第4話 ずれている人たち

「ううん。そう言えば、兄貴の研究室に行くのって初めてだな」

 異常な状況と、異常な刑事たちのおかげで研究室の入る校舎まで駆けて来たが、ふとそれを思い出す。そしてどう切り出せばやって来るのか。麻央の名刺を渡せばそれで納得してやって来るのか。色々と疑問が過る。

「そもそも、あの兄貴とあの刑事の関係が解らないな」

 どう考えても、付き合っているような印象ではなかった。ただの知り合いなのか。そんなことを考えながら階段を歩いていると、いつの間にか翼の研究室のある五階に辿り着いていた。その真ん中あたりだと、たしか翼が説明していたのを思い出す。

 廊下はがらんとした印象で、人がいない。荷物が放置されているということもなかった。しかしどこにも人がいないというわけではなく、パソコンのキーボードを打つ音や、時折話声が漏れ聞こえてくる。研究室の中にいるようだ。

「ここ、かな」

 そんな静かな廊下を、一つ一つ研究室の名前を確認しながら歩く。が、どこにも研究室の担当者の名前がない。思い当たる辺りに辿り着くも、合っているのかどうか。外から確認する方法はなかった。廊下側に窓があるわけでもない。しかし、理論物理学研究室(宇宙)という、おそらくこれだろうという場所は見つかった。

「いかついよな。理論物理っていう言い方がさ」

 自分もそこに進むとはいえ、この名前はどうなのだろうといつも思う。他に表現のしようがないのだろうか。しかし今は名前に関して考察している場合ではない。目的を果たさなければならないのだ。翼が出て来るだろうと、思い切ってノックしてみた。

「はいはい」

 そんな軽い返事とともにドアが開く。出てきたのは予想に反して翼ではなく、しかし見覚えのある人だった。たしか熱力学の講義を受け持っている、秋山理志という講師の人だ。黒のジーンズにパーカーと、下手すれば大学生に間違われる格好が定番だ。顔はどこかゴールデンレトリバーのようで、人懐っこい印象を受ける。

「えっと」

「あ、その顔。月岡の弟だな。おおい、客だぞ」

 さっきから顔で翼の弟だと認識されることが続くな。そんなに似ていないはずなのにと、昴は思わず自分の顔を撫でてしまう。兄貴の方が完璧というのが、自分の理想化の中でしかないということに、昴はまだ気づかないのだ。

 そうしていると、翼がひょっこりと顔を出した。こちらも同じくラフな格好で、ジーンズにワイシャツという姿だけで言えば大学生と変わりない。どうにも理系の先生はスーツを着るということをしないようだ。

「どうした?」

「川島っていう人が呼んでいるよ。この大学で事件があったんだ。知らないのか?」

 すでに教職員には知らされているはずだがと、無関心そうな翼に取り敢えず名刺を押し付ける。

「ああ。彼女、刑事になっていたのか。今は警部とは、順調に出世しているようだな。公務員試験を受けるとは聞いていたが、なるほど」

 名刺を受け取った翼は、へえと名刺の肩書に興味を示しただけだった。ますます関係性が解らない。

「あのさ」

「何、こいつも事件に関係あるの?」

 横から理志が興味津々に顔を覗かせて訊く。こちらの方が普通の反応だ。やはり事件に関して、すでに通知が行っているらしい。昴はそれにほっとしつつ、関係ないことは言っておかなければと説明する。

「いや。担当の刑事さんが知り合いだそうですよ。それで、何故か呼んで来いって」

 というわけで、事件に関係がないのは確かだ。だからこそ二人は、この研究室で何をやっていたか不明であるものの、いつも通りに過ごしていた。どうして呼んで来いとなったのか。やはり翼の知り合い。行動が理解不能ということか。

「そう言えばさっきから事件というが、一体何があったんだ。不要不急の行動は避け、警察の捜査に協力するようにとメールにあったが」

 そして翼の抜けた発言。そこまで連絡があってどうして興味を持たないんだと、昴には不思議で仕方がない。こっちは不謹慎にも、第一発見者で関係者なんて凄い状態だと密かに興奮していたというのに。

「殺人事件だよ。俺も詳しくは知らないけどな」

 そして同類項がすぐ横にいた。昴はもう説明する気力がなくなる。理志は普通だと思ったが、やはり物理学にのめり込む人物。何かがずれている。

「取り敢えず、すぐそこだから来てくれ」

 そうやって、興味津々となった理志も加えて三人で現場に戻ることになったのだった。

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