6 黒き魔竜ウロボロス

「実にひさしいな、暗黒神様よ。10年間も音沙汰なしとは、実に愛想のないことではないか?」


 ウロボロスは、愉快でたまらぬような声音でそう言いたててきた。

 すらりとした長身で、まだ若い男性の姿をしているようであるが、あまり細かい部分は判然としない。何故ならば、彼は頭の天辺から足の爪先まで、一点の曇りもなく漆黒の色合いをしていたのだった。


 肩までのばした蓬髪も、爛々と光る双眸も、顔も指先もその身に纏っている装束までもが、闇を凝り固めたかのように黒い。身体のあちこちには鱗が生えているようであったが、それも皮膚と同じ色合いであるために、なかなか見分けがつかないのだ。


 特に印象的であったのは、やはりその双眸であっただろう。

 その目には白目というものが存在せず、眼球そのものが黒く照り輝いているのである。それは眼窩に黒い水晶玉でも嵌め込んだかのような様相であり、なかなかの異彩を放っていた。


「どうしたのだ? まさか我々の姿を見忘れてしまったのではないだろうな、暗黒神様よ?」


 僕がいつまでも黙りこくっていたので、ウロボロスはいくぶん焦れてきた様子で言葉を重ねた。

 僕は気持ちを落ち着けて、それに言葉を返してみせる。


「うん。再会して早々にこんな話をしなければならないのは、ちょっと気が引けてしまうんだけど……僕は再生の儀を行う前の記憶をなくしてしまったんだよね」


 僕の言葉に、ウロボロスは「なに?」と顔をしかめた。左右の座具に座した3名も、おのおの同じような反応を見せている。


「君たちを欺くつもりはないから、最初に打ち明けさせていただくよ。僕はひと月ほど前に再生の儀を行ったんだけど、それで以前の記憶をなくしてしまったんだ。で、再生の儀には7日かかったっていう話だから、僕はここ20日ていどの記憶しか持っていないわけだよ」


 広間の中央に歩を進めながら、僕はそのように言いつのった。


「それでも魔獣兵団と蛇神兵団の面々は、僕を君主と認めてくれた。魔竜兵団たる君たちはどうであるのか、まずはそこから聞かせてもらいたい」


「……確かにあなたは再生の儀を終えるたびに、おかしなことを抜かすようだな、暗黒神様よ」


 ウロボロスは皮肉っぽい笑みを取り戻しながら、そのように言い放った。


「そんな戯れ言で我々を弄び、いったい何が楽しいというのであろうかな。まったく理解に苦しむところだ」


「いや、戯れ言ではないんだよ。僕は本当に――」


 そこに、「ふざけるな!」という怒声がかぶせられた。

 ウロボロスではない。一番右端の座具に座した大男が、猛然と立ち上がっていた。


「ならば、俺との約定はどうなるのだ! まさか、それすらも忘れたなどと抜かすのではあるまいな!」


 それは、ガルムにも負けない勇猛な風貌をした大男であった。髪や瞳は鮮やかなメタリックシルバーで、白い肌のところどころに同じ色合いの鱗が生えている。直情的な気性も、ガルムに似ているようだ。


「約定って、どんな内容であったのかな。よければ、この場で聞かせておくれよ」


「……それでは、本当に忘れてしまわれたのだな。しかし、俺の側に遠慮をする理由はないぞ!」


 大男の巨体から、これまで以上の魔力が放出された。

 まるで白銀の炎が燃えあがったかのようである。ウロボロスほどではないにせよ、凄まじい魔力であった。


「いや、ちょっと落ち着いてもらえないかな。とにかく、その約定の内容を教えてもらわないと――」


「あなたは次に会ったとき、またそのヨルムンガンドと手合わせをしてやろうという約定を交わしていたのだ」


 ウロボロスが含み笑いをしながら、そのように説明してくれた。


「その言葉は、俺もそこのデルピュネめも聞き届けている。どうか反故にはしてもらわないでもらいたいものだ」


「ああ、そういうことか……うん、それなら、かまわないよ」


 大男――ヨルムンガンドは、咆哮をあげながら僕に躍りかかってきた。銀色の炎で構築された砲弾さながらである。

 しかし、彼の実力はガルムやナーガと同等ぐらいであるようだ。ならば、暗黒神たる僕には、退けることも難しくはなかった。


 それでも背後の大事な仲間たちを巻き添えにしてしまわないように、僕はおもいきり魔力を解放して、防御の姿勢を取る。

 そこに、ヨルムンガンドが真正面から激突してきた。

 凄まじい衝撃が、僕の肉体である甲冑を軋ませる。

 が、僕の構築した障壁を破壊するには至らない。ヨルムンガンドは突進の勢いのままに後方へと弾かれて、自分の座っていた座具を木っ端微塵にしたのちに、背後の岩盤にまで吹き飛ばされることになった。


「ひゃっひゃっひゃ! 記憶なんざなくても、昔の通りの暗黒神様じゃねえか!」


 左端に座していた人物が、裸足の足を拍手のように打ち鳴らす。そちらはケルベロスのようにちんまりとした、コバルトブルーの髪と瞳と鱗を持つ男の子であった。


「土台、ウロボロスの足もとにも及ばないヨルムンガンドが、暗黒神様にかなう道理など存在しないのです。このような粗忽者は、卵から生まれ変わるべきなのではないでしょうかね」


 そのように辛辣な言葉を言い放ったのは、ウロボロスの隣に座した痩身の若者だ。神経質そうな面立ちをしており、エメラルドグリーンの髪と瞳と鱗をしている。


「まあ、これで暗黒神様が幻影じゃなく本体で訪れてきたと証明されたわけだ。それじゃあ我々も、臣下の礼でも果たすとするか」


 ウロボロスが大儀そうに立ち上がると、残りの両名もそれにならった。

 そうして僕の眼前にまで進み出て、赤い絨毯に膝を折る。


「我が主君のお越しを歓迎いたします。魔竜兵団の団長ウロボロスでございます」


「同じく、副団長のニーズヘッグでございます」


「いちいち名乗りをあげんのかい? ま、記憶がないってのが本当なら、そうするしかねえのか。俺はファフニールでございますよ」


 それだけ言って、3名の魔竜族たちはあっさりと立ち上がった。

 ウロボロスは、190センチオーバーの暗黒神と同等の長身である。こうして間近で拝見すると、眼球も皮膚も黒ずくめの姿は異様であったが、存外に整った顔立ちをしているようだった。精悍で、端麗で、黒曜石に彫られた闘神の彫像であるかのようだ。


「で? あなたが記憶を失っているというのは、戯れ言じゃなく真実であるのかねえ、暗黒神様よ?」


 ウロボロスの黒い目が、僕を間近から覗き込んでくる。

 顔立ちは整っているのに、その双眸だけはいささか不気味だ。てらてらと照り輝く黒いゼリーのような質感で、そこには常に何らかの激情が荒れ狂っているような気配が感じられた。


「うん。それはまぎれもなく、真実だよ。それを信じた上で、これまで通りの忠誠を期待できるかな?」


「暗黒神様の戯れ言を信じるかどうかは別として、俺たちの忠誠を疑うとは心外の極みだね。俺がそこの魔神族や不死族みたいに、あなたを裏切るとでも思うのかい?」


 ウロボロスの体内に、どろりと怒気が渦巻いたように感じられた。

 並外れた魔力とあわせて、これは細心の注意が必要とされる相手であるようだった。


「申し訳ないことに、僕は記憶を失ってしまっているからね。これまでの君たちがどれほど忠実な配下であったのか、それも忘れてしまっているんだよ。君たちにとっては腹立たしくてならないだろうけれど、これからまた信頼の絆を深めさせてもらえたらありがたく思うよ」


「……信頼の絆ねえ」と、ウロボロスは口もとをねじ曲げながら身を引いた。

 その間に、壁ぎわで倒れ込んでいたヨルムンガンドがよろよろと立ち上がる。そのガルムにも負けない厳つい顔には、歓喜の表情が炸裂していた。


「いや、やはり暗黒神様には手も足も出ませんな! 次にお会いするときにも、お手合わせをお願いいたしますぞ!」


「……あなたの頭蓋には何が詰まっているのでしょうかね。妄言を垂れ流す力が戻ったのなら、とっとと臣下の礼を尽くすべきでしょう」


 口の悪いニーズヘッグにうながされて、ヨルムンガンドはふらふらとこちらに近づいてきた。そうしてずしんと膝をついて、元気いっぱいに自己紹介と歓迎の挨拶をしてくれる。


(みんなクセは強そうだけど、ウロボロス以外は許容範囲かな)


 ヨルムンガンドは直情的で、ニーズヘッグは冷徹であり、ファフニールはやんちゃであるようだ。しかしそれらは、ガルムやルイ=レヴァナントやファー・ジャルグで慣れ親しんだ特性であった。

 然して、ウロボロスだけは得体が知れない。出会った当初のコカトリスのように、彼は内心が読みにくかったのだった。


「……それじゃあ、こちらの話をさせてもらおうかな。テューポーンからすでに聞いていると思うけど、よその区域ではのっぴきならない事態が勃発してしまっているんだよ」


「ふん。不死族の裏切りに、巨人族の全滅ってやつか」


 ウロボロスは興味なさげに言い捨てると、もといた座具まで引き返した。残りの3名もそれに続き、ヨルムンガンドは新しい座具を地中から生み出す。さらに、彼らの正面にひときわ立派な座具がもう1脚、もこりと生えのびた。


「さあ、暗黒神様もお座りなされい! よろしければ、とっておきの火酒もお出ししますぞ!」


「いや、魔力は十分に満ちているんで、酒のもてなしはけっこうだよ」


 僕は親しみを込めて答えながら、その座具に座らせていただいた。同行した8名は僕の左右に立ち並び、デルピュネは跳ねるような足取りでウロボロスに近づいていく。


「ねえ、団長! まさか、あたしに出ていけとか言わないよね?」


「やかましい小娘だな。居座りたいなら、好きにしろ」


「やったー! ありがとー!」


 デルピュネは絨毯の上にぺたりと座り込み、ウロボロスの逞しい足に色っぽくしなだれかかった。その姿に、ナナ=ハーピィは「何、あいつ」とまた眉を吊り上げる。


「で? もしかしたら、魔神族や不死族の討伐に助力をしろ、という話なのかな? そうだとしたら、興醒めだ」


「興醒め? それは、どうしてかな?」


「どうしても何も、俺と暗黒神様はどちらが先に担当の区域の人間どもを殲滅できるか、賭けをしていたではないか? そんな余所事にかまけていたら、せっかくの賭けが台無しだ」


「余所事って……不死族が魔神族と共謀して、巨人兵団を殲滅したんだよ? これは人間族との抗争にも匹敵する重大な事件なんじゃないのかな?」


「そんな雑魚どもの去就に興味はない。不死族だろうが巨人族だろうが、殺し合いたいなら勝手に殺し合えばよかろうよ」


 ウロボロスは頑丈そうな歯を剥き出しにして、凶悪な笑顔をこしらえた。歯だけは漆黒でなく、白い色合いをしているようだ。


「たとえ不死族と魔神族が束になってかかってこようとも、暗黒神様の敵ではあるまい。脆弱なる魔獣族や蛇神族でも、露払いぐらいはできるだろうからな。……ならば、そのような余所事は放っておいて、俺との賭けに集中してほしいものだ」


「いや、だけど、魔神族は人魔をも引き連れていたんだよ? それなら、看過できる戦力じゃないはずだ」


 ウロボロスは、黒い眼球を黒いまぶたで半分だけ隠した。


「人魔か。そこの蛇めも、そんなようなことを言っていたな。それはつまり、魔神どもが人間どもと手を組んだ、ということなのか?」


「対等の立場で手を組んだのか、それとも魔神族が君主として命令を下しているのかは、まだわからない。何にせよ、魔神族は人魔をも従えて、巨人兵団を襲撃したんだ」


「ふん……それが事実であるのかどうか、あなたはきっちりと確かめたのか?」


「え?」と僕は反問することになった。


「いや、北方区域までは2日がかりだし、そちらには使い魔も配置していなかったから、この目で確かめたわけじゃないけど――」


「ならば、その巨人めの記憶を探ればいいではないか?」


 ウロボロスはにたりと笑い、ネフィリムはびくりと身体をすくめた。


「いや、相手が人間ならともかく、魔族の記憶に干渉するのは危険だろう? おたがいの魔力が反発して、危ういことになりかねないって、僕はそんな風に聞いているよ?」


「はん。危うくなるのは、魔力が貧弱である側であろうが? 暗黒神様の側が危うくなる恐れなど、万にひとつもあるまいよ」


「だけど、ネフィリムをそんな危険にさらすわけには――」


「では、あなたは何の証もなく、不死族が裏切ったと決めつけているのか? 巨人族こそが真の裏切り者であった場合は、どうするのだ? これは同じ暗黒神様の配下として、なんとも釈然としないところだ」


 僕は、言葉に詰まってしまった。

 すると、ネフィリムが決然とした面持ちで進み出てくる。


「暗黒神様、どうぞわたくしの記憶をご覧ください。わたくしが真実のみを語っていると、それで証明させていただきます」


「いや、僕は君の言葉を疑ったりはしていないよ、ネフィリム」


「ですが、生命を散らした同胞たちを裏切り者呼ばわりされることには我慢がなりません」


 ネフィリムは、赤みがかった瞳に透明の涙を浮かべていた。

 僕は「わかった」と立ち上がり、彼女とともにウロボロスの眼前へと歩を進めた。


「それじゃあ僕がネフィリムの記憶を探るから、君は僕の目を通してそれを確認しておくれよ、ウロボロス」


「ふん? 俺は巨人どものぶざまな死にっぷりなんぞに興味はないがね」


「いや。言いだしっぺの君には、一緒に見届ける責任があるはずだ」


 僕はネフィリムの小さな頭に手の平を置き、逆側の手をウロボロスのほうに突き出した。


「さあ、僕の手を取るといい。これは暗黒神としての命令だよ、ウロボロス」


 ウロボロスは口もとを歪めて笑いながら、僕の手を取った。

 その鱗の生えた指先を金属の指先で握りながら、僕はネフィリムに呼びかける。


「ネフィリムは、気持ちを楽にしておいてね。君に悪い影響が出ないように、細心の注意を払うからさ」


「はい」と、ネフィリムはまぶたを閉ざした。

 僕は手の平から記憶走査の触手をのばして、ネフィリムの心にそっと忍び込む。

 次の瞬間、凄惨なる戦闘の光景が、僕とウロボロスの脳内を駆け巡ることになった。

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