリフが戸惑いながら手をとっている。騎士になりたい彼はその思いを熱く語っている。嬉しそうな様子に、姉の姿が重なってますます憎悪がこみ上げた。
この男はありもしない迷信を信じて、妻に猫の被り物を被らせるような最低な男なのだと罵りたいのをぐっとこらえる。
「今年も馬術大会が近いですが、もちろん出場されますよね」
「ああ、今日も調整にきたところなんだ」
「そうなんですね。応援しています」
「くだらないな」
「アイグラム、その態度はよくないよ」
思わず漏れ出た声に、ユリウスが窘める。横にいたマリーも同意した。
「そうよ、失礼だわ。いくらジルクリフさまがお義兄さまになられたからって。身内になっても礼儀は守らないと…」
「僕は認めないからな!」
ジルクリフがきょとんとした視線を向けてくる。会ったこともないのだから、自分の顔など知らなくても当然だ。だが、自分の顔は少しだけ姉に似ている。姉ほど整った顔ではないが、姉弟だとすぐにわかるほどには似ているのだ。それなのに、目の前の男は気づきもしない。
アイグラムの怒りはますます膨れ上がる。
「僕はアイグラム=ファン=ベルケンだ、絶対に義兄上だなんて呼ばないからな!!」
堂々と宣言すると、ジルクリフががばりと抱き着いてきた。
「心のオアシスよっ」
意味がわからない。
暴れても鍛え上げられた腕はがっしりとしていてびくともしない。
大きな手の感触が背中に回って相手の大きさを実感する。
これが姉を守れた理由かと思えば、悔しくなった。と、同時になんだかかっと顔が熱くなる。
「いい加減、離せよっ!」
腕を振り回すと、あっさりと彼は離れた。こちらは肩でぜえはあと大きく息をしているというのに、ジルクリフは余裕綽綽だ。
「お、お前、いったい、なんのつもり、だ…っ。僕に取り入って、どうする…?!」
大人の男の包容力にドギマギする。嫌いだと宣言したところで相手は堪えた様子もない。いっそ色気を孕んだ微笑を浮かべてまっすぐに視線を向けられるだけ。それが、心臓に早鐘を打たせている。
眼を白黒させて混乱していると、ジルクリフは素直に謝った。
「すまん、ようやく会えて感動してしまった。こうして会うのははじめましてだよな? 結婚式では見かけなかった」
「どうして参加するんだ。僕は認めてないって言ってるだろ」
「ああ、それでいなかったのか…」
「とにかく、姉さまにはこの結婚をやめるように毎日、手紙を出しているんだ。そのうち、離縁状を叩きつけられるはずだから覚悟しろ」
「そうか、えらいな! よく頑張ってるよ」
ジルクリフがなぜか優しげに微笑んで、頭をよしよしと撫でてきた。
「バカにするなっ」
ぱしんと手を払いのけて翠色の瞳で鋭く睨みつければ、彼はしげしげと瞳を覗き込んでくる。そんな時に、声が上がった。
「なにやってんだっ」
「危ない、離れろっ」
近くにいた大人が怒鳴っている間に、ジルクリフは駆け出していた。
馬は柵の内側で暴れているが、すぐ手前には数人の学生の姿がある。危ないと思ったときには、ジルクリフが馬の近くで硬直している子供を引きはがした。
馬は暴れて足を何度も振り上げ、いろいろなものを蹴り飛ばしている。やや離れた位置まで子供を抱えておろすと、すぐに戻って馬を宥めた。
体躯を優しく叩いて、落ち着くように声をかける。
脱力した学生に牧童の恰好をした男が話を聞いている。大きな声をあげてしまい、馬がその音に驚いてしまったようだった。あっさりと馬を宥めた手腕は、あの日の馬術大会で姉を助けたときと同じだ。
助けた少女に見向きもせず、馬ばかり構っていた。愛情深い瞳を馬へと向けて、語り掛けている。そこに経営者風の男がゆったりと向かう。二人は何事もなかったかのように穏やかに会話をしていた。
「すごいわね」
「本当に格好いい。今日はお会いできてよかったよ」
マリーもユリウスも興奮したように感嘆の息を吐いている。
「あんな男のどこがいいんだ」
「もう、本当にシスコンなんだから。いい加減、姉離れしないと大好きなお姉さまにも呆れられるわよ」
「君とは違って姉は優しいんだ」
断言すれば、マリーは呆れたと言わんばかりに肩を竦めた。
「アイグラム!」
「呼び捨てにするな!」
なぜか名前を呼ばれて、即座に怒鳴り返す。
「休日にはいつでも家に遊びにこい、姉さんにも会いたいだろう?」
「――っ、お前の許可なんか…っ」
許可がなくても姉には会う。だが確かに姉がいるのはベルツ=ファーレン公爵家だ。きっぱりと否定したいができないジレンマにアイグラムは唸るしかないのだった。
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