第11話
そして、週末。
私は中学時代からの友人、亜紀の結婚式に来ていた。
「梨衣が亜紀の結婚式に来とる~! すごいやん! 出席で返事したって聞いた時は嘘かもって思ったけど……よかった~」
受付で待ち合わせていた佳代が、私を見つけてにっこりと笑う。
男性恐怖症になって、友人の結婚式に参加するのは今回が初めてだ。
招待状の「出席」に〇を付けるのに、十数分かかってしまったし、今日も緊張しすぎて日が昇る前に目が覚めた。
式場のラウンジには、すでに十数名の出席者がいた。その中には男性ももちろんいる訳で、私の身体はやはり震えていた。
しかし、近づかなければ問題はなさそうだ。
席次をみても、事情を知る亜紀の配慮で周囲に男性はいない。だから、大丈夫だ。
そう自分に言い聞かせる。
「大事な亜紀の結婚式だもん。それに、いつまでも男性を避けては生きられないし、男性を理由に拒絶してたら、その人の良さにも気づけないままなんだよね……」
自分の許容範囲を少し広げるだけで、見える世界は変わってくる。
それを、私は細見さんとのレッスンで気づかされた。
男性だから暴力的――そんな方程式が私の中にはずっとあった。
けれど、違うのだ。
主語は“男性だから”ではなく、その人の問題。
それに、DVから抜け出せなかったのは、私の心の弱さのせいでもある。
すべてを彼のせいにはできない。性別で一括りにすることも。
(細見さんに出会えたから……)
ピアノに向かう一生懸命な姿とか、私を気遣ってくれる優しさとか、うまく弾けた時の嬉しそうな笑顔とか、そういったものすべてが、私が持つ男性に対する恐怖のイメージを少しずつ薄めてくれた気がする。
「梨衣、変わったねぇ。例の細見さんのおかげかな?」
佳代の問いに、私は迷いなく頷いた。
「うん。細見さんのレッスン、最初は男性だからって怖がってたけど、本当に一生懸命で、講師として私がこんなんじゃ駄目だってすごく思ったし……それにね、すごく楽しかったの。細見さんがだんだん弾けるようになるのを見て、講師としてやりがいも感じたし、楽しんで弾いてるのが伝わってきて……ようやく、少しだけど、自信が持てた気がする」
ずっと側で心配してくれて、支えてくれたのは佳代だ。そして、今日結婚する亜紀も。
二人の存在にどれだけ救われたか分からない。
だから、本当に幸せになって欲しいと思う。
「うんうん、ほんまによかった! それになんか、梨衣めっちゃ綺麗になったなぁ」
「綺麗なのはドレスと髪型のおかげだよ」
長袖のシフォン生地のピンクベージュのドレスは、手首から肩にかけてレースの透け感が可愛らしい。
実はこのドレス、妹のものだ。装飾のない黒いドレスしか持っていなかったので、妹が見かねて貸してくれたのだ。
結婚式に喪服みたいな恰好で行くのはやめて、と。
こんな可愛いドレスが自分に似合うはずがないと思っていたが、佳代の反応を見る限り変ではないようだ。
そして、今までしたことがないヘアアレンジを、美容院でやってもらった。複雑に編み込まれた髪は、どこをどうやったのか不器用な梨衣には想像もつかない。しかし、仕上がりはさすがプロ。地味な自分が、ほんの少しだけ可愛く見えた。
「そんなことない! 梨衣ほんまに綺麗やから。自信持って!」
「ありがとう。佳代も、いつも以上にきれいだよ」
大人っぽいダークブルーのパンツスタイルを着こなせる人はなかなかいないだろう。
そうして、佳代と共に挙式が行われるチャペルへと移動した。
荘厳な雰囲気のチャペルで、オルガンの音色に合わせて、純白のウエディングドレスを着た亜紀が入場する。優しそうな眼差しの新郎のもとへ、バージンロードを歩いていく亜紀の姿は、本当に綺麗だった。
ドラマでよく見る誓いのキスも、やはり親友となると別物で、感動しすぎて涙が止まらなかった。
(亜紀、本当におめでとう)
そして、色とりどりのフラワーシャワーを浴びながら、新郎新婦は幸せいっぱいの笑顔で退場した。
佳代と二人で号泣し、披露宴が行われる頃には二人とも泣きすぎて顔面が大変なことになっていた。
しかし、まだこれで終わりではなく――。
「わぁ、亜紀すごく綺麗っ!」
純白のドレスから光沢のあるブルーのドレスにお色直しした亜紀が、新郎とともに入場する。
二人とも、お互いを見つめて幸せそうに微笑んでいる。
手を取り合って、二人は各テーブルを回っていく。
二人への祝福の言葉が飛び交う中、私たちのテーブルにも亜紀たちがやってくる。
「梨衣、来てくれてありがとう。でも、無理してない? 大丈夫?」
せっかくの晴れ舞台なのに、亜紀は私のテーブルで心配そうな顔をする。
「いつも心配してくれてありがとう。私は大丈夫よ。亜紀、本当におめでとう」
「うぅ、梨衣! ありがとう!」
美しい花嫁に、ぎゅうっと抱きしめられた。
「こらこら、せっかく綺麗にしてるんだから、あんまり動いちゃダメだよ」
宥めるように肩をそっと叩くが、亜紀は泣きながらさらに力を込めてくる。
「だって、だってぇっ」
「ほら、新郎さんも困ってるよ。でも、ありがとう。亜紀の花嫁姿を見て、直接おめでとうって言いたかったの。すごく綺麗だよ。お幸せにね」
「梨衣ぃ……」
披露宴はまだ始まったばかりだというのに、すでに花嫁が号泣してしまった。
泣かせてしまたことに多少の気まずさはあるが、こんなにも私のことを思ってくれる友人がいるのだと思えば嬉しさの方が勝った。
そして、心から親友の幸せを願う。
コース料理が運ばれてきて、プログラムは進んでいき、友人による余興が行われようとしていた。
「……それでは続いて、新郎のご友人、細見陽介さんによるピアノ演奏です!」
司会が口にした名前にも、呼ばれて登場した男性にも、覚えがありすぎた。
つい先日、最後のレッスンをした細見さんが正面のステージに立っていた。
「嘘でしょ……っ?」
「え、もしかして、あの細見さん?」
私の呟きに気づいた佳代が、耳打ちしてくる。
「うん、私の生徒の細見さん……」
なるべく新郎側の友人席は見ないようにしていたから、気づかなかった。
(確かに本番についていきたいとは思ってたけど……まさか亜紀の結婚式だったなんて)
日時を聞いた時も、たまたま同じ日に結婚式をすることもあるだろう、とぼんやり考えていた。
しかし、細見さんは会場に来た時から気づいていたのだろう。
明るい笑顔で新郎との思い出話とお祝いの言葉を述べながら、ちらちらと私の方を見ている。
自分の席次しか見ていなかったが、改めて見返すと確かに新郎側に細見さんの名前が記載されていた。
本番前だから、かなり緊張していたに違いない。それでも、私のことを気遣って、知らないふりをしていたのだ。
もし私に声をかけてしまえば、男性の友人たちも一緒に話をすることになるかもしれないから。
そんな気遣いをさせてしまったことを申し訳なく思うと同時に、その優しさが嬉しかった。
だから、今度は私ができることで、細見さんの力になりたい。ピアノに向かう直前、細見さんが一瞬私に目を向けた。とても、不安そうな表情で。
「大丈夫! 細見さんなら、絶対弾けます!」
さすがに大声は出せなかったが、ジェスチャーと口パクで精いっぱいのエールを送る。
――どうか、うまく弾けますように。
細見さんの大きな手が白い鍵盤の上に乗せられ、軽快な三連符の明るいリズムが奏でられる。
出だしはスムーズだ。いつも間違っていた和音のパートも越えた。転調するパートは少し躓いたが、すぐに持ち直す。サビのメロディが繰り返され、曲はラストスパートへと進んでいく……――。
パチパチパチ、とあちこちから拍手が聞こえてくる。細見さんは、最後まで弾ききった。
明るく、幸せな未来へ進む新郎新婦への祝いの曲を。
私も涙を流しながら、細見さんへ称賛の拍手を送る。
弾き終えた細見さんは、マイクを手に取りにこりと笑った。
「幸次、亜紀さん、本当におめでとう! そして、ありがとう。二人のために始めたピアノだけど、いつの間にかピアノを弾くことが楽しくなって。仕事しかなかった僕に趣味ができて、毎日が楽しくなった。幸次が僕に声をかけてくれたおかげだ。まだまだ先生みたいにうまくは弾けないけど、おめでたいことがあったら、また二人のためにピアノを弾かせてほしい!」
細見さんの言葉に、新郎が大きな声で「もちろんだ!」と叫び、亜紀も満面の笑みで頷いた。
(私、ちゃんとピアノの楽しさを伝えられたんだ……)
結婚式と同じくらい、細見さんに感動してしまって、私はあふれる涙を止めることができなかった。
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