第3話『セントラルミッドケリ』
登った朝陽に、遅れてきた眠気で大欠伸をしていると、車窓の外にセントラルの城壁が見えてきた。思わず車窓開け外に体を乗り出す。顔に強く風が当たったが、そんなものは気にもならなかった。セントラルミッドケリ。大陸全土から大衆が集まるトゥルークルースの主要都市のひとつ。巨大で高い城壁で囲まれた街並みは、最新の魔法を駆使した近代都市が広がっている。人々がひしめく豊富な人的資源で物流、経済、教育の三本柱でこの都市の中枢は成り立っている。職を求めて上都する多くの人にとって、最初に訪れる街の代表格だった。その甲斐あって街は人に夢を見せるために、ありとあらゆる方法で世界を良くするための仕事にあふれていた。
列車を降りるとキロットはまず、売店で最新のクイーフト(キャリア)が発行しているガイドブック「ルナリアン」を買った。ルナリアンはグランドイーストでは手に入らない、セントラルの情報の塊だった。地図に電話帳、路線図やおすすめの店を音声ガイドと共に紹介してくれる他に、日々更新されるニュースや気象情報なんかも網羅している。本の形をしているが、魔力がたっぷりと宿っていて、写真は動画で見れるし、乗っている料理には匂いもある。情報が更新されるたびにページ常に新しいものに変化し、クイーフトの情報基地局があれば、その街々に行くだけでルナリアンが自動的に情報を拾い、機能がアップデートされる。まさに一家に一冊あってしかるべき必需品だ。多機能の利便性から。その分値は張るが、セントラルに来た者は誰もがこれを購入する。学ぶときは本でというのが基本スタンスになっているトゥルークルースの人々の世界でルナリアンは広く使われていた。もちろん他社の発行しているルナリアンと同機種の本も多数あったが、キロットは買うならクイーフト製と決めていた。その決め手は何と言ってもその厚さ。この世界でよりよく生きていくには、最新の情報をいち早くキャッチすることと、知識を読み深める探求心が不可欠だった。キロットの家には本屋敷といえるほど山積みになった本があり、文字通り蔵書に埋もれてきた日々を送っていた。その中の本はすべて読み終えて、繰り返し読むことでキロットの人格を形成し、また新たな渇望を生んだ。知識欲というものには終わりがない。新たに知ることで脳は活性化され、蓄積された知識は魔法にも影響がある。
より事物を具体的に詳細を知ることで魔力の質は向上する。魔力を構成しているのは、想像力、精神力、集中力が大きく関係しているといわれている。イメージするものが具体的であればあるほど、それが及ぼす力の影響が伴う。それを操る精神の起伏。激しく感情を抱けばそれだけ威力は増していく。それらを神経をとがらせ集中して扱うことで魔力は真価を発揮する。身体的な運動能力よりも内面の力が影響しているので、魔力を扱う人たちの個性は様々だ。積み重ねてきた人生の厚み、濃度によってキャリアが飛躍する。高位の者にはそれだけドラマティックな生き方があった。
キロットはまず腹ごしらえをするために、グルメ情報が載っているページを開いた。魔力をちょびっとだけ宿してやると目的のページがひとりでに開く。パラパラとめくられていくページからだんだんと良い匂いが漂ってくる。キロットは「クゥ~」と頼りなく鳴くお腹をさすりながら、次々とページを捲った。ルナリアンには女の子向けの最新のスイーツが、我先にと紹介されていたが、今はガツンと腹に溜まるものが食べたかった。そこで小麦粉と水と卵を練って混ぜ合わせて平たくして細く切ったものを、お湯で湯がいて野菜と濃い味のついたスープに入れる『ラーメン』というものを食べに行こうと決めた。場所もここからすぐそこをいったところにあって、値段も手ごろでお手軽そうだった。
早速ルナリアンの案内の元お店を訪ねる。そこは小さな小さな屋台だった。屋根もおんぼろで所々に穴が開いていて、とてもお店をやっている風には見えなかった。時刻は早朝。まだお店がやっていないからなのかもしれないとキロットは思ったが、自分で選んだにしても不安が募る。ルナリアンのグルメサーチでは星が5つも着いていて確かな評価があるのだが。他の店を選び直してもいいのだが、キロットは何となくそこの店に入ってみることにした。「すみません」
暖簾をかき分け中を窺う。そこにはいかめしい顔つきの店主が一人仕込みをしていた。
「開店前」
ボソリとつぶやく店主の眼光が鋭くて怖い。キロットは逃げ出したい気持ちでいっぱいになったが、上都してすぐに臆して逃げ出すような真似はしたくなかった。
「ここで待っててもいいですか? 良い匂いがしたもので、上都したてで初めて食べるものは飛び切り美味しいものが良いんです」
「好きにしな」
またボソリと聞こえるか聞こえないかくらいの声で店主が言う。椅子はない。立ち食いのようだ。店主が野菜をまな板を三枚使って切る。真ん中のまな板上では自分の手で包丁を持ち、左右には魔法で操った包丁が宙に浮いている。その三本の包丁が瞬く間に野菜を刻んでいく。次々に野菜を消化して、あっという間に次の作業に入っていた。流れるようにタレがどんぶりに仕込まれる。それはこれから来る客を見越しての作業。熟成された魚の匂いのする黒いたれだった。決して広くない屋台の隅々まで使って、開店の準備はなされた。渦を巻いている白とピンクの練り物に、内陸のグランドイーストではみない青黒い海苔。身がはち切れそうな茹でたコーン。火を通したもやし、キャベツ、ニンジン類。そしてキロットの涎が全開になる飴色の良い匂いを漂わせる豚の丸煮。キロットの腹の虫がけたたましく鳴った頃には外に行列ができていた。店主が腕時計を見る。秒針が12を指して、「らっしゃい!」と野太い店主の掛け声で店が開店した。
「ごめんよ」キロットは後から入ってきた厳つい男たちに押され、屋台の隅に追いやられた。ぎゅうぎゅうになっても屋台の中には6人しか入れなかった。それを見定めて、店主が極太の麺を湯に投入する。メニューは一つしかない。注文を取ることさえ、野暮なような気がした。水もない。ただ黙ってラーメンを待つのみである。麺が茹で上がるのを待っているうちに、店主がどんぶりに手を翳した。ボソリと呪文が唱えられ、手から熱波が生まれどんぶりを温めた。そして黄金色の芳馨なスープが注がれる。麺を投入したのも魔法を使って同時に六つ行ったので、出来上がるのも6人分同時だった。店主が取ってのついた二つのザルを両手に持ち、残りは魔法で浮かせて湯切りをする。それは一種の技を見ているように華麗だった。野菜の上にコーン、練り物が添えられ、どんぶりの縁を隠すように海苔、厚めに切られた豚肉の塊が乗って完成だった。どんぶりが流れるように客にいきわたる。キロットは用意していた割り箸を綺麗に割ると未知の料理に心をときめかせた。まずは香り。どんぶりを近づけ鼻からその香しい香気を吸い込む。複雑な野菜の甘い匂いが鼻から喉、肺にかけて満たす。どんぶりをもう一度カウンターに置きなおして蓮華を手に取り、スープを口に含んだ。滑らかな舌触りと、塩味、コク、そして香りが爆発した。魚介のえぐみも全くなく、旨味のみを抽出し、絶妙なバランスで煮込まれた野菜のエキスと混ざり合い、混然一体となっている。麺を箸で引き出す。卵色の極太麺。箸に伝わる弾力だけで分かるモチモチ感。ふーと息を吹きかけてやると、纏っていた湯気が揺らいだ。一息に啜る。極太麺に極上のスープが絡み合い、啜る勢いが止まらない。途中で噛み切らず頬張り、口の中で味を楽しむ。
―――旨いなぁ。
涙が出るほどにラーメンは美味かった。スープの最後の一滴まで飲み干して、キロットはハァーと感嘆を吐いた。お代を払って大満足で屋台を出る。するとあの夜に会った、黒衣の魔導士が行列に並んでいた。
「お、君もイヅツ屋のラーメンを食べに来たのか」
「あ、どうも」
「ここのラーメンを選ぶなんてお目が高いね。セントラルに来たらまずここに来るって決めている。美味かったろ?」
「はい、とっても。いい店に巡り合えてよかったです」
キロットは至福の時に、何となく水を差されたような気分になったが、つんけんした態度はとらず社交辞令を徹底した。
「ロア=ブラックエンドだ」
「キロット=ロットアークです」
名前までキザったらしい男だ。と思っていたら意外そうな顔でロアはキロットを見つめた。
「ロットアーク。君は先生の娘さんかい?それはすごい偶然だな。あの時の赤子がこんなんにも大きく成長しているなんて」
「先生? 父や母を知っているんですか?」
「俺は昔、君の母、フレイ=ロットアーク先生に拾われた過去があってね。先生には随分お世話になったよ」
キロットの母、フレイ=ロットアークはここより遥か遠くで、魔導書の発掘の仕事に携わっている。幼いころからキロットは、かつて同じパーティを組んでいたクロエの父と母アルクヘイド夫妻が戦線を離脱するときから一緒にグランドイーストに連れてこられた。父もフレイの仕事のサポートをしていて家にはいなかった。寂しい思いはしたが、同年代の親友クロエもいたのでここまで無事に育つことが出来た。
「しばらくはセントラルにいるんだろ? 先生の昔話を聞かせてあげたいな」
「いいんですか? 僕もお母さんのことは何より知りたいことです」
「じゃぁウィクシズが終わったら『ギルド』へおいで。そこで色々と話してあげよう」
キザっぽいと思っていたが、案外いい人なのかもしれない。別に何かをされたわけじゃないのに、そんなことを思っていた自分が少し恥ずかしかった。バイバイと手を振るとキロットはウィクシズの会場へと向かう前に、ホテルにチェックインするために街に入った。
エータンカタールホテルの前、一泊だけならとグレードの一つ高いホテルを選んだのが間違いだった。キロットは自分の場違いさに落胆し、居心地の悪い時間を過ごしていた。既に持ってきたみすぼらしい荷物たちは、ぴっしりと制服を着こみ、頭をポマードで撫でつけたボーイに預けていた。キロットの母が遠方で活躍していることは言った通りで、キロットも決して貧しい思いはしたことがなかったが、この身の丈に合っていない感は否めなかった。貯めたお小遣いをこんな贅沢に使っていいものか悩んだが、そうこうしているうちに、チェックインの準備が整ってしまった。今更宿を変えますなどとは言いづらい。エレベーターに案内されると、一人の少女がご一緒したいとのことだった。その少女は口には棒付きの大きなキャンディーを咥え、両手に抱えきれないほどのビスケットやスナック菓子、それに大きな袋を宙に浮かせていた。おそらくその中身もお菓子でぎっしり詰まっているのだろう。奇異の視線でキロットが見ていると、少女は物欲しそうに見ていたと思ったのか、
「食べる?」
と言って、チューイングガムを一つキロットに渡した。
「ありがとう」
キロットはおそるおそる受け取ると、包みをはがして口に放り込んだ。甘い。砂糖をそのまま食べているよりも、濃密で胸焼けしそうなくらいにガムは甘かった。こんなに甘いものを食べているのに、少女のスタイルは抜群に良かった。ツンと張ったたわわな胸は、翡翠色のワンピースを大きく山と谷を作り、その下の細くくびれた腰と、ぴったりしていてへそのラインが綺麗に表れている。小さくも、張りと柔らかさを兼ね備えていそうな尻の曲線美に、腿の半分から下を露にするミニスカートと白くて長い手足に、ワンピースと同じ色の手袋とブーツをはめていた。頭にも同系色のとんがり帽子をかぶっていて、その下の藍色のショートカットがよく似合っていた。キロットも決してスタイルが悪い方ではないが、ちょっと一緒に並んでいる自信が失せてくる。エレベーターが目的の階に行くまでもせわしなくお菓子を貪っている。こんなに大人っぽい恰好をしているのに、そのギャップがなんだか面白かった。先にキロットの部屋のある階について、キロットがエレベーターから降りる。軽く会釈をしてドアに向かうと、少女はひらひらと手を振っていた。何となく鳥のような印象を受ける少女だった。
部屋に来てみてキロットは、目を輝かせてやっぱりこのホテルに決めてよかったと思い知った。ベッドは天蓋付きのお姫様のような使用になっていて、柔らかいキガントウールのソファーに、丁寧に織り込まれた赤いペルニツ調の絨毯。窓の外の展望も文句なしだった。更にシャワーを完備していて、浴槽の足は金の猫足になっていた。ボーイから僅かばかりの荷物を受け取り、ベッドに寝転がった。弾むくらいにフカフカのフワッフワだった。ルナリアンを取り出して、街の情報を集めた。目新しい情報や好きな作家のコラムなんかも見つけているうちにあっという間に時間は過ぎてしまった。部屋についている壁掛け時計の鐘がなり5時を回ったことを知った。キロットは慌てて身支度を済ませた。7時までにウィクシズの受付を済ませなければならなかった。大きな出窓を開け放ち、箒に跨った。魔女に玄関は必要ない。箒一つでどこへだって行けた。キロットは夕暮れの街の空中散歩を楽しみつつ、会場へと急いだ。
†DOLLS† 柳 真佐域 @yanagimasaiki
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