第16話 現場は研究室

「被害者はこの研究室に所属する菊池藍、二十五歳。頭部を何か鈍器のようなもので殴打され、研究室内のこの机の上に倒れていました。凶器は今のところ発見されていません」

 先に現場に来ていた松崎利晴からそう説明され、昴ははあと返事するしかない。現場はなんと慶太郎の研究室だった。すでに慶太郎と翼の姿があり、他にこの研究室に所属するという二人の男性がいた。

「俺、場違いですよね」

 麻央にそう訊くと、月岡の弟だから問題ないと言われてしまう。横にいる由基はただの野次馬としてカウントされていた。邪魔しない限りは出て行けとは言わないつもりのようだ。

「まさかこんなことに。昨日の夜まで、一緒に議論していたんですよ」

 そうおろおろするのは、この研究室の主である慶太郎だ。それは当然の反応で、翼が落ち着けと宥めていた。昨日とは逆の構図だ。

「机の上という不自然な状況。それも仰向けに倒れているのに、頭部の後ろ側を殴打されている。明らかに他殺だな」

 そして空気を読まない刑事、麻央のその発言で、慶太郎は腰が抜けてしまった。たしかに、殺人の現場、それも知り合いが死んでいる状況で冷静にいられるはずがない。他の二人も青い顔をしていた。

「川島。ここから離してやった方がいい。彼らは殺人現場なんてものに慣れていないんだ。前回の小説同好会の奴らとは違う」

 そう翼が提言した。たしかに現場に慣れていないだろう。が、それは小説同好会のメンバーだって同じだ。何だか変な認識をされている気がする。

「ああ、そうだな。じゃあ、お前。この人を介護すると同時に横の研究室に他の人も案内しろ」

 そう指名したのは利晴ではなく、横で興味津々に現場を見ていた由基だった。ええっと驚く由基だったが

「追い出されたくなければ協力しろ」

 という麻央の一言で、さっさと行動することになる。この人、さすがは警部とあって人を使うのが上手い。そう昴は感心してしまう。

「また俺たちを巻き込むつもりか」

 しかし残された翼は迷惑そうだった。それはそうだ。ただでさえ友人の研究室で起こった事件だ。それに部外者であるという意識もちゃんと持っている。

「堅いことを言うな。お前ら兄弟がいると早く片付く。お前としても、事件を早く片づけたいだろ。いいのか。事件が長引けばずっと警察がうろつくことになる。それだけではない。周辺も捜査することになり、お前の研究室だって見られることになるんだぞ。いいのか。大事な資料やノート、それにパソコンを好きに見られても」

 刑事が口にする脅しか。昴はその言葉に唖然としてしまった。もはや徹夜明けのテンションも処理しきれない状況である。

「う、それは非常に困る。うん。協力しよう」

 そして研究が何より大事な翼はあっさりと承諾。ここで下手に慶太郎のためと言わないところが、よく翼の性格を知っているなと感心する。意外にも、翼には道徳的精神というものが足りないのだ。他人のためにと言われて動くタイプではない。自己利益が優先なのである。

「よし。というわけだ、弟。お前も前回のように頼むわ」

 そして当然のように頼まれる昴。文句はないが、やはり兄がメインかと思うところだ。まあ、麻央がよく知るのは翼だから仕方ないのだが。

「それで、今回も奇妙なことだらけの現場か。第一発見者は」

 翼は自分が来た時にはすでに警察が呼ばれた後で、慶太郎に呼び止められたのだと説明する。

「第一発見者はここの学生の、宮崎崇司。二十一歳の修士一年だ。朝からやらなければならないことがあったということで、早朝七時にこの大学に姿を現している。そして遺体を発見。すぐに警察とあの二宮先生を呼んだというわけだ。なかなか優秀だな。おかげで現場の保存状態は最良だ」

 そんなことで褒められても崇司は嬉しくないだろう。しかし机の上で大の字に仰向けに倒れる女性の死体を見て、よく冷静に対処できたものだと思ってしまう。しかも、机の上は血塗れなのだ。普通ならば卒倒するところである。それを指摘すると、麻央もそれは不思議に思ったと頷く。

 しかも、ドアを入ってすぐ目に付く窓が大きく破壊されている状態だ。驚きすぎて冷静になってしまったのかもしれない。

「その辺は取り調べでしっかりと聞き出すことにしよう。他に気づいたことは」

 麻央は近づいていいぞと許可をしてくれる。昴としては別に近づきたくないのだが、仕方がない。翼は研究室全体を見渡していて、死体には目もくれないのだ。自分で調べるしかない。

 前回は死体にそれほど近づかなかっただけに、昴は思わず唾を飲み込んだ。なかなかに迫力のある形相で死んでいる。それだけ痛かったということか。となると、一撃で死んだのではないのか。それとも怒り狂っているところを、相手にごつんとやられたか。

 しかしそれでは、仰向けの説明が出来ない。不意打ちを食らったのならば、普通は前に倒れるはずだ。犯人を確認したかったとしても、仰向けに倒れるというのは不自然に思えた。

「ん」

 そこでふと首筋が気になった。そこに僅かだが擦過傷がある。よく見ると、首の正面と耳にもあった。

「これは」

「ああ。傷があるな。しかし、これが何を意味するのか」

 仰向けに倒れた原因にしては傷が小さいし、直接関係ないのかもしれない。昴はううんと唸ることしか出来なかった。

「今のところ、何も解らないですね」


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