10 決別

 かくして僕たちは、魔竜兵団を率いて中央区域を目指すことになった。

 ウロボロスが出陣の準備を整えている間にも、頭にはひっきりなしに念話の声が響いている。デイフォロスに居残った面々は領地の外にまで探知の網を張っていたので、事前に敵襲を知ることがかない、現在は一時撤退の準備を進めているとのことであった。


『おそらくだけど、あちらは総力で向かってきているようよ。魔神族に不死族に、それから何千もの人魔ども……それらのすべてが参じていない限り、これほどの魔力にはならないでしょうからね』


 報告は、もっぱらコカトリスから届けられていた。最初の衝撃を通りすぎると、持ち前の冷静さが蘇ってきた様子である。


『まあ、あちらは暗黒神様が不在であることも知らないはずなのだから、戦力の出し惜しみなんてしていられないのでしょうけれどね。まったく、ふざけた連中よ』


『うん。それじゃあそっちも、撤退を始めてくれ。間違っても、無茶な応戦をしないようにね』


『承知しているわ。さしもの魔獣兵団長も、口惜しそうに歯噛みをしているわよ』


 そのとき、ウロボロスから生身の声が届けられてきた。


「準備ができたぜ、暗黒神様よ。あなたはこっちのワイバーンに乗ってくれ」


「ああ、僕の分まで準備してくれたんだね。僕は自力で戻ろうかと思ってたんだけど――」


「何を言ってやがるんだ。あなたの魔力こそ、何より温存するべきだろうがよ?」


 ウロボロスはふてぶてしく笑いながら、巨大なる翼竜ワイバーンの背に飛び乗った。


「いいから、さっさとしな。お情けで、そっちの雑魚どもも乗せてやるからよ」


 眉を吊り上げるナナ=ハーピィをなだめつつ、僕も8名の仲間とともにワイバーンの背中に乗った。

 ワイバーンは巨大であるので、30名ぐらいは同乗できそうであったが、その場に待ちかまえていたのは4名の幹部陣とデルピュネのみであった。それとは別に8名のワイバーンが控えており、そちらには魔竜兵団の団員たちがぎっしりと乗せられている様子である。


「それじゃあ、出陣だ!」


 ウロボロスの号令に応じて、9名のワイバーンが天空に羽ばたいた。

 僕たちがこの地に到着したのはちょうど正午ぐらいであったはずだが、途中で伯爵領を往復したために、太陽はずいぶん西側に傾いている。僕たちが向かう先には、早くも黄昏刻の気配がにじんできているようだった。


「とりあえず、東に向かえばいいんだな? このワイバーンを先頭にするんで、細かい指示はあなたにお願いするぜ」


「うん。デイフォロスの座標は頭にあるんで、問題ないよ。えーと……もう30度ぐらい、南方向に修正してもらえるかな?」


「承知しました」という返事とともに、ワイバーンが軌道を修正した。

 それから、ぐんと加速する。僕がほどほどに魔力を消費するのと同程度、時速120キロぐらいのスピードである。


「うん。大した飛行能力だね。でも、これで丸1日ももつのかい?」


「はい。2日ていどでしたら、この速度を維持することは可能です。もっともその後は、半日ていどの休息をいただくことになってしまいますが」


 ならばそれは、ケツァルコアトルやフレスベルグにも匹敵する飛行能力であった。ワイバーンは中級魔族であるはずだが、つくづく飛行能力に特化しているのだろう。


「中級の団員が9名ていど戦えなくなっても、大した痛手にはならないからな。それとも、こいつらにも魔力を温存させるべきかい?」


 ウロボロスの問いかけに、僕は「いや」と応じてみせた。


「今は一刻も早く、デイフォロスに戻りたい。ワイバーンたちの分は、僕たちが力を振り絞ればいいさ」


「ふふん。とはいえ、魔神どもが明日まで居残ってるとは思えないがね。暗黒神様が不在と知れれば、これ幸いと残りの連中をぶっ潰して、自分たちの拠点に引き返すだろうさ」


 ウロボロスはにやにやと笑いながら、後方に続くワイバーンたちの姿を見やった。


「魔竜兵団の総勢は、およそ250名ほどだ。兵団の中でもっとも数は少ないが、上級の数は一番多い。……ってな話も、あなたは忘れちまってるのかね?」


「うん。だけど、他の団員からいちおう聞いているよ。全兵団で最強なのは魔竜兵団ってこともね」


「ふふん。魔獣や蛇神の連中であれば、口が裂けてもそんな泣き言は吐きそうにないけどな」


 お察しの通り、僕にそれを告げてくれたのはルイ=レヴァナントであった。全兵団――というか、全種族の番付は、魔竜族、魔神族、巨人族、魔獣族、蛇神族、不死族、という順番になるらしい。その中で、もっとも戦力の劣る不死族が単独で南方区域の担当となったのは、対・人間の戦闘においては有利な能力を有していいるためであると聞いていた。


(だからまあ、魔神族と不死族の組み合わせなら、魔獣族と蛇神族の組み合わせでも何とか互角の戦いができるんだろうけど……そこに人魔が加わったら、1パーセントの勝ち目もなくなってしまうからな)


 そのように思案しながら、僕は念話を飛ばしてみた。


『そっちはどうだい? 無事に撤退できたかな?』


『ええ。敵が到着する前に、なんとかデイフォロスを離れることはできたわ。ただし、向こうもそれを察知して、こちらを追撃するかまえであるようね』


『そうか。なんとしてでも、逃げのびてくれ。……あと、アンドレイナ王女は連れ出せたかな?』


『ご安心めされい! うだうだ抜かすので、蛇どもに眠らせてもらいましたわ! 今は胃袋の中なので、俺の腹を裂かれない限りは、魔神どもに奪われることもありませんぞ!』


 どこかヤケクソじみた勢いで、ガルムががなりたててきた。


『しかし、一戦も交えずに撤退とは、口惜しい限りでありますな! バアルめの醜い三つ首ぐらいは、暗黒神様に献上したかったところでありますぞ!』


『無茶を言うんじゃねーよ。あんなもんと正面とやりあったら、こっちが全滅しちまうだろ。ったく、蛇どもが冷静なんで助かったぜ』


 ケルベロスがそのように言いたてると、ナーガの念話もそれに重なった。


『それにしても、こんなに早くからあいつらが襲いかかってくるとは思わなかったわ。あいつらは、あのていどの戦力で暗黒神様にあらがえると考えたのかしら?』


『あのていどって、人魔だけでも数千の数だろ? 暗黒神様がひとりで受け持つには、ちっとばかりしんどいんじゃねーのか?』


『でも、デイフォロスから暗黒城までは、急げば半日の距離であるのよ? 暗黒城にまで辿り着ければ、こちらが負けることにはならないのだからね』


 それは確かに、その通りであった。僕たちは200年という歳月をかけて、暗黒城の強化に励んできたので、あの地であれば王都の軍勢の総攻撃ですら耐えることはできるはずであるのだ。


『言われてみると、確かに相手の目的が不明瞭だね。暗黒城を攻め落とせるぐらいの人魔を確保できてるんなら、話は別だけど……人魔の数は、数千なんだね?』


『ああ。そんな細かくはわからねーけど、1万には届いてねーはずだな。まあ、全部が上級か中級だから、なめてかかれる数じゃねーけどよ』


『それならやっぱり、東方区域の人魔だけなんだろうね。北方区域の制圧より僕たちへの襲撃を優先させるっていうのは……いったいどういう企みなんだろう』


 北方区域を制圧すれば、敵は倍なる数の人魔を支配下に置くことができる。そうであるからこそ、こんな早々にデイフォロスを襲撃する理由はないと、僕たちはそのように想定していたのである。


(ワイバーンみたいに便利な仲間がいなければ、北方区域から中央区域までは丸2日の距離なんだからな。それでこの刻限に到着したってことは……僕がデイフォロスを離れるのとほとんど同時に、北方区域を出立したってことになるんだ)


 なおかつ敵は、僕が不在であるということも知らないはずであるのだ。それで総力戦を仕掛けてくるならば、事前に巨人兵団を殲滅した理由も不明瞭になってしまいそうなところであった。


(巨人兵団との戦いでも、多少の損害は出たはずなんだからな。最初から総力戦が目的なら、真っ直ぐ中央区域を目指せばいいだけのことだ。巨人兵団を殲滅しておきながら、北方区域の領地には手も出さず、中央区域を襲撃する……これはどういう行動原理に基づいているんだろう)


 すると、こちらに這い寄ってきたデルピュネが「ねえねえ」と腕を引っ張ってきた。


「今、中央区域のほうはどんな感じなの? あたしらには念話も聞こえないんだから、暗黒神様が説明してくれないと!」


「だから、気安くさわるなってば!」


 反対の側から、ナナ=ハーピィが腕にからみついてくる。少し離れた場所に座したジェンヌ=ラミアは、やはり黙殺のかまえだ。


「とりあえず、みんなは暗黒城に撤退を始めたよ。敵方もそれに気づいて進路を変更したようだから、なんとか逃げのびるように指示を送ったところだ」


「そっかー。フレスベルグが本気でかっ飛ばしても、暗黒城までは半日もかかるもんねー。大丈夫かなー。心配だなー」


 ナナ=ハーピィは目を伏せながら、僕の二の腕に頭をこすりつけてきた。魔獣族は彼女の同族であり、同種のハーピィだって何名も所属しているのだ。今この場でもっとも深く胸を痛めているのは、ナナ=ハーピィとジェンヌ=ラミアとテューポーンの3名であるはずだった。


「しかし、暗黒城にはあれほどの仕掛けが施されているのだからな。それでも魔神どもがあきらめずに、暗黒城に群がっていたならば、俺たちがその後背を突けるわけだ」


 と、ウロボロスが愉快そうに唇を吊り上げた。


「まあ、魔神どもが明日まで居残っているなどとはとうてい思えんが……身のほどもわきまえずに総力戦を仕掛けてくるような知能であれば、そういった期待も残されているやもしれんな」


「……やっぱりこの段階で魔神族が総力戦を仕掛けてくるのは、時期尚早だよね?」


「当たり前だ。人魔を操るすべがあるならば、まずは北方や南方の区域を制圧するべきだろうが? これでは何のために巨人どもを殲滅したのかもわからんではないか」


 やはりウロボロスも、僕と同じぐらいには頭が回るようだった。

 ならば、さらに高い知能を有していそうな相手に意見を賜るべきであろう。僕は長らく沈黙を保っているルイ=レヴァナントへと視線を向けることにした。


「レヴァナントは、どう思う? 魔神族は、いったい何を企んでいるんだろう?」


「……私もさきほどから、その一点を思案しておりました」


 冷徹な声音で、ルイ=レヴァナントはそのように答えてくれた。


「敵の目的がデイフォロスかグラフィスの占領であったならば、理解も難しくはありません。しかし、デイフォロスを離れた両兵団の追撃を始めたとなると……ますます理解は難しいように思います」


「うーん、やっぱりそうだよね。あれだけ入念に姿を隠して出立したんだから、僕の不在を悟られるはずもないし……」


 僕がそのように言いかけたとき、またコカトリスの念話が響きわたった。


『暗黒神様! 敵が物凄い勢いで追いすがってきているわ! どうやら上級の魔族と人魔だけで、おもいきり魔力を振り絞っているようね!』


『え? 中級の仲間を置き去りにして、上級の戦力だけで追いすがってきたっていうのかい?』


『そうじゃなきゃ、こんな勢いで移動はできないわよ! でかぶつの魔族が仲間を背中に乗せるとしたって、数千もの人魔を背負えるわけはないのだからね!』


 そう、そこのところも僕たちは計算ずくであったのだ。数千もの人魔がいれば、一定以上の速度で移動することは困難であるから、襲撃を察知してからでもゆとりをもって撤退できるはず――と、そのように思案していたのである。


『これなら、戦力もほとんど五分でありましょう! 迎撃のお許しをいただけますかな、暗黒神様よ!?』


 ガルムの咆哮じみた念話も届けられてくる。

 僕は即座に、『いや』と応じてみせた。


『それでも、戦力はまだ五分なんだろう? だったら決着がつかないうちに、中級の後続部隊にも追いつかれてしまうはずだ。可能な限りは、暗黒城を目指してくれ』


『そりゃそうだ。五分の相手とぶつかったら、おたがいが全滅しちまうかもしれねーんだからなー』


『ぐぬぬ……しかし、暗黒神様はご無事であられるのだから、たとえ我々が全滅しても、それは勝利と呼べるのではないか!?』


『よしてよ。わたしたちが全滅してしまったら、暗黒神様のもとには魔竜兵団しか残らないのよ? それでどうやって、王都の連中とやりあおうってのよ』


 幸いなことに、沈着さを保っているケルベロスとコカトリスがガルムの激情をなだめてくれた。

 しかし――それでもその日の凶運を退けることはかなわなかったのだった。


『駄目だ、追いつかれる! もう暗黒城まではもたねーな!』


『ならば、今こそ迎撃だ!』


『しかたないわね。ケツァルコアトルも、そちらに下がらせるわ。フレスベルグには、あなたたちから念話を送りなさい』


『ちょっと待って……何か、様子がおかしいわよ』


 最後に聞こえたコカトリスの念話が、理由もわからぬままに僕の胸をかき乱した。


『くそ、なんだこいつら……俺たちとやりあおうってんだな!』


『おお、望むところだ! かかってくるがいい、恥知らずの裏切り者どもめ!』


 念話だけでは、状況がさっぱりわからない。

 するとそこに、またコカトリスの念話が聞こえてきた。


『暗黒神様、敵の様子がおかしいわ。こいつら……わたしたちを無視して、地上の魔獣兵団ばかりを狙っているわよ』


 ガルムを筆頭とする狼犬族は走ることが得手であるので、己の足で大地を疾駆しているのだ。いっぽう蛇神兵団には移動に長けた団員が少ないので、そのおおよそはケツァルコアトルやフレスベルグたちの世話になっているはずであった。


『上級の人魔や魔神族どもが壁になって、近づけないわ。これじゃあ、ガルムやケルベロスたちが――』


 そこに、地割れのような絶叫が響きわたった。

 これは――ガルムの念話である。


『おのれ……バアル……この卑劣な三つ首の大蜘蛛め……』


『駄目だ、ガルムの旦那! あんたひとりじゃ、そいつらにはかなわねーよ!』


 我を失ったケルベロスの念話が響く。

 もはや念話と肉声を使い分ける猶予もないのだろう。ケルベロスがこれほどに取り乱している声を聞くのは、僕にとっても初めてのことであった。


『ガルム、無茶をするな! なんとしてでも、その場を逃げのびるんだ!』


 僕も懸命に、念話をほとばしらせた。

 しかし、それに応じたのは、再びの絶叫であった。


『暗黒神様……どうか次の生でも、あなたのもとに……』


 空っぽである僕の胸の中で、小さな何かが砕け散った。

 それは遠距離の念話のためにガルムから受け取った、彼の獣毛の一束であった。


『いったい何がどうなっているというの? 人魔や魔神どもが逃げ散っていくわよ?』


 ナーガのうろんげな念話が響く。

 ケルベロスは、血を吐くような声音でそれに答えていた。


『ガルムの旦那が、やられちまった……あいつらは最初っから、ガルムの旦那の腹の中身が目的だったんだ! どうしてそこに王女の娘っ子が隠されてるなんて、あいつらが知ってやがるんだよ、畜生め!』

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