第3話 買物
2F婦人服売り場、という案内に従ってエスカレーターを下る。
客層に親子連れが多いのは盆休み故だろう。
駐車場から繋がっていた三階は電化製品に並んで本屋やCDショップ、100円均一ショップや玩具・文具売り場もあって子供客の割合が高かった。
「ああ、そういえば夏休みでもあるのか」
昨年まで馴染み深かった夏休みという単語が、優子にはもう何処か遠い異国の言葉のように思えた。
盆休みも広い意味では夏休みのはずなのに、どうしてこうも別物のように感じるのだろう。
交差する上りのエスカレーターを駆け上がっていく子供達を見つめ、優子は懐かしさを覚えた。
幼少の頃の自分はエスカレーターを駆け上がるような事はなかった。
夏休みの同じ様な思い出を引き合いに出すなら、あの無惨な姿になってしまった商店街の雑貨屋にお菓子を買いにいっていた思い出になるのだろうか。
小さなお店で五十代ぐらいのおばさんが店主だった。
それは確かに自分の記憶の中にあるはずの夏休みだった。
けれど、それを思い出そうとすると、どこか靄がかかったように遠のいていく。
まるで、それは"過去の誰か"の記憶で、自分のものではないようにすら感じた。
「ゆうちゃん、これ似合いそう」
婦人服売り場に着くなり、麗子は並んでいる服を指差していく。
優子は指差された服を手にとって、身体に合わせて似合うかどうか麗子に問う。
麗子は頷いたり、首を横に振ったり、首を傾げたりしてそれに答えた。
麗子が頷いたり、首を傾げて返答に悩んでいる服は鏡を見て優子も確認してみる。
どうも自分には可愛すぎて合わない、と優子は首を傾げた。
優子は、麗子が選んだ服を彼女に合わせてみた。
自分で勧めてきた割に麗子は恥ずかしそうな素振りを見せる。
それでも麗子の方がよっぽど似合っている、と優子は思った。
麗子は恥ずかしがりながらも、たまにまんざらでもないといった表情を浮かべる。
優子は思わず微笑んだ。
服を合わせてみるだけで、こんなにも表情がくるくると変わるのだ。
本当はこういう服を着たいんじゃないの?
冗談めかして問いかけたくなったが、それを言えばきっと麗子は本気で拗ねてしまうだろう。
だから、優子は黙って、そっと服を抱えた。
「ちょっ、いいよ、ゆうちゃん、悪いよ」
何着かの服を腕に抱えレジに持っていこうとする優子を麗子は制止した。
「いいの、いいの。気晴らしなんだから。その為に来たんだから」
レジの台に、どさっ、と音を立てて服を置いた優子はにっこりと笑っていた。
「それで、優子は何処に行ったんですか?」
貴史は優子の母親に訊いた。
突然の別れ話に納得できないまま電話を切られ、そのまま音信不通になってしまったので貴史は最後の頼りだと故郷に帰ってきていた。
優子の実家を訪ねると、優子の両親は貴史を温かく迎え入れてくれた。
優子とは幼なじみとして育った長い付き合いだ。
優子の両親も親同然のようだった。
娘に続き貴史との久し振りの再会に花咲かせようとした優子の両親は、しかし貴史の血相を変えた表情に何事かと訊いた。
貴史は優子との電話の内容を両親に告げた。
正直、申し訳ない気持ちであった。
両親から故郷を出る優子の事を任せられたと思っていたからだ。
そんな優子から別れ話を切り出されるような何かをしでかしてしまった自分は怒られても仕方がないと、貴史は思っていた。
しかし、優子の両親は怒るどころか、特に母親の方は青ざめて、出掛けたの、と呟くばかりだった。
何処へと何度尋ねても、優子の母親は同じ言葉を繰り返すばかりだった。
まるで別れ話を切り出したときの優子と同じように、答えをはぐらかしているように感じられ、貴史は苛立った。
「麗子の所に行く、と言ってたよ」
台所のテーブルには座らず、隣の居間でくつろいでいる優子の父親が細々とした声で言った。
優子の父親は貴史が昔抱いていた印象より一回り細くなっていた。
髪の毛にも白髪が大分と混じっている。
「……麗子の所?」
その言葉を口にして、そして貴史は飲み込んだ。
息も、言葉も。
「れいちゃんのところ、ですか?」
自身の言葉を確認するようにゆっくりと貴史は言う。
青ざめたままの優子の母親は小さく頷いた。
「……ただの墓参りだよ」
弱々しい声で優子の父親は言う。
それは誰に言うでもなく、己を納得させるような、あるいは、願いのような言葉だった。
貴史は胸の奥にざわつきを覚えた。
ただの墓参り――それが、こんなにも言い淀むようなものなのか?
優子の母親の指先が、怯えるように震えている。
貴史の背中に汗が滲んだ。
まさか、と思いたくないのに、考えれば考えるほど、悪い予感が膨らんでいった。
貴史は慌てて玄関に向かった。
靴もしっかりと履かないまま、ドアを開く。
つい先程までは予想もつかなかった程の雷雨が降り注いでいた。
息が詰まるような湿気。
視界を奪うような雨。
ドアを開けた瞬間、まるで世界が押し潰されるような圧迫感を覚えた。
――あの日と同じだ。
あの時も、こんなふうに何もかもを飲み込む雨だった。
心臓が喉の奥まで跳ね上がる。
足がすくむ。
けれど、今ここで止まるわけにはいかなかった。
あの日と同じような何もかもを奪い去ってしまうような雷雨に、貴史は吐き出しそうになった。
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