18 再会-5-
「ティレル――」
容態は悪化していた。
熱は下がっておらず、首から腹部にかけて発疹ができていた。
呼吸もますます荒くなっている。
「いったいどうすれば……」
彼には分からなかった。
義肢ならいくらでも作れるが、病にはまるで無力な自分に歯噛みする。
もしかしたらどこかに万病に効く薬草が生えているかもしれないが、その知識もない。
何か、何かするべきことはないか――。
「パ……パ…………」
息苦しそうに呼ぶ娘に、父親としてできるのはもはやただ傍にいてやることだけだった。
「心配するな。すぐに良くなるさ。ほら、友だちも来てくれているぞ」
男の子も傍に立ってティレルを気遣うように見下ろしているが、その表情は苦しそうだ。
その時、不意に辺りが暗くなった。
空全体が雨雲に覆われたように、灰色の薄明りが開け放していた戸口から射し込む。
(今度は何だ!)
彼はあやうく声を上げるところだった。
おかしなことばかりが起こる。
日の光が遮られてしまったら娘が不安がるではないか。
安心させようとティレルの顔にそっと触れる。
水のうはすっかりぬるくなっていた。
(とにかく今は熱を下げなければ)
カイロウは男の子に向きなおった。
「すぐに戻ってくる。娘を見ていてくれるか?」
彼はしばらくきょとんとしていたが、すぐに理解したように頷くとティレルの手をぎゅっと握った。
「ありがとう。きみにも食べ物を取ってこよう。そんな顔をするな。大丈夫だ、2人とも助かる」
男の子の頭を軽く撫で、水を汲みに再び川へ向かう。
一歩外に出ると、まるで別世界だった。
太陽は電球のように痩せ細っている。
光が地面まで届かないせいで、足元は夜のように暗い。
足を優しく撫でる若草も、こう暗いと蛇か昆虫の類が這い上がってくるような気味の悪い感触を伝えてくる。
モノクロームの箱庭では前後左右の感覚があやふやになる。
カイロウはわずかに聞こえる川のせせらぎを頼りに歩を進めた。
水は濁っていた。
しかし彼にはそれが分からなかった。
川底も水も、手にした桶も同じように黒い中では、澄みきった水のようにしか見えない。
「……ドクター」
暗がりの中では聴覚は鋭敏になる。
彼女が近くまで来ているのだとすぐに分かった。
「リエ君!」
水を汲んだばかりの桶を投げ出し、彼は声のするほうへ走った。
「良いところに来てくれた! ティレルが大変なんだ! 急に熱を出して……食欲もなくなった。それに娘だけじゃない。
他の人たちもだ。ほとんどが死んだ! かろうじて生きている子も頭が痛いと言っている」
「ええ」
「きみは医者になる勉強をしていただろう? 頼む、娘を助けてくれ。お礼はいくらでもする、だから――」
「落ち着いてください」
静かにたしなめるリエは驚くほど落ち着いていた。
「私も別の楽園にいましたが、同じようなことが起こりました。詳しいことは分かりませんがウイルス性のものでしょう。
残念ですが本人の治癒能力に任せるしかないでしょうね」
「冗談じゃないぞ! なんてことを言うんだ! なあ、助けてくれ! お願いだ!」
「無茶を言わないでください。ここには病院も薬もないんです。安静にしているのが一番ですよ」
声に感情は宿っていなかった。
なんて冷たい女なんだ。
こちらに弱みがなければそう罵ってやりたいのを我慢する。
「――ですが、もう大丈夫です。すぐに楽になれますから」
しかし直後、母性を感じさせる柔らかい声色に変わり、彼は違和感を覚えた。
暗がりでよく見えなかった彼女の顔が露わになる。
そこには感情も表情もなかった。
魂が抜け落ちてしまったような女がひとり、どこを向いているのか分からない目でカイロウを見ている。
「クジラはもうじき墜ちます。そうなれば怪我も病気も関係なくなりますよ」
「それは……どういうことなんだ……?」
「あちこち回って見つけたんです。機関部というのでしょうか? それとも……動力部? クジラを制御している場所です。それを壊しました」
「なん……なぜそんなことをした?」
目の前にいるのは果たして本当にリエなのだろうか、と彼は思った。
彼女は既に死んでいて、操り人形のように誰かが陰で体を動かしているのではないかと。
そう疑いたくなるほど、今の彼女からは生きている人間の気配が感じられなかった。
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