14 叛乱-10-
「ドクター、しっかりしてください」
よく通る声は変わらぬ彼女のものである。
錯乱した患者を落ち着かせるときも、術後の経過に不安を感じている患者を慰撫するときも。
施術が続いて疲弊しているスタッフをねぎらうときも。
彼女は今のように、落ち着き払った声で最も適切な言葉をかけてくれた。
「ドクター」
我を忘れた様子の彼に、リエは言った。
「銃は――私の手にあります」
カイロウは自分の手を見た。
そこには何もなかった。
だが引き金を引いた感触だけは残っていた。
「時間がありません。予定を少しオーバーしています」
地上へと続く通路を照らすのは、作業場から届く光だけだった。
「これは……これは許し難い叛逆だ……! クジラ、さま……彼らに、罰を……お与えください――」
彼は呪詛の念をもって2人を睥睨した。
しかし敬虔な信徒の訴えは神に届くことはない。
リエは携帯用の止血スプレーをコルドーの手の届くぎりぎりの位置に置いた。
「それを使って。急所は外れているから死にいたることはないハズよ」
職業柄、怪我の程度は見ればすぐに分かる。
手当が必要な状態ではあるが、それをする猶予はない。
とはいえ彼もこの施設で長く勤めてきたからには、処置の方法はよく知っているハズだ。
「ごめんなさい、こんなことになるなんて……でも分かって。私たちはクジラの元に行くって決めたの」
陳腐な慰めのつもりだった。
思想の違いが引き起こした結果であって、カイロウにもリエにも彼を傷つける意図はなかった。
それをどうにか分かってもらおうと彼女は言葉を選んだつもりだったが、
「僕たちはクジラ様に生かされているんだ……その恩を忘れ……クジラ様はお怒りになるぞ。恐ろしい罰が……待っている……」
コルドーには侮辱にしか聞こえなかったようだ。
これ以上、話すのは時間の無駄だ。
仮にも医療に従事してきたリエにとって、目の前の負傷者を捨ておくことは気が引けたが、時間は待ってはくれない。
「ドクター、行きましょう」
茫然と立ち尽くすカイロウの手を引く。
「あ、ああ…………」
曖昧に頷く彼はまだショックを引きずっていると分かる。
「娘さんに会うんでしょう? いまここで立ち止まれば全て無駄になりますよ?」
彼女は半分は自分自身に向けて言った。
乗りかかった船を降りるワケにはいかない。
そんなことをすれば彼女はただ人を撥ね、同僚に怪我を負わせた犯罪者でしかなくなる。
立ち止まることも引き返すことも許されない。
世の不条理を生み出すクジラにせめて一矢報いるまでは、振り返ってはならないのだと。
それが彼女の決意だった。
「ああ、そうだ……そうだった……!」
カイロウは目を覚ました。
そして今さらになってようやく覚悟を決める。
「何度も言うが、きみが助手で良かった。ありがとう」
娘に逢いたいという想いは何にも代えがたい。
この実直な男はそれを一時的に忘れていたようだった。
「コルドー君、すまなかった! 私のことはいくら恨んでくれてもかまわない!」
反応は求めない。
飛行機に乗り込む2人を、コルドーは恨めしそうに睨みつけていた。
床に突き立てた爪に血が滲む。
「クジラ様……どうか……」
室内にエンジン音が響き渡る。
傾斜の先には施設の敷地として平坦な道が伸びている。
滑走路代わりにするには充分だろう。
「どうか……彼らに、罰を…………!」
ゆっくりと滑り出す飛行機を、彼はただ見送ることしかできなかった。
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