第17話 赤:月の色は八人八色





 ライレンが倒れる……!

 とどめを刺すなら今しかない。


「ナイフを突き立てろ! やれ!」


 三人がうなり声をあげながら私のそばを離れ、ライレンへ飛び掛かる。

 崩れ落ちた獲物に群がり、ナイフを振り下ろす――!


「……」

「ん、なに……!?」


 ぶつりと操り人形の糸が切れたみたいに、三人は地面に横たわる。

 ナイフも落として……少しも動かない。

 魔法が解けたって感じ。魔法ってよりも冒涜的な呪いの類だが。


 ライレンが死んだ?


 いや、自ら法眼の繋がりを切ったのか。

 元の死体に戻るってことは、私の赤い糸もこれ以上維持するのは無駄だな。

 指きりのように絡めた小指を切り離すイメージを創る。

 それだけで、三人の縛りがあっさりとほどけていく。


 教えて欲しかったくらいだが、今ので個別切りは覚えたしいいや。

 つまりもう用なしってワケだ。恨みはないけど……取り除かないと。


 ライレンは私を見上げた。倒れ伏せるのは恥と言わんばかりに、

 胸とお腹の傷をかばいながら、立とうとしてうずくまった。

 ……そりゃあそうだ。どうみても重傷。ほっとけば死ぬってくらいの。


「信じ、られん……俺の支配下に置いた、者を……乗っ取って、う、奪うなど」

「ちょっと違うよ? 別にそんな大したことしちゃいない。四人同時に操るってのは無理だった。私がやったのは、死体の命令をほんの少し書き換えただけ」


 あの瞬間。私の身体に手が触れる寸前。

《炯眼の娘を襲え》という命令を《ライレンを襲え》とその対象だけを全力でねじ曲げた。

 ライレンは気付きもしなかっただろう。私を押さえるのに集中していたし。


 生きた人間なら、もう少し時間がかかって危なかったかもしれない。

 動く死体にはすんなり上手くいった。かなたぶん。


「その、鎖骨の傷。思ったより……深手だったのだな」

「……そうね。目が見えなくても、戦っていたらやられてた」


 深手っていうな。辛いし傷付くわ。

 右腕が上がらないんだよさっきっから。

 頭ン中を炯眼でいじくってあるから、痛みはそんなに感じない。血も流れにくく、止まりやすくしてるんだけど……そうか、深い傷なんだな。


 固まりかけの血を煮立たせ、両手に爪を再構築する。

 片方はフェイクだけど、飾りには十分。

 一応警戒しとこうか。どっかからまた刀だの槍だのが飛び出すかもしれないし。 

 ……そんな見苦しさとは無縁に思えるけどね。


 ライレンの目が丸く見開かれる。

 自身を引き裂く爪を前にして、恐怖ではなく思考から来る戦慄って感じの。


「爪……? そうか。あの時、俺をわざわざ素手で、叩いたのは……」

「もう武器はないですよーって合図。爪で胸はえぐれたかもしれないけど、反撃で確実に殺されていた。でも丸腰なら、――そう思ったの。死んだ部下を動かしてくれることを期待したわ」

「……そんな、か細い……勝機に、頼って……。お、お前は……」


 一縷の望みってわけじゃなかったよ。

 あんたには癖があった。そう……魂に染みついたような癖。


 私が、どんな理由だとしても子どもたちを傷付けないように。

 あんたは

 しっくりくる職種はすぐに思いつかないけど……

 孤児院とか、教会の神父さんとか。そんな漠然としたイメージ。


 見守って来た人たち。そこに私も含ませてくれていた。


 まあ、私も子どもに同じことをされたら、何もできなかっただろうね。

 癖は簡単に直せない。だからこそ私は、信頼して武器を手放すことができた。

 それがあなたの敗因。


「……大した女だ」


 ライレンは視線を地面に落とす。

 口からの血も吐き尽くした。抵抗の意志は感じられない。


 観念した?

 首を晒すようにして……なんだろう。

 罠にかかった鳥みたいな。暴れずにじっとしている。


 私に戻る道はない。

 この人を殺しても、殺さなくても帰れない。

 でも排除しなきゃ……私の残した日常に入って来ちゃうなら。


「……」

「……」


 何か言えよ。やりにくいよ。

 それか勝手にくたばる寸前か?


「……カハ、ハ……帰命きみょう頂礼ちょうらい……我が成す……道をッ……!」


 絞り出すような叫び声。

 右手を薄緑の刀に変えて、ライレンが私の首を狙う。

 ひねりも溜めもない、振り回しただけの……見苦しい攻撃。


 遅い。

 今度は確実に、私の爪の方が命に届く!




「わう!」




 聞き覚えのある吠え方。

 ライレンの鈍い太刀筋を見切り、躱してから炯眼を一瞬だけ向ける。


 シロと……遅れてコウちゃんが来る。

 大変だ。





 力を込めて爪を構え直す。

 目の前にいるはずのライレンは……姿を消していた。





 *  *





 ……いない。嘘でしょ!? 

 いや、そもそもあの傷で移動できるわけない!


 炯眼を燃やして辺りを見回した。視界は赤く機能している。

 私の目はおかしくされてないようだ。近くにいることだけは分かる。


 ……身を隠せるくらい動けるんだったら、あのふざけた攻撃はなんだったんだ!? ライレンがその気だったなら――私の首は、ねられていた。

 シロが吠えて、私を助けてくれたのか?


 走り寄るシロを見る。

 さっき自宅でいた時よりも、弱っているような気がする。


「シロ!」

「わう……」


 シロの頭を撫でようとして、その灰色の瞳を見た。

 細いツルのような緑の線が、シロの瞳に繋がっていた。


「見誤ったか? ……浅はかな真似を」

「ライレン……!」


 緑の線を追うように塀を見上げる。真っ赤な月を背にしてライレンが平然と立っていた。法眼が輝きを放ち、か細いツルを伸ばしている。


「確かめねばならんことが出来た。白はお前に預ける……命のやり合いもな」

「なんで動ける!? なんで、私に……殺されようと仕向けた!」

「俺の法眼は形あるもののことわりを自在に変える。ましてや己の身体の傷……戻すのは容易だ。死ぬにはいい日だと思ったんだがな。どうもそうはいかぬ運びとなりそうだ。野暮用が済み次第、早ければ明日にでも白を貰い受けに伺おう」


 なんだよそれ。命をなんだと……ふざけやがって。

 それにシロを預けて、貰いに来るだあ?!

 くされチート野郎が。


「勝手なこと……!」

「申し訳もない。だがそちらにお迎えが来ている以上、一緒にいる方が不都合ではないかね? 邪魔者は退散するとしよう」

「月ごとくたばれ……さっさと切り裂いておけばよかったわ」

 

 ライレンの口端がくく、と歪んだ。

 月に逃げ帰るよう背を向けると――そのまま闇夜に溶けていった。


「メグ! どこだ!?」


 ああヤバい、コウちゃんだ。

 肩のケガのこと絶対言われるぞどうしよう。

 と、とにかくこの路地は切り抜けて曲がらないと。たくさんの血痕と三つの遺体を見せたらコウちゃんの心臓にとても悪い。

 

 急いで炯眼を消し、爪も血液に戻す。

 ……うわ、全身血まみれじゃん私。け、炯眼で血を集めて吐き出すか? それなら服以外はだいぶマシに……わわ駄目だ時間がない! 


「……メグ」

「聞いて、大丈夫だよコウちゃん。だいじょうぶだからダイジョウブ」

「なに言ってんだバカ! 大丈夫か!?」

「もちろん……っとと」


 緊張の糸が切れたのかふらついた。

 コウちゃんに手を引かれて抱き止められる。


 ちょっ、コウちゃん! 血、血が付いちゃう!


「……ちくしょう。誰にこんな……メグがなにしたってんだよ」

「あはは……その、不運って重なる時はものすごいみたいで……わ」


 ぎゅっと力が込められて、ひょいと横向きに抱っこされた。

 怒り呆れ焦り。悲しみ後悔、自己嫌悪。

 コウちゃんの心配するにおいが、ぐちゃぐちゃと乱れていく。 


「このまま運ぶ。今度は俺が手当てしてやるっ! 安心しろよ」

「ありがとう……コウちゃん、傷は治りそう?」 

「……ああ! 心配すんな。そんなに深くねえよ。メグは寝ててもいいぜ。疲れたろ? ……全部俺がやっとくからさ」


 嘘のにおいがする。優しい嘘の。

 コウちゃんに救急車を呼ぶ、っていう発想が無いのは……傷の深刻さは置いておくとして、私に対人恐怖症の反応が出るかもってことを加味してるんだろう。傷に構わず狂乱して暴れれば、命に係わるって。


 わわ、私のことを心配して、大好きだって想ってくれてる!

 いや友だちの、友愛のにおいだけどねぜったい!

 あ、あ、驚いた。こんなにおい嗅いだことないし勘違いしそうになるよ。


「……いい匂いだなあ」

「ん? 痛むか? 家まですぐだからな」


 ずうっとずっとこの瞬間が続けばいいのに。

 前を向いたコウちゃんの顔がすごい近くに感じる。


 私の日常で、ずっと見てきた顔。

 でもコウちゃんは、私の方へ向いてはくれなかった。

 高校の時はみぃちゃんを見ていたからね。今も、きっとそうだ。


 炯眼がじりじりと熱を帯びる。


 どうせ戻れないのなら。

 少しくらい胸に秘めていた思いを遂げたっていいんじゃないか?

 炯眼で……何もかも思いのままなんだからさ。


 最後くらいコウちゃんに愛されたい。

 私は一度だけでも、好きな人に――愛して欲しかったんだ。


「……コウちゃん」

「どうしたメグ?」

「私を見て」


 くるくると赤い糸が巻かれ、コウちゃんと私の結びつきを強くする。

 目と目を合わせ、精神に命令を焼きつけていく。


 コウちゃんの優し気な顔つきが変わり、ぼうっと空を見上げ立ちつくす。

 するりと抱えられた両手を抜けて、コウちゃんの横を通り過ぎた。

 シロが私の後を追うが、まるで気付きもしない。


 今日のことも、もう忘れてる。いま何をしていたのかも。

 これで明日から怖ろしい非日常が混じることはない。

 小指を軽く握りこみ、繋がった赤い糸を引きちぎる。


 さようならコウちゃん。


 しばらく月でも見ていなよ。きれいな月でしょ?

 私にはとてもそうは思えない。さび付いた十円玉よりも汚れた色だ。


「行こっか、シロ?」

「わう」

「どこへ行こうかな」


 行きたい場所。向かいたい場所はない。

 何を目指したらいいのかも思いつかない。 


 このまま生きて、足掻いて、苦しみながら生きようとして。

 魂が燃え尽きるまで生きることに……なんの意味があるんだ?

 道の先は暗くて見通せない。そして終わりもきっと暗いままだろう。


「どこまで行けばいい? シロ」

 

 月はまだそこにある。夜明けはまだ遠い。

 朝が来たって、私は変わらない。世界が続いていくだけ。

 

 この世界に私たちの何が必要なんだ?

 誰が必要としてくれる?

 

 中学生の時、誰もが思い悩むような孤独と疑問にまたぶちあたり、もう一度付き合わなきゃいけないみたい。さみしくて辛くてしにそうになるんだけど、まあ気持ちだけの話で――それだけだ。

 



 行くしかない。いけ折原恵。

 私が諦めない限り……誰も私を絶望に染めることはできない。



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