第3話 お守りの効果


「あら、あなたが噂の新人さんね。医院長先生から聞いているわ。いつもうちの子がお世話になっているの。これからよろしくね」

「はじめましてかな。俺は毎月フードを買いに来るから覚えておいてよ」

「あ、こんにちは。、可愛いですね。羽賀先生の手作りかな」


 年老いた夫人も、中年の男性も若い女性も薫を見るとにっこり笑って話しかけてくれた。それは全て、羽賀お手製ののおかげなのだろう。

 薫は自らの胸元を飾るネーム札を指先で撫でた。百均で購入されたと思わしき札にはデカデカと〝新人さんだよ。お手柔らかに〟という文字。余った空白部分には、犬と猫と思わしき動物が書かれていた。

 若い女性の言う通り、羽賀が徹夜で作ってくれたものだ。いくつか作成し、その中でも力作のものを選んだらしい。

 だが、清水と浅野はそのファンシーさに「これはない」と顔をしかめていた。ちなみに薫も同じ気持ちだった。イラストもそうだが、カラフルなペンで更に丸文字で書かれているのも相まって、成人済みがつけるにはいささか勇気がいる。

 しかし、徹夜してまで作ってくれたものを無碍むげに扱うことはできず、なにより、


「これはお守りなんだ。うちの患者さんはおおらかだけど、これをつけたらもっとおおらかになるよ」


 という羽賀の言葉があったため、薫はつけることにした。

 羽賀の言う通り、受付に訪れた患者達の大半が薫の顔を見て、次にネーム札を読むと笑いながら話しかけてくれた。

 そのおかげで出勤当初に感じていた不安はだいぶ和らいでいた。

 何組か受付をして、掃除をして、空いた時間は清水や浅野の動きを観察する。パソコンの操作方法にレジ打ち、電話対応など。

 時間も十二時を回る頃、パソコンを操作していた清水が思い立ったように振り返った。


「東堂さん、お会計やってみる? いいよね、佐藤さん」

「あら、新人ちゃんがやってくれるの? 嬉しいわ」

「私じゃ嬉しくないのかしら?」


 からかうように清水が笑うと佐藤と呼ばれた老人はくすりと笑みを返す。その腕の中にいたマロ眉が可愛らしい黒毛のチワワもそっぽを向いていたのに、ちらりと視線を送ってきた。


「あらあら、清水さんも嬉しいわよ」

「ふふっ、知ってる。じゃあ、お会計の間、ケンちゃん預かっていようかしら」

「あら、よかったわね。ケンちゃん、お姉さん大好きだものね」


 チワワ——ケンちゃんを受け取り、その柔らかな毛を指できながら清水は「まずわね」と続ける。


「診察に使うタブレットとこのパソコンは連携してあってね。画面の左上、……うん、そこの検索欄に佐藤ケンちゃんの診療ナンバーを打ち込んで。そう、診察券に記入されているやつ」


 カウンターにはパソコンとレジが並んで設置されている。パソコンの前に立った薫は言われた通り、専用のアプリの検索欄に佐藤ケンの診療ナンバーを打ち込んだ。


「次に保留中のカルテを開いて」


 マウスを動かして開くと今日の診察した内容とその費用がずらりと並ぶ。その下に表示されている総額をレジに打ち込み、小計を押すと、飼い主側に金額が表示された。


「可能な支払い方法は現金とカードの二種類だから飼い主さんに確認してね。佐藤さん、今日も現金払いでいい?」

「ええ、五千円でお願いね」


 トレーに乗せられた金額を確認してから預かり金額をパソコンに入力し、現金支払いを押した。表示された返金額をレジから取り出し、次はパソコンで診療明細書を印刷する。


「えっと、おつりと明細書、お返しします」

「ありがとう」


 佐藤が財布にしまうのを見ながら、薫は肩の力を抜く。一連の作業は単調で、何度も横から眺めていたが、いざ自分がするとなると緊張がすごい。


(もう少しスムーズにしなきゃ。後でパソコンを触らせてもらって、どこになんの項目があるのかも確認して……)


 ケンちゃんを抱き抱えた佐藤が出ていって、今の自分のレジ打ち対応を思い出していると、とんっと誰かに肩を叩かれた。振り返ると清水が手を振って笑っている。


「最初は緊張するよね。でも、いい感じだったじゃない」

「緊張しました。もう少し早くお会計できるようになりたいのでパソコン触ってもいいですか?」

「いいけど、もうお昼だから入ってきたら? 休憩終わってから触るといいわ」

「はい。あっ、でも掃除しなきゃ」


 午前の診療を終えたら各診察室と待合室、玄関、トイレを掃除する必要がある。三人だけでは大変だろうと薫も名乗り出ると清水はからからと笑った。


「掃除っていってもロボット掃除機があるから大変じゃないの。私達がすることって診察台や椅子や扉の取手とか、ロボットが触れないところを拭くだけだし。今日は初日だし、疲れたでしょう? 午後の診察に備えてゆっくり休んで」

「〝僕達、手術とかあるから二時間ぐらい休んでいいよ〟って東堂さんに先生から伝言。伝え忘れるとこだった」


 薬の補充をしていた浅野が医局からひょこっと首を出した。


「休憩室にはテレビや雑誌あるから自由に使ってください。スマホの通信料が怖いならWi-Fi繋げてもいいんで」

「Wi-Fiのパスってどこ貼ったっけ?」

「パソコン横に置いてある機械の裏に書いてあるはず」

「……あ、本当だ。東堂さん、ここ見て登録しちゃってもいいからね」

「病院のWi-Fi使うと閲覧履歴残るから、嫌ならシークレットモードにした方がいいですよ。先生って陰湿じゃないけど、気をつけるに越したことないから」

「え、見られるの?」

「姉さん、知らなかった?」


 とんとんとテンポよく交わされる姉弟の会話は終わる気配がない。このまま待てばいいのか、休憩に入ればいいのか分からず、薫が大人しく待っていると通りすがった羽賀が声をかけてきた。


「その二人の会話に付き合ってたら、お昼休憩がなくなっちゃうよ。清水くんは手術が終わらないと休憩できないし、浅野くんもトリミングの予約が入ってるんでしょ? さあ、話はこの辺で終わりにしよう!」


 よつば動物病院では、昼の十二時から午後の診療が始まる十六時まで、表玄関を閉めている。一時間の休憩が終わったら、羽賀と清水は手術に、浅野はトリミングの仕事に就くのだが、本日は急遽、薫が職場体験をするため羽賀と清水は先に手術を終えてから休憩をとるらしい。


「はい、じゃあ解散!」


 そう言って立ち去った羽賀の背中を、三人は揃って見つめ、お互いの顔を見合わせる。


「話しすぎちゃったわね」

「だね。俺もこれ終わったらやることないし、休憩入らせて貰うよ」

「了解。私は手術の準備してくるわ。東堂さんは休憩してね」

「お先に休憩失礼します」


 それぞれ持ち場へと戻っていく二人を見送った後、薫は休憩室へと向かった。

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