風神雷神

 一時間後。


「アキヒロ。なんかスピンとかジャンプとかできるようになった」


 吸血鬼の身体能力を舐めていた。俺の教え方が上手かったわけではない。スケート場にプロ並みに上手い人がいて、その人の動きを再現したらしい。普通の人間は観察して即座に再現なんてできません。

 氷上を自由に駆ける朔夜を、縁に背をもたれさせながら眺める。

 三〇分くらい経った頃だろうか。満足げな顔をした朔夜が、戻ってきた。


「楽しかったか? スケート」

「もう最高! 氷の上を滑るのがこんなに気持ちよかったなんて!」


 やっと、朔夜の満面の笑みを引き出すことができた。

 ここに連れてきたのはひとまず成功だな。


「もういいのか?」

「うん。十分堪能した! それに」

「お腹も空いてきたし、か?」

「う。正解」


 アイス・ランドには名物料理がある。朔夜にはそれを堪能してもらおう。

 氷の彫像のあるドーム。そのドーム内は彫像の展示の他にフードコートの役割もはたしている。


「さあ、これは食べたことないだろう! 名物、アイスカレーだ!」

「アイスカレー? アイスでも入ってるの? 色は普通に茶色だけど」

「まあただの冷やしカレーなんだけどな」

「冷やしカレーっていうのも食べたことないわね。いただきまーす」


 冷やしカレー。その名の通り冷たいカレーである。カレーは熱いものだという概念が染み着いているため最初は猛烈な違和感を抱くが、それを乗り越えるとクセになり何度も食べたくなる。なんでもオーナーが冷やしカレー用のスパイスを調合したらしく、味の方は折り紙付きだ。

 朔夜もはじめの数口は微妙そうな顔をしていたが、段々とスプーンを口に運ぶ速度が上がっていく。

 やみつきになったか。冷たい食感からの、香辛料による身体の火照りのギャップに!

 食後についてくるデザート、アイスクリームも食べ終わる。朔夜はご満悦だ。


「冷やしカレーも食後のアイスも美味しかった!」


 よしよし。良い感触だ。ここまで概ね経過良好。この調子で遊び尽くしてやる!

 それからメリーゴーランドやゴーカート、ジェットコースターにコーヒーカップと定番どころをまわる。朔夜はいずれのアトラクションも子どものように無邪気に楽しんでくれた。

 一六時を過ぎた頃、朔夜がもう一度滑りたいとということで、再びスケート場へ。

 朔夜は一人で楽しんでいるため、俺も俺で自由に滑ることにした。

 しばらくして尿意を催したため、トイレへ向かう。

 用を足したところで、スケート場にほど近いドームから歓声が聞こえてきた。

 何かイベントでもやっているのだろうか。面白そうなら朔夜にも知らせてやらないと。


 そう思い、氷の彫像のあるドームへ移動する。

 どうやら彫像展示コーナーの隅で、彫像作り体験会が開かれているようだ。

 パフォーマーでもいるのかとのぞいてみたら、そこには。

 巧みに舌を操り、何かの像を作っている最中の男がいた。

 ニット帽、サングラス、マスクとフル装備のため、顔は見えない。ニット帽から僅かにはみ出した金髪を見るに外国人の方だろうか。

 舌を使って像を作る、だと。

 胸の底から熱いものがわき上がってくる。これは、対抗心。

ほどなくして、像が出来上がった。


 雷神。


 そこには、今にも動き出しそうなほど精巧な雷神像が屹立していた。

 割れんばかりの拍手、喝采。

 男は優雅に一礼し、賞賛の声に応えた。

 いてもたってもいられない。

 俺は注目を浴びている男のすぐ横へ躍り出た。

 困惑する観客。拍手が俺の登場に合わせて盛り下がっていく。

 俺の目には、出来上がった彫像しか写っていない。

 見事だ。掘りの正確さ。魂が宿っているかのように見まがう精巧さ。

 これを、舌で作ったのだ、この金髪の男は。

 飴で龍を作ったときを思い出す。あの時の熱さを。限界を超えた感覚を。

 俺はパチン、と指を鳴らした。

 すぐ近くにいたスタッフが、ハッと何かに気付いたような顔をした。察したか。俺の意図。


 スタッフの行動は迅速だった。他のスタッフに声をかけ、慌ただしく動き始める。

 一分と経たず、それは用意された。

 作り出された雷神像と同じくらいの高さの、のっぺりとした氷の塊。

 口内で唾液を練り、戦闘準備。

 昂ぶる心そのままに、舌を振るう。


「はぁぁぁぁああああ!」


 裂帛の気合い。加速する。思考も舌も!

 時間の感覚が無くなった頃。

 俺の耳に、絶叫に近い歓声が飛び込んできた。

 意識が半分飛んでいた。

 鮮明になった視界がとらえたのは。


 風神。


 雷神と対になる像。

 どうやら俺は、無事に作り出すことができたらしい。記憶の底にあった風神像が曖昧だったから完成させられるか不安だったが、なんとかなった。

 隣から視線を感じる。

 見やると、雷神像を作り出した男が、サングラスを外してこちらを見ていた。

 透き通るような、碧い目。

 見つめ合う。それだけで分かった。俺たちは同志だと。魂の片割れだと。好敵手だと。

 カメラのシャッター音が轟く。観客が押し寄せ、それをスタッフが必死に押しとどめている。

 そんなのは意に介さず、俺たちは固い握手を交わした。

 改めて像を見る。

 向かい合う風神雷神像。俺の目には、同クオリティに見える。一部を除いて。


「雷を発生させる太鼓。その太鼓をつなぐ線。円環。太鼓を支えられるギリギリの細さだ。俺はここまで攻められねぇ」

「風を発生させる風袋。その皺の見事さや、三次元での再現度の高さ。ボクではこの布の質感は出せない」


 男にしては高めの声。イケメンな上に美声とは。

 外見や声なんて関係ないか。俺たちには舌技さえあればそれでいい。

 スタッフから写真を求められたため、風神雷神像の前で二人で肩を組んだ。


「お前に会えて良かったよ。久々に胸が熱くなった」

「ボクもだ。ボクに比肩しうる者などいなと思っていたが。世界は広いな。ま、比肩し得るってだけで、ボクが負けているとは思っていないけど」


 自信に裏打ちされた強気な発言。ここで黙ったらナメニストとしての矜持が錆びる。


「それはどうかな。俺もお前の実力は認めるが、俺より上とは認めるつもりはない」

「なら、勝負するか?」

「いいだろう。受けて立つ!」


 それから俺たちは完成した像の前でひたすら競った。

 舌で逆立ち。舌で腕立て伏せ。体力ならぬ舌力が尽きるまで競った。

 互いにほぼ同時に舌力が限界を迎え、倒れ伏す。

 もう言葉はいらなかった。倒れながら、笑みを交わす。それだけで満たされた。

 やがて園長がやってきて、俺たちの像をここで永久保管したいと頼み込んできた。

 俺たちは二つ返事で了承した。二人して、アイス・ランドに贈呈という形をとり、お金は受け取らなかった。

 最後に拳を合わせて、別れた。

 名前? 聞かなかったよ。あいつも聞いてこなかった。それでいいんだ。だって、舌が、俺たちを結んでいるから。ナメニスト同志は必ず巡り会う。そう遠くない未来、また再び相見えるだろう。そんな予感がした。

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