第14章 新たな誓い
1 暗鬱な帰還
西方区域を出立してから、1日半が過ぎ――僕たちは、ようやく暗黒城に辿り着くことになった。
デイフォロスまでが1日で、そこから暗黒城までに半日を費やすことになったのだ。出立したのが日没間際であったため、到着した頃には太陽がほとんど真上に上がっていた。
僕にとっては、ほとんど20日ぶりの暗黒城である。僕は最初に『三つ首の凶犬と蛇女王の城』へと出立して以来、ずっとこの場所には戻っていなかったのだ。
暗黒城は、険しい岩山の内部に形成されている。この岩山の内部に切り開かれた空間と、もともと存在していた地下の鍾乳洞までもが、暗黒城の領域であるのだった。
この場所で、魔獣兵団と蛇神兵団のほぼ総数――ウィザーン公爵領に居残っている潜入捜査員を除く全団員が、僕たちの帰りを待ち受けているはずであった。叛逆者の一派が撤退したのちも、彼らには大事を取って暗黒城で身を休めてもらうことになったのだ。
暗黒城は侵入者を退けるために、全体が強力な障壁で覆われている。暗黒城の正門である断崖の洞穴に到着したならば、まずは僕が自身の手で開門をして、魔竜兵団の面々を招き入れる必要があった。
「さあ、入ってくれ。中のほうは少し狭くなってるから、この辺りで身体を縮めたほうがいいよ」
僕たちが背中から降りると、ワイバーンは半人半妖の姿を取った。頭には角が生え、両腕は翼の形状をした、まさしく半人半妖の姿だ。その肉体は半ば鱗に覆われており、黄色い瞳は暗がりの中で猫のように光っていた。
僕たちが通路を進んで場所を空けると、残り8名のワイバーンたちも次々と滑り込んでくる。それらのすべてが無事に到着したのを見届けて、僕は開いていた障壁を元通りに閉ざした。
「暗黒城は、10年ぶりだねー! 懐かしいなあ、この匂い!」
デルピュネは、僕ではなくウロボロスにすり寄っていた。おそらくここに至るまでの間、ずっと僕が打ち沈んでいたので、気をつかってくれているのだろう。
叛逆者たちの襲撃を受け、魔獣兵団長のガルムは生命を散らし、人間族の王女アンドレイナはさらわれてしまった。
1日半の時間が過ぎても、僕は無念と悲哀の思いから立ち直ることができていなかったのだった。
あれだけの魔力を有していたガルムが、あっけなく死んでしまった――もうあの豪快な笑い声を聞くことも、猛々しいまでの魔力を感じることも、ともに喜びや苦労を分かち合うこともできないのだ。これまでの戦いでも何名かの戦死者は出ていたが、これだけ近しくしていた相手を失ったのは、初めてのことである。僕の空っぽの肉体には、かつて人間時代にも味わわされた喪失感――両親を事故で失ってしまったときの悲しみややるせなさが満ちてしまっていた。
(たった20日間ていどのつきあいだったかもしれないけど……それでも僕にとって、ガルムっていうのは大事な仲間だったんだ)
そうして僕がひとり黙然と立ち尽くしていると、ナナ=ハーピィが横からそっと手首をつかんできた。
「行こう、ベルゼ様。みんなが待ってるよ」
ナナ=ハーピィの緑色の瞳には、とても心配そうな光が宿されていた。
彼女とて、ガルムの死に心を痛めていないはずはないのだが――それでも、僕を気づかう心情のほうがまさっているのだろう。魔族というのは、闇雲に死を恐れたり嘆いたりはしないのだ。
だけど僕には、まだ人間としての心が残されている。
だから、ガルムの死に心を痛めずにはいられなかった。
それでも僕は、彼女たちの君主である暗黒神であるのだ。髑髏の兜では涙を流すすべもないというのは、いっそ幸いなことであった。
「うん、行こう。ウロボロスたちも、僕についてきてくれ。ワイバーンたちには、すぐに食事の準備をさせるからね」
僕は250名からの魔竜兵団と8名の配下を従えて、暗い洞穴の通路を進むことになった。
魔獣と蛇神の主要メンバーは大広間に集まっているとのことであったので、真っ直ぐそちらに歩を進める。僕たちの到着は、さきほど念話で伝達済みであった。
「……レヴァナント、デイフォロスのほうに変わりはないかな?」
その行き道で僕がそのように尋ねると、いつでも沈着なルイ=レヴァナントは「はい」と無表情にうなずいた。
「何の予告もなしに全団員が領地を離れたため、最初の内はいくばくかの混乱が見られたようですが……騎士団長オスヴァルドの働きによって、それも治められたようです。また、術式の有効圏内に入ってからは私も使い魔を総動員させましたので、実情も把握できております。暗黒神様の定めた新しい規律を逸脱する人間はおらず、現時点では脱走者なども生じてはいないようです」
「そうか。それなら、よかったよ」
「はい。……ですが、王女アンドレイナが姿を消したため、側近の騎士エウリコが心を乱している様子です。王女は緊急の任務によってこちらに同行させたという旨を伝えておきましたが、得心した様子はございません」
アンドレイナが姿を消してから、すでに1日半が経過している。デイフォロスの人々にはその本当の理由をいまだ伝えていないので、忠実なる騎士エウリコであれば心を乱さずにはいられないだろう。
また、本当の理由を告げたそのときは、さらなる混乱が巻き起こるに違いない。すべての人間を支配下に置くと豪語していた暗黒神が、叛逆者の一派にまんまと王女をさらわれてしまったのだ。それは、デイフォロスに築かれつつある新たな規律に大きな亀裂が入ってもおかしくないほどの大失態であるはずだった。
しかし、デイフォロスの統治に関して頭を悩ませるのは、後である。
現在の僕が為さなければならないのは、残された同胞たちに正しい道を指し示すことだ。そのためにこそ、僕はこの暗黒城へと帰還を果たしたのだった。
「おお、暗黒神様! お帰りをお待ちしておりました!」
大広間への入り口では、2名のリザードマンたちが守衛よろしく立ちはだかっていた。そちらに向かって、僕は「うん」とうなずきかけてみせる。
「ただいま戻ったよ。……僕の不在を秘密にしていて、悪かったね」
「いえいえ! 暗黒神様が我々などにお気をつかわれる必要はございません!」
しかし僕は、自分の立案した作戦に従って西方区域に出立し、その間に大事な仲間たちを危険にさらすことになってしまったのだ。それを責める者が皆無であったとしても、自責の念から逃れられるものではなかった。
そうして僕が大広間に足を踏み入れると、ほとんど歓声のような声が巻き起こった。
「お帰りなさいませ、暗黒神様!」
「酒と肉の準備ができておりますぞ! さあ、ずずいとお進みくだされ!」
僕はうなだれそうになるのをこらえながら、大広間の奥へと歩を進めた。
魔竜兵団の面々もそれに続くと、歓声がいくぶん鎮静化する。僕のかたわらを歩きながら、ウロボロスは「ふふん」とせせら笑った。
「相変わらずだな、こいつらは。貧弱な魔力もあわせて、まるで幼子の集まりだ」
「本当になあ。おまけに獣くせえったらねえぜ」
コバルトブルーの髪と瞳と鱗を持つ少年ファフニールも、おどけた様子で肩をすくめる。副団長のニーズヘッグや大男のヨルムンガンドは、周囲のざわめきなど気にかける様子もなく足を動かしていた。
「……おかえりなさいませ、暗黒神様。テューポーンとラミアも、ご苦労だったわね」
大広間の中央付近では、蛇神兵団の団長たるナーガが待ちかまえていた。
その金色の瞳が、食い入るようにウロボロスたちを見回していく。
「それに、あなたたちも……ウロボロスとヨルムンガンドは10年ぶり、それ以外はいつ以来であるのかしらね」
「ああ、そういえばお前が蛇神の団長になったんだってなあ、ナーガ。お前が頭じゃ、他の連中の魔力もたかが知れるぜ」
ファフニールがさっそく非友好的な言葉を返したが、ナーガは鋭く目を細めただけで、何も言い返そうとはしなかった。
そしてその目を僕に向けなおすと、金色の鱗に包まれた下半身を折り曲げて、深く頭を垂れてくる。
「まずはお詫びを申しあげますわ、暗黒神様。わたしたちは、アンドレイナという娘を守れという命令を果たすことができなかった。ガルムは自らの生命で罪を贖うことになったけれど、わたしもどんな処罰でも甘んじて受けましょう」
「君たちは、やれるだけのことをやってくれたよ。すべては僕の見通しの甘さが招いたことだ。誰も処罰をする理由はない」
僕は、そのように答えてみせた。
「まずは、ワイバーンたちに酒と肉を準備してあげてくれ。……あと、オルトロスやケルベロスはどこかな?」
「あいつらは、奥のほうで待ちかまえていますわ。この1日ていどで、すっかり手傷も癒えたことでしょう」
ガルムと行動をともにしていた狼犬族のメンバーは、いずれも深い手傷を負うことになったのだ。僕は沈み込みそうになる気持ちを引き締めながら、さらに歩を進めることにした。
ワイバーンが栄養補給をするために立ち止まると、その後に続いていた魔竜兵団の団員たちも足を止めた。僕とともに前進したのは西方区域まで同行した8名と、魔竜兵団の幹部4名、およびデルピュネのみだ。
広場に集まっていた面々は、モーゼの十戒のように道を空けてくれる。その最果てに暗黒神のための玉座が見え、ケルベロスたちはその手前に集っているようだった。
「戻ったよ。みんな、身体のほうは大丈夫かい?」
その場にいたのは魔獣兵団の副団長たるオルトロスと部隊長のケルベロス、そして蛇神兵団の部隊長であるコカトリスおよびエキドナであった。
僕たちの姿を見て最初に立ち上がったのは、オルトロスである。黒い獣毛に真紅の瞳、暗灰色の肌にすらりとした長身――ガルムを若返らせたかのような、精悍なる青年だ。その双眸は、熾火のように陰々と燃えていた。
「暗黒神様のお帰りを、待ちわびていた。……やはり、処断はまだ済んでいないようだな」
「処断?」と僕が答えるのとほぼ同時に、オルトロスは魔力を振り絞った。
くわっと開かれた口から、紅蓮の炎が吐き出される。炎が向かう先は、僕の右手側――ファー・ジャルグとルイ=レヴァナントのもとである。
僕はわけもわからぬまま右腕をのばして、炎撃の術式を消滅させてみせた。
オルトロスは、野獣そのもののように凶悪な形相となる。
「暗黒神様は、まだそやつらを庇い立てするつもりであるのか! そやつらこそが、ガルム団長の仇であるのだぞ!」
「待ってくれ! 彼らは魔神族や不死族の裏切りとは無関係だと言っただろう? いきなり攻撃を仕掛けるなんて、あまりに無茶じゃないか!」
「うむ。これは許されざる狼藉であろうな」
と――逆の側から、ウロボロスがゆらりと進み出た。
その黒い水晶玉のように照り輝く双眸には、喜悦と瞋恚の激情が入り乱れている。
「貴様は今、暗黒神様の配下に牙を剥いた。こいつらがどれだけ非力な木っ端であろうとも、貴様の罪に変わりはない。その獣臭い魂をもって、己の罪を贖うといいぞ」
「き、君もちょっと待ってくれ、ウロボロス! 団員同士で相争うのは、絶対に許可できないよ!」
「その言葉は、そこの犬ころに告げてやるといい。あやつはあなたのお気に入りである小人と死人に牙を剥いたのだぞ?」
「わかってる。もちろん、このままにはしておかないよ」
僕は意を決して、オルトロスの前に進み出た。
「説明してくれ、オルトロス。どうして君は、いきなりファー・ジャルグたちに攻撃を仕掛けたんだ? 彼らが裏切り者でないということには、君たちも納得してくれたはずだろう?」
「そんな話に納得した覚えはない! そやつらが何を企もうとあなたに危害を加えることはできまいと、そのように考えただけのことだ!」
荒い息を吐くオルトロスの肉体が、めきめきと軋み始めていた。さらなる魔力を振り絞るために、本性をあらわにしようとしているのだ。彼の正体は、双頭の凶犬であった。
「しかし、そやつらの存在を見過ごしたがために、俺たちはガルム団長を失うことになった! そんな木っ端どのも生命で贖える罪ではないが、だからといって見逃すことはできん! 小人も、死人も、死人の従僕どもも、この場で焼き尽くしてくれよう!」
「まったく、しょうもないわね。狼犬族というのは、どうしてこうまで血の気が多いのかしら」
溜め息まじりにつぶやきながら、コカトリスがオルトロスのかたわらにまで進み出た。
逆側からは、金髪碧眼の幼子であるエキドナも進み出てくる。どちらも平常の面持ちであるが、その身にはふつふつと魔力が滾っていた。
「ほんとにさー。まずは真相を突き止めるべきだって、さんざん話し合ったじゃん。いきなり火なんて吐くんじゃないよ、この犬っころ!」
「やかましい! だったらお前たちは、団長たるナーガを害されていても、そのように呑気な顔をしていられるとでもいうのか!?」
「ええ、そうね。でも、復讐の牙は然るべき相手に向けないと意味がないもの。真相もわからない内に逆上するなんて、そんな馬鹿な真似はしないわ」
「そーそー。だいたいあんたがいきり立ったって、暗黒神様を怒らせたら一巻のおしまいじゃん。そんなんで、どうやって同胞の仇を討とうってのさ?」
仏頂面で言ってから、エキドナはまだ座ったままであるケルベロスを振り返った。
「ほら、あんたも何とか言いなよ! おんなじ犬っころでしょ!」
「うるせーなあ。こんだけの魔族が顔をそろえてたら、俺の出番なんてありゃしねーだろ」
ケルベロスは、いつもの軽妙な調子でそのように応じた。
ただしその真紅の双眸は、オルトロスに負けないぐらい暗く燃えあがっている。
「それに、恨みの深さは俺だって一緒だよ。真っ当な戦いでくたばるんだったら文句なんざありゃしねーけど、こんな薄汚ねー真似を許せるかよ。裏切り者には、報いが必要だろ」
「ケルベロス……君もファー・ジャルグやレヴァナントの裏切りを疑っているのかい?」
僕が問い質すと、ケルベロスは「さてね」と肩をすくめた。
「そいつらが裏切り者だって証は、まだねーんだろ。でも、裏切り者は絶対にいる。そいつを放っておけないってのは、俺もオルトロスに賛成だね」
「裏切り者って……それは君たちを襲った魔神族や不死族のことだろう?」
「おいおい、あんたらしくねーなあ、暗黒神様。あんたの頭は空っぽだけど、俺たちよりも立派な知恵がどこかに詰まってるはずだろ?」
ケルベロスは鋭い犬歯を剥き出しにして、そう言い捨てた。
「魔神どもの狙いは、最初からあのアンドレイナって娘っ子だった。それでもって、そいつをガルムの旦那が腹の中に隠してたってのは、ごく限られた団員しか知らされていなかったはずだ。だったら、その内の誰かが魔神どもに密告したってことだろうがよ? そうじゃなきゃ、あんな風にガルムの旦那だけを追い回す理由はねーはずだからな」
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