第18話

 まだ日は高く、雲太はミノオらを、和二と京三に預けた。二人は子を連れると川へ身を拭いに向かい、雲太は大人たちの後について案内された住まいへもぐりこむ。上がり込んだ土座で、日が入らぬ以上、暗い面持ちの大人らと向かい合った。

 ここでも真ん中を陣取ったのは禿げ頭だ。これが村のまとめ役らしく、名をスマと名乗った。形だけでも雲太へ頭をさげると、まことおかしな田畑の様子に見合う、これまたおかしな話をつまびらかとしていった。

 それは村が背にする山々から年に数度、穀の採れる頃になれば必ずだ、決まって日のあるうちに山からの風に乗って二匹の黒い龍が空を駆け降りてくる、と言う話だった。大きさは天を覆い尽くすほどもあり、日は陰ると暗がりに凄まじい唸り声を響かせるという。そうして龍の片方は実った穀を好きなだけ奪い、もう片方は菜だけを毟って消えるのだということだった。

「山から二匹の黒い龍、か……」

 聞いて雲太は懐で腕を組む。あわせから突き出した手で伸びたもみあげをなでつけた。

「田畑の収穫がなければ、山の向こうに住む者とも市がたたん。なんといってもこの噂は広まって、もう村へ誰も寄りつかんようになってしもうた。龍神様のたたりじゃと出ていった者も多い。山の入口には山神様の祠があるよって、さっそく少ない食い物を割いて捧げ物もしたが、あの辺には向こうの村と行き来する者を狙う山賊もおる。そやつらがちょろまかしてしもうたのか、いっこうに怒りがおさまる様子はない。どうじゃ?」

 スマの目玉が雲太へ裏返る。

「聞いて力になれることがあれば成すというたが、それはおぬしの口約束だろうが」

 雲太は咄嗟に違う、と言いかけ口をつぐんだ。確かに相手が龍神だと言うなら話は厄介で、そもそも龍神とは雨を呼び、山や川を愛で、高天原の神々を守護する天津神だ。黒いという色もさることながら、穀や菜を食うなど聞いたことがない。それもなにをや荒ぶっておられるのだとしても、天照こそ放っておかれるはずがなかった。

「龍というのは考えになかった」

「それみたことか」

 奥の方からたちまち野次は投げられる。

「だが確かにこのことは承った。すべてもらさず御仁へお伝えしよう。ついては取り急ぎここを発ちたい。そのためにも、しばし子らを預かってもらえんだろうか」

 甘んじて受け、雲太は袖に通した手を土座へついた。乞うて擦りつけんばかりに頭を下げる。

「は、返す菜はない。そのうえわしらの元から盗みを働いた余計な食いぶちを口約束だけで預かれ、という。いったいわしらにどんな義理がある。何をいうておるかわからんわ」

「だが子らだけではいずれ飢えて死ぬ。分かっていて放ってはゆけん」

「ああ、なら死んだらええ」

 スマがアゴをしゃくり上げた。

「よくもそう簡単に」

 雲太は眉間を詰めてゆく。

 それもこれもをふん、とスマは払いのける。かと思えばはた、と何事かに気づいた様子をみせた。

「そら、そこまで言うなら、おぬしが連れてゆけばよいだろう。それが筋というもんだ」

 確かに出来る事なら雲太もそうしたい。だが食いぶちが四人も増えるのだ。旅のさなかであれば手持ちの穀はすぐにも尽き、かわるものこそ思うように都合できるとは思えなかった。しかもこの先にひかえるのは険しい山道で、なによりその身は木偶である。子らを預かったところでこの先どうなってしまうのか、てんで見当がつかなかった。

「それは、できん」

 無念ときつくまぶたを閉じる。

「よう言いおるわ」

 突き合わせていたヒザを、雲太の前からスマは逸らした。うなずく気配は周囲でも揺れ、盗人の子なんぞ山賊にでもくれてやればよい、と囁く声は聞こえてくる。豊かな頃は畑の物を盗むついでに子もさらってゆくことがあったのだから、喜んで引き受けてくれるはずだと笑い声さえ上げてみせた。

 一部始終を耳に雲太は土座へ頭を下げたままじっとこらえる。ほかにどうすることもできなくなっていた。


 知らず川べりは差すに日に照らされ暖かい。

 ミノオはまだ先ほどの大人たちの様子が頭から離れないようだったが、下の子らはもう忘れてしまった様子だ。普段、こうしてかまってもらえることがなかったせいだろう。京三が体を拭おうとすればくすぐったげと笑い転げ、身をよじると逃げ出しては緑の中を体一つで駆け回った。

「これ、じっとしていなさいと言ったでしょう」

 いさめて捕らえ、京三はその体を丸太のように抱え上げる。

「そら、捕まえた。早くしないと日が暮れてしまうではありませんか」

 身を拭うだけでもうひと仕事だ。なおのこと子供らは喜び騒ぎ立て、見守りミノオも微かと笑む。続かぬ頬をしぼませていった。わけは和二にさえ察しがついてならない。

「心配するな。うんにいは、ちゃんと話をつけて帰るぞ」

 言葉にはっ、と顔を上げたミノオは見透かされていると知って恥ずかしげだ。背を丸めるとそこからコクリ、うなずき返した。眺めて和二はなおのことグリグリ、顔中をうごめかせる。これはいかん、で慌てふためいた。

「き、聞けっ。本当だぞっ。うんにいがすごいのは本当だぞっ。建御雷を通すぞっ。おいらは塩が足りないからできないけれど、うんにいは出来るぞっ。だから絶対、絶対、大丈夫なんだぞっ」

 しかしポカン、と聞くミノオに通じた様子はない。

「たけ、みかづち?」

「お、お前、建御雷を知らんのか」

 うなずくミノオにこれまたいかん、と和二は山を指さす。

イカヅチの神だぞ。あの山くらい大きい……」

 言いかけたところで息を詰まらせた。

 ごうっ、と風はその時は吹く。

 突きつけた指の向こうで山は動いた。

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