お絵かき大会で見えてきたもの

 私は高校三年生の頃に、よく行く児童館でお絵かき大会をしたことがある。最後だからという理由で一度だけやらせてもらったイベントで、ポスター作りは自分でした(ポスターの絵は失敗してしまったが)。インターネットにも正式なイベントとして載せてもらったが、集まったのはたったの五人だった(曰くこれでもまだ集まった方に入るらしい)。最初は「好きな曲のイメージ」というお題だったが、あまりにも難し過ぎたので、「好きなもの」に変えた。

 そこから見えてきたのは、皆が思い思いに(辛うじて読み取れたものもある)好きなものを描いているという光景だった。メルヘンが好きな子はメルヘンの絵を。バスケが好きな子はバスケットボールの絵を。麻雀が好きな子は麻雀の絵、といった具合に。皆が好きなものを楽しそうに描いているのが伝わったので、私自身「大会とかいって競わせなけりゃよかった」と思った。好きなものを描いていることははっきり伝わったので、それにダメ出しをするのがバカバカしくなったのだ。得点をつけてジャッジするのが面倒くさいので、事実上大会は大会ではなくなった。

 何故人は競い、争うのだろう。当たり前のように人に得点を付けて何になるのだろう。評価の高い低いは関係ないはずなのに、それでも人は他人を評価することで順番づける。この大会を開催するまでは評価は付けられて当たり前だった。だが、そんなことは重要ではないとこの時に知った。

 私自身、負けるのが嫌いだ。いっそ勝敗という概念もなくして欲しいくらいに。そうすれば余計なストレスを一切溜め込まずに済むのに。のんびりと過ごすことができるのに。

 この大会の顛末だが結局、形式上だが一位はちゃんと決めることになった。本心では全てそうしたかったのだが。上手い下手で決めるよりも、楽しみながら描いていることが分かったから。景品も何もないが楽しんで描けたのだからそれで良いのだ。

 この世は、「上手く描けた」「綺麗に描けた」というだけで持て囃す一方で、「下手」「汚い」という理由で貶める。どんなに価値のある絵だとしても、それは変わらない。そもそも、今はデジタルイラストが主流だから手を汚す必要がないのもあり、大半の人がデジタルイラストに移行している。けれど、絵というのは本来絵の具やらペンやらの手を汚すもので描くはずだ。デジタルイラストを否定はしないが味が無くなったというのは寂しいものである。私は主にアナログ(版画も含めて)で描くが、以前「その方が味がある」と言われたことがある。デジタルイラストを描くのが苦手な私であるが、味のある絵は心に響くことがあるだろうと私は思うのだ。あの時、好きなものを描いてくれた子たちの絵のように。

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