第27話 帰還

 魔王の身体が段々と消える。粒子となって、すっかり橙色に染まった空に同化していく。


 陽清はそれを至極退屈そうに見送った。

 あれほどまでに憎悪で猛っていたのに、終わりはあまりにも呆気ない。そして、あまりにも意味のないものだった。


 この世界に戻ってきてからずっと抱えていた問題は、たった今解決した。日常を脅かす存在は消えて、明日から、この世界における正常が再び機能し始める。

 だがそこに、椿屋怜奈の姿はない。彼女が犠牲になることで、この世界の正常が担保されたのだから。


 事が終わり、魔王の遺体がいなくなった地面の上に、陽清は力なく腰を下ろす。闘いが終わって、その反動がやってきた。


「お疲れ様、ハル君」

「……アリシア。何も疲れてねーよ」

「そう? ずいぶんと傷だらけよ。放っておくと、死ぬわよ」

「それでもいい。俺は椿屋を守れなかったんだから」


 何かを考えるのが酷く煩わしい。闘いの最中すら、無我夢中で刀を振るっていた。ある種、闘いの境地なのだが、今の陽清には関係のないことだった。


 あと少し決断が早ければ怜奈は助かっていた。彼女の温もりが、まだ両手に残っている感じがする。


 一度目と二度目は、相手のことを知らずただ本能で。

 三度目は、自分がまきこんでしまったその責任を取るために。

 未遂に終わった四度目は、なぜ彼女を助けたかったのか。


 実は、陽清にもよくわかっていなかった。こうしなければならない。義務感に基づいた衝動。ならば、どうしてこんなにも怜奈を守れなかったことに罪悪感を抱いてしまうのか。


「……ねえ、何か凄い落ち込るでんだけど。どうするの、レイナ?」

「し、静かにしてください、アリシア先輩。今はちょっと」


 自己嫌悪に暮れる陽清の耳に、不穏な会話が聞こえてきた。

 状況からしてみれば、絶対にアリシアの独り言のはず。だが、どう考えても声の主は二人いた。


 釈然としないながら、彼はゆっくり立ち上がった。そして、アリシアの方に歩み寄っていく。彼女は、怜奈の顔の近くでしゃがんでいた。


「……椿屋?」


 呼びかけてみるが、声は返ってこない。

 だが、身体がぴくりと動いたように見えた。


 陽清の顔が唖然としていく。


「アリシア、どうなってるんだ?」

「ワタシに訊きます、それ?」

「……椿屋、別に怒ったりしないから起き上がっていいぞ」


 陽清の呼びかけに、怜奈がようやく小さな返事をした。

 そして、ゆっくりとその身体が起き上がっていく。


 間違いなく椿屋怜奈は生きている。制服が赤黒く染まっているものの、全く平気そう。ただブラウスの胸元には、大きな穴が空いていた。


 怜奈は申し訳なさそうな顔をして、決して陽清と目を合わせようとしない。


「あの、ごめんなさい。私、死んでなかったみたいなんです……」

「……いや、ええと、それはいいんだけど。アリシア、お前の治癒魔法が効いたのか?」

「かけてないよ、そんなの。だって今、ワタシ魔法使えない状態だし」

「じゃあなんで。まさか、椿屋も異世界経験があるとか」

「えぇっ! な、ないですよ、そんなの!」


 この場に、激しい混乱が訪れていた。

 陽清は当たり前だが、怜奈もなぜか自分が死んでいないことに理解は追いついていない様子だ。


 となると、全てのカラクリを知っているのは一人しかいない。

 二人の目が一斉にアリシアの方を向く。


「ふむ。有耶無耶にするのも面白いと思ったんだけど、種明かししましょうか。登山の日、森でレイナに会った時、おまじないをかけたのよ」

「おまじない、ですか?」

「ええ。特定の条件下で作用する、とびきりのモノをね」

「……それがあれか。死んだ時に一度だけ復活できる、みたいな」

「本当はもっと複雑だけど、まあそんな感じよ。で、その結果、ワタシは本当にただの女子高生になりましたとさ」

「嘘だろ?」

「ホントです! ほら、手当てするから、ハル君こっち。レイナも一応、ね」


 アリシアの呼びかけに、陽清と怜奈が彼女のもとに集まる。

 持っていたスクールバックから、アリシアは色々な道具を取り出し始めた。

 それを怜奈が手伝い始める。医者の娘としてのスキルを遺憾なく発揮するつもりらしい。


 陽清は手持無沙汰に、それを眺めていた。未だに、怜奈がピンピンしているのが少し信じられなかった。


 間もなく服を脱ぐように命じられて、陽清は大人しくワイシャツを脱いだ。怜奈がいるものの、あまり気にしていないのは、彼女の存在がすっかりなじんでいるからだろう。


 ただ、その怜奈はだいぶ顔を赤くしていたが。


「でも、椿屋はそれを知らなかったわけだよな。なのにどうしてあんな真似を」

「だって、柳上君が自分を犠牲にしようとするから」

「その点で言ったら、椿屋も同じじゃないのか」

「違うでしょ。レイナはハル君を守るために命をなげうったのよ。ハル君は、助ける人なんて関係ないじゃない」


 バシッ、とアリシアが激しく傷口を叩く。それを見ていた、怜奈が慌てて窘めた。


 謎の暴力は抜きにして、そう言われると陽清に返す言葉はない。アリシアの言ったことに、流石に自覚症状はあった。

 だが、あの時は違った気がした。他でもない怜奈だから、自分を犠牲にするのにためらいはなかった。その決定プロセスに置いて、彼女の存在は大きかった。


「これを機に、少しはハル君も自分の命を大切にして欲しいんだけど」

「……昔、どっかの誰かさんが非協力的すぎて、ゾンビアタックを奨励されたんだが」

「忘れました、そんな昔の話は」

「って! いちいち傷口を叩くなよ」

「そうです、アリシア先輩。怪我人はちゃんと労わらないと」

「何が怪我人よ。どうせ適当にしても、明日には治ってるんだから。丁寧にやるだけ無駄よ、レイナ」

「……うぅ、それはそうかもしれないですけど」

「待て、椿屋。押し負けないで欲しい」


 背中に不穏な空気を感じて、陽清はぞっとする。怜奈まで敵に回ってしまうと、個の身がどんな激痛に苛まれることか。

 二人の手当てを経験した身からすれば、それは雲泥の差。もちろん、怜奈の方が懇切丁寧で優しい。


「レイナ、悪いんだけど、水を汲んできてもらえる?」

「わかりました!」


 アリシアが空の容器を怜奈に渡した。

 怜奈が屋上から出ていくのを見計らって、アリシアはぐっと陽清の近くに寄った。


「で、ハル君。最大の脅威は去ったわけだけど。どう、この世界でちゃんとやっていけそう?」

「なんだよ、いきなり」

「どうも力を持て余してるみたいだったから。後、ここに自分の居場所がないんじゃーとか悩んでなかったかなーって」


 ニヤリと、腹立たしい笑みを浮かべるアリシアから、陽清は目を逸らした。口に出したつもりはないのに図星。嫌でも、異世界での長い付き合いを思い起こさせる。


 返答に窮していると、怜奈が戻ってきた。若干息が弾んでいることから、それなりに急いできたようだ。


 アリシアは何事もなかったかのように、陽清のそばを離れる。


「はい、汲んできましたアリシア先輩!」

「お、ありがとう、レイナ。さて、つづきつづき~」

「二人で何話してたんですか?」

「んー、べつにくだらない話よ」


 にこやかに喋りあう怜奈とアリシアを見て、陽清は暖かな気持ちになっていた。

 大丈夫だ、と陽清は心の中で答える。異世界から帰ってきて今日まで、慌ただしい日々が続いたけれど、陽清は確かな居場所をはっきり見つけていた。

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異世界帰りの現実無双~元勇者は、平穏無事には暮らせないようです~ かきつばた @tubakikakitubata

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