第8話 昴だって推理する

 そんな展開になっているとは知らず、昴はちょっと部室を見せてほしいと、翼が捜査協力をしていることを盾に現場の部室の前で交渉していた。野次馬もいなくなって現場には警察官一人しかいない。

「あの綺麗な顔の男の人さ。絶対に川島さんの彼氏だよな。あの人が、そこらの男に満足するはずないし。でも、完全な公私混同だよね。彼氏を連れ込んで殺人事件の捜査。いやあ、その神経を疑うよ」

 その現場の前に立つ警察官、話しているうちに同い年だと知った山内洋平は、いつしか昴相手に愚痴を漏らしていた。現場に入れてくれという話は棚上げされている。

「で、そいつが俺の兄貴なんですよ」

「マジで。じゃあ、川島さんがいずれ君の義理の姉になるんだ。大変だな」

 そこに同情されても困るし、おそらく二人は付き合っていないだろう。しかしこれは使える。

「そうなんですよね。だから第一発見者とはいえ、ぼんやりしていると怒られるんですよ」

 そう言うと、洋平は気の毒になったらしい。現場に立ち入るのは駄目だが、ここから見ていいぞと許可してくれた。黄色い立ち入り禁止のテープのすぐ傍。普通ならば見られない距離だ。

「ありがとうございます」

 それでもいいと、昴は洋平の横に立って、ようやく冷静に部室の中を見ることが出来ることとなった。ムカつく翼も使いようによっては役に立つということか。

「まだ臭うな」

 部室の傍に寄ってすぐに気づくのはこれだ。強烈な鉄臭い臭い。死体はすでに移動し、あった場所には白い線が描かれているだけとなっている。しかし現場にはまだ大量の血痕が残ったままだ。これが原因かと思うも、どうもそれだけではない気がする。

「ん」

 さらに奇妙な臭いに気づいた。鉄の臭いに気を取られていたが、何だか漂白剤のような臭いがする。何かそういう液体を使ったのかと洋平に問うと、まさかと首を横に振った。

「それ、鑑識の人も言ってたんだよね。だからあんまり中の空気を吸わないようにって。それとあの縄が妙だとか」

 その注意、出来ればもう少し早くしてほしかった。昴はすぐに顔を外に出すと、新鮮な空気を吸い込む。漂白剤でさえ、長く吸い込むのは危険だ。換気を十分に行う必要がある。それは含まれる塩酸が人体に有害なためだ。

「ん、塩酸」

 ひょっとしてと、昴は再び部室の中へと目を凝らした。しかし今度は息を止め、細心の注意を払う。尤も、警察関係の人が出入りしたり、ずっとドアを開けた状態で保存されているのだから、空気中に残る塩酸の量は減っていることだろう。鑑識は塩酸の可能性に気づき、窓も開けていた。

「何より気になるのは、鉄臭さ」

 塩酸について、昴は必死に思い出す。化学はどうにも苦手でそういう知識が曖昧になりやすいのが困る。しかし小学校の時にやった実験を思い出した。

「そうだ。鉄を溶かせるんだ。ということは」

「おう。弟の方も気づいたようだな」

 そこにあの美人刑事の麻央と、翼。さらに手錠を掛けられた航平の姿がある。ということは、航平が犯人。どうしてと、呆然としてしまう。

「犯行は複雑だ。しかし絶対にばれないはずだった。凶器は消えてなくなる。しかも、どれが致命傷か説明できない。解明までに時間が掛かることだろう。あまりに複数の要素があるために、決定的な証拠は消えてなくなるはずだった。体内から検出される量は極めて微量で、初動捜査に時間が掛かれば掛かるほどなくなるはずだった」

「塩酸を利用したから」

 翼の説明を補強した昴に、そのとおりだと翼は嬉しそうに頷いた。褒められると嬉しい。これもまた翼に対して気持ちがもやもやする要因だ。今も多くの人の前で同意を得られ、妙な優越感を覚えてしまう。

「そうだ。しかしどうしてすぐに塩酸と気づかなかったのか。それはつんとした刺激臭よりも鉄臭さを感じたことに理由がある。つまり、塩酸を用いたのはその毒性を利用するためではなく、溶解する力を使いたかったからだ。相当、苦しめて殺したかったようだな」

 状況を想像してか、翼が眉を顰める。そうやっても綺麗な顔が崩れないのだから、完璧な顔立ちといえるだろう。そして昴も、そんな方法でと具体的に想像してしまった。

 どうやってかは不明だが、航平は酔った圭介を部室に呼び出した。そして寝るのを待つか、昏倒させるかする。そして、荒縄で身体をぐるぐる巻きにしたうえで塩酸を染み込ませたのだ。

 その作業をどうやったか。推測だが、部室で立ち話はないだろう。ここは小説同好会。部屋の中心には長机とパイプ椅子がある。酔っていた圭介は当然、パイプ椅子に座っていたはずだ。そのまま寝たとすれば、身体を起こす必要はなく、縄を要領よく掛けていくだけでいい。

そして椅子から蹴落とし、そこに塩酸を掛けたのだ。これだけでも十分、死ぬ可能性がある。それなのに、航平は次の行動に移る。

「てめえ」

 と、自分を見下ろす航平に向けて怒鳴ったことだろう。しかし、その航平の手には鉄で出来た杭が握られていた。よく地面に刺すような、ロープを通す輪っかが付いているようなものだろう。

 それを、航平は縛られて動けない圭介の腹に突き刺した。しかしそれだけならば、杭が止血した状態になっている。ああいうものは、引き抜いた時に大惨事となるのだ。事故の場合、抜かずに病院に行くのが救急医療のセオリーだ。そう、刺したうえで溶かした理由はそこにある。確実に殺すためなのだ。

 じわじわと溶け始める鉄の杭に、圭介は驚いたことだろう。必死にもがいたかもしれない。しかし縄に染み込んだ塩酸はどんどん鉄を溶かしていく。

「いや、違うな。縄は周囲に飛び散った塩酸を吸収させるためだろう。杭の方に振りかけたに違いない。そっちのほうが、確実に消えるからな。そして、止まっていた血が吹き上がる。それによって、塩酸によって溶ける過程で発生する緑色の水溶液も、体内の血液に混ざって解らなくなるだろうからな」

 ぶつぶつと呟いていたらしい。そしてそんな昴の推理を、翼が訂正する。どちらにしても、じわじわと死が迫ってくるという状況を作り出していたのだ。恐ろしい。

「あんな奴、ちょっとは恐怖を知ればいいんだ」

「ん」

 トリックがあっさりと暴かれたショックから立ち直ったのか、航平がそんなことを呟く。これってあれだ。犯罪者がここからつらつらと自分の動機を語るってシーンだなと、昴はちょっと興奮してしまった。が

「恐怖を知らない人間はいない。生存本能だからな。というわけで、もう戻っていいかな」

 翼のこの総てをぶち壊す言葉により、航平は口をパクパクと開けて固まってしまった。

「おう、いいぞ。また何かあったら頼むよ。お前、というよりお前ら兄弟、面白いからな」

 さらに翼と一括にしてくれる麻央。もう、こっちが泣きたいと、呆然としてしまった先輩であり犯人の航平に、相手が悪かったなと同情の眼差しだけ向けておくのだった。

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