第14話

「これ、わっぱ」

 たずねて顔をのぞき込んだ。

「お前の父上は口がきけんのですか」

 合わさぬ男子は目を逸らすと卵を守ってことさら身を固くする。やがて大きくうなずいた。

「卵を食えば、それが治ると」

 その問いには何も返さない。

「お前は父上のことで困っておるのですね」

 次の問いには自分のヘソを見つめるようになお丸まって、深くうなずき返してみせた。見届け京三は立ち上がる。雲太へと振り返った。

「病か何かでしょうか」

「おい、お前、そうなのか?」

 雲太の手を払った和二も確かめる。うつむいたきりで男子は、そんな和二へもうなずき返してみせた。

 のちに男子の住まいは松が生える丘の向こう、見つけた小道を辿ったところだと知らされる。それは先を急ぐ旅路の途中でもあったなら、卵は三つだけを手元に残し、海亀へ詫びると雲太らは男子の住まいへ立ち寄ることにした。

 松を抜け丘を登ることしばらく。慣れた男子の足取りは軽い。追いかける雲太らの息は上がり、心配する男子は駆け上がっては立ち止まるを繰り返して待った。あいまに名をミノオだと教えもする。そのミノオといくらか道を同じにして間違いないと思えたのは、ミノオの体からはどうにもくさい臭いが漂っていることだった。

「のう、ミノオ。お前は体を拭わんのか。少し臭いが強すぎるぞ」

 それは言って雲太が眉を寄せるほどだ。だがミノオははにかんだように笑っただけで、答えて返すようなことはしなかった。

 そのうちにも雲太らは丘を登り切る。高みから眺める丘の向こうは一面が緑だった。茂る草木は風にそよぎ、日の光を浴びてキラキラと輝いている。ままに風は雲太らのところまで吹き上がると、ここまでの労をいたわるように頬をなでていった。心地よさは躯体の木切れも芽吹いてきそうなほどに清々しく、満たされて雲太らは汗を乾かす。ならミノオは遠くに見える薄いワラ屋根が乗った住まいを指さし、あれだ、と教えた。ほかにもぽつぽつ、周りに住まいは見えている。村だろう。雲太は察し、目指して再び足を繰り出していった。

 だがそんな村がどうにもおかしいと気づいたのは、ふもとへ辿り着いてからのこととなる。近づけば近づくほど目にとまるのは芋のツルどころか雑草ばかりで、ことごとく干上がった田らしき窪地ばかりだった。

「ずいぶん荒れておるようですね」

 抑えた声で京三が話す。この様子にはさすがの雲太も驚いた様子だった。

「うむ。これはずいぶん長らく畑仕事をしておらんようだな」

「海が近いのです。ここしばらくは魚を獲っておったのでしょうか」

 京三の想像はさもありなんと思えたが、雲太は浜で肝心の物を見ていないことに思い当たる。

「船がなかったぞ。あったとしても、やはり魚だけでは食っていけまい」

 目を、ふともすればあぜを見失い、踏み外しそうな草だらけの足元へ向けた。蹴散らされて逃げ出すバッタが幾匹も、先導するように跳ねている。

「亀の卵を食うといっておりましたが……」

「ほかにはもう食うもんがない、ということか」

 吐いて雲太は眉を詰めた。ゆるめて行き過ぎるかたわら、あぜに生えていたうす紫の花を手折る。そこに蝶は群がると、させておいて甘い香りへ鼻を寄せた。

 ミノオの住まいはと言えば、ずいぶん歩いたおかげでもうそこに見えている。前には一人、じっとこちらを見つめて石ころのようにうずくまる子供の姿があった。どうやらミノオの兄弟であったなら、戻ってきたミノオが声をかけている。ままに住まいの中へ駆け込んでゆけば、立ち上がってまで子供はその姿を見送っていた。

 手を、追いついた和二がつないでいる。ここだと知らせてもう片方を、雲太らへと振ってみせた。

「分かった。今行くから待っておれ」

 雲太も手折った花を振り返す。

「雲太、あちらに」

 その袖をやおら京三は引いていた。

 振り返れば青々と茂った草むらの隙間だ。誰ぞの頭はのぞいている。禿げ上がった様子は大人のものに間違いなく、ほつれた髪を日に透すとじいっと草陰から雲太らをうかがっていた。

「この里の者か?」

 呟き雲太はそちらの方へも手を振ることにする。

「おおぅい。この先の住まうミノオのことで立ち寄った。名は雲太。旅の途中の者である。残りの二人はわしの兄弟だ。ミノオの父のことを知っておられるなら、ちと尋ねたいことがある」

 だというのに頭はそれきり引っ込むと、草むらの中へザザ、と紛れてしまう。

「なんだ。愛想がないのう」

「わたしの方がよかったのでしょうか」

 言う京三は真顔だ。

「お前、それは一体どういう意味で言っておるのだ?」

 さあ、と京三が首をかしげたところで、二人は住まいに辿り着いていた。

「う、こやつも臭いな」

 和二と手を繋いだ子供だ。その子もミノオと同じ臭いがしていた。のみならずすっかり汚れた体はずず黒く、髪も前をそろえたきりとザンバラ同様、合わせがはだけた衣もすっかり引きずってしまっている。様子はもう男か女かさえわからない。

 仕方ない。まだ一人でカワヤへも行けそうにない年恰好だった。畑がこれなら世話も行き届いていないのだろう。雲太は思うことにする。

「うんにい、ミノオのおとうにあいさつするぞ」

 和二にせかされ、ともかく住まいの中へ身を屈めた。

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