第3話 呑花臥酒のナナホシクドア

 4月12日の金曜日、壮絶な失恋劇をいろどったことになっている晴生は噂が蔓延する教室を後にして、生物室の戸を開く。


 晴生、弥音ねおん秀実ほずみ元弥げんやの四人はよく一緒に昼食を取る。


 元弥についていえば生徒会の会計を務めている関係で居ない事も多いが、あぶれもの同士、生物部員である弥音の計らいにより生物室で肩身を寄せ合っていた。


 戸を開いた先の光景に晴生は呆然とした。秀実ほずみ弥音ねおんの二人の視線が一斉に注がれる。


 向かい合って秀実ほずみ弥音ねおんがだべっている光景。


 べらべらしゃべる秀実ほずみに無表情に弥音ねおんがただ頷いている光景だが、弥音ねおんにとってはいい雰囲気なのだろうと察した。


「ごゆっくり」


 気遣いの出来る晴生は、静かに戸をそっ閉じる。


 さあ、どこで飯を食べようかと考え始めたとほぼ同時、頬を染めた弥音ねおんによって勢いよく戸が開かれる。


「ふざけないでっ!、気付かれたらどうするっ!?」


 弥音ねおんに詰め寄られるもの、晴生は冷静に切り返す。


「コスプレイヤーのトーコさんは自意識過剰すぎるんだよ。それに弥音でトーコって安直すぎるだろ。まぁ見てろ」


 ネオンは元素番号10番。


 晴生は昨夜偶然発見したコスプレイヤーのSNSサイトのページを弥音の前でちらつかせる。


 作者はクラスメイトのイタイ姿を見続けるのも流石に気が引けたのでそのサイトはそっ閉じたものだ。


 スマホには弥音の顔立ちにそっくりなアニメキャラの完成度の高いコスプレをして魅力的なポーズをとっている。


 真っ赤になっていく弥音をまだ眺めていた気もしたが、晴生は弥音のフォローを優先することにした。


 明確な確証が無かったことは勿論。白を切りとおせば何も言う気はないし、頭のいい弥音ならそうすると踏んでいたからだ。


「何故分かったっ!」


 あっさり自爆する弥音ねおんを無視して、晴生は秀実ほずみと言葉を交わす。


「よう、浅沼」


「なんなんそれ、なんかのフラグなん?」


「うるせぇ、お前のだよ」


 晴生は肩を竦めながら、流し目に弥音ねおんを見ると、気付かれていないのもまた不満な様子。


 苛立ちが増してしかめっ面の弥音ねおんが唐変木の秀実ほずみに怒りの眼差しを向けているのを見て、晴生は肝が冷えた。


 晴生は食事を取り終えると二人に雪希との一件を相談する。


「及川」


「……なんだ? 今川?」


「死ね、クズ」


 晴生は辛辣な言葉を弥音ねおんから浴びせられた。


「確かに情状酌量の余地が無い、裁判なら執行猶予もないね」


 秀実ほずみは晴生を弁護すること無く、肩を竦めて弥音ねおんの判決に乗っかってくる。


「俺は鬼嶋が明るくて、気が使えて、気さくで礼儀正しい奴で性格が良いんだなって伝えただけなんだけどな、何であんなに怒ったんだ?」


「などと犯人は供述しており――」


「判決死刑」


「おい」


 裁判ネタを続ける二人のどちらからも弁護されず、晴生は肩を落とした。


「及川は妹さんがいるんだから、機嫌の取り方ぐらい心得ているんじゃない?」


「甘いもので釣る。旨い食事をごちそうする。プレゼントをする。あとは謝る」


「やらないよりやった方が良いものばかりだお。ギャルゲー、エロゲーで良くある選択肢、てか、それなんてエロゲ?」


「それもそうなんだが、やっても女って執念深く覚えているよなぁ、今川あれって何でだ?」


「それを私に聞く? 流石クズ男だね」


「我々の業界では褒め言葉ですっ!」


「浅沼、少し黙れ」


「辛辣……だがそれがいいっ!」


 侮蔑の眼差しを弥音ねおんから送られ、ようやく秀実ほずみは黙る。


「女っていう性には、自分と自分の子どもの身を守るために危害を与えた相手を忘れず、二度と同じ目にあわないために嫌な記憶を留めておく性質があって、女性の脳は感情をどんどん溜め込むバケツのようなもの、下手な反論は火に油だね」


 女性と比較して男性の脳はザルだという。晴生は共感して誠意をもって説得するしかないと弥音ねおんに一蹴された。


「でも、及川氏は鬼嶋氏を気に掛けるん?」


「妹さんのことがあるからでしょ?」


 晴生は答えなかった。むしろ無言である事が答えだった。


 弥音ねおんの言う通り妹の事があったからほっておけないのが本音。


 流石はネット社会という事もあって、ある事ないこと知れ渡ってたが、生徒会でいない元弥を含め三人は真実を伝え、疑いもせず信じてくれたことに内心晴生は救われた。



 4月14日の日曜日、晴生は気分転換を兼ね、事前の調べで温泉施設が数多くあることが分かったのでロードバイクを走らせた。


 温泉に寄ると言ってひたきを誘ったがやっぱりまだ家から出るのは難しいようで首を横に振られてしまった。


 でも鶲が少し行きたそうに迷っているように見えせくれたので、晴生は少しだけほっとした。


 初めて見る光景に興味を引かれ晴生は夢中になるあまり、ロードバイクが快調に進む。


 だが夢中になりすぎるのも良くはない。飛ばし過ぎた結果、晴生は自分の笑顔が崩れたゾンビのような悲痛な顔になっていることが分かった。


(ん? 何だアレ?)


 晴生は休憩を挟もうかと思っていると桜並木が現れ、何やらイベントをやっているような光景が飛び込んできた。


 春の陽気に照らされ、青々と茂る芝生は咲き溢れた桜の花の雲海に覆いつくされている。


「桜祭り? へぇ~こんなんやっているんだな」


 参道には屋台が所狭しと立ち並んでごった返している。近くの芝生には地元の人々がシートを寄せ合って賑わいを見せ、親子連れや小学生たちで溢れている。


 晴生は併設されていた茶屋で一休みする。茶屋のに話によると、桜祭りというイベントで、地区サークルの発表、地酒の出店など子供から大人まで楽しめるイベントが見どころ満載だという。


 茶屋の商売セールストークを静かに聞いていると、晴生の耳にどこかで聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「あんたって子はっ! また女の子をいじめてっ! いい加減にしなさいっ!」


 桜並木の向こうの芝生の上で、何やら一人の女性が子供たちに囲まれている。


 何やら揉め事のようなので、野次馬の如く、止めようとする鶲を後目に様子を晴生は伺いに行く。


 現場には小学生相手に身に覚えがある着物姿の女性が、キャメルロックを決めていた。


「ねぇちゃんっ! ギブっ! ギブっ!」


「謝んなさいっ!」


 キャメルロックとはうつぶせになった相手の背に乗り、顎を掴んで海老ぞりにして、背骨や首にダメージを与えるプロレス技を言う。


 テレビで放送したら、『よい子の真似してはいけません』と言うテロップ流れる危険な技だ。


「鬼嶋……」


 一週間に三人から告白を受ける女子のあられもない姿に、晴生のつい気の抜けたような言葉漏れる。


「――っ!」


 それ驚いた雪希が首がねじ切れんばかりの勢いで振り向いた。


 口を開けて真っ赤になっていく雪希の顔を観察して晴生が思ったことは、『勿体ない』だった。


「やだ、私ったら――はしたない」

 

 雪希は男の子を開放し、笑ってごまかそうとしていたので、晴生は徐にスマホを取り出して――


「もしもし、そちら児童相談所でしょうか?」


「ちょっと待ってっ!! 冗談でもヤメテっ!! それは本当にシャレにならないからっ!!」




 再び晴生は茶屋で一息つく。不本意ながら事を大きくしようとした責任を取らされ、晴生は雪希と団子と緑茶を奢ることなった。


「……最悪、よりにもよって及川君なんかに見られるなんて」


(なんか?)


 雪希は晴生に地を見られたことが相当ショックだったようで肩を落としている。


 桜祭りに来ていたのは地酒を出店する父親の手伝いで、雪希は地元の子供たちの中でお姉さん的存在らしく、女の子を虐める悪ガキを懲らしめていたと言うのが一連の経緯らしい。


「鬼嶋って、素の方が可愛いのに、学校で猫被っているんだ?」


 鬼嶋はすすっていた茶を噎せる。


「……い、いきなり変なこと言わないでくれるかなっ!?」


「いや、事実。物静かで凛としているのも良いけど、さっきみたいに明るい方が良いと思うが?」


 照れているのか雪希ははにかんだように唇をゆがめる。


「別に猫を被っている訳じゃないかな。タイミングが悪かったんだよ。静かにしていた方が目立たなくていいと思っただけ、無駄だったみたいだけど」


 雪希は自分の母が亡くなっている話をし始めた。


 母が亡くなって以来、中学二年を機に雪希はモテ始めたらしい。


 全ての男子が母が亡くなって哀しみに付け込むように見え、片っ端から振りまくり、気付けば告白してきた男子を片っ端から振りまくるお高い女というイメージがついてしまったらしい。


「4月に入ってから全く話したことも無い1年の男子から3回告白を受けているんだけど、その理由が誰も彼も一目惚れだっていうの……ああ、この子達外見しか見ていないだなぁって、それに告白の前にねっちこい視線を送ってくるんだよ? 気持ち悪くて仕方が無かった」


「まぁ、確かに人の事を良く知りもしない内から好きになるという感覚は俺にも理解できないな」


「及川君のはちょっと違うような気もするけど……でも正直、私は及川君をそういう風に見ていたんだよね。お礼を言いたかっただけなのにごめんなさい」


「いや、俺も良い性格なんて言ってしまったし、なんか母親のことを聞き出すような真似をしてしまって悪かった」


「別に気にしてないよ。お母さんのことは自分から話したことだし、それに良い性格しているって自覚は少しあ――」


 突然の春一番のような悪寒に襲われ、背筋が凍り付き、晴生の身体は身震いを起こす。


 一方雪希だけは反応が違った。きゅっと目を閉じて耳を押さえている。


「……何、今の悲鳴……」


 悲鳴?


 雪希は奇妙なことを言い出し、衝動にかられたかのよう青い顔で周囲を見渡し始めたと思いきや、晴生がまるで眼中にないかのように舞台の方へと駆け出していく。


 呆気に取られて晴生は呆然としていると、暫くして舞台の方で何やらトラブルが起きているような気配がしてき。


 晴生は気になり一緒に向かってみると、案の定雪希がトラブルを起こしていた。


「ダメですっ! これは食べないでくださいっ!」


 晴生は人ごみ掻き分けていくと、雪希は30代前後の男性と、魚の切り身を巡って口論をしていた。


「何なんだアンタはっ! いきなり現れてっ! そいつは俺が今朝釣り上げてきたヒラメだっ! 返せっ!」


 どうやら雪希はヒラメ泥棒を働いた――という訳でもないようだった。


 雪希が魚を食べちゃいけないと言っているところから見て、腐っているか、寄生虫かと言ったところかと晴生は推測した。


 以前晴生が朝、納豆を食ってきたことが分かった様子から見て、雪希は鼻が利くのだと悟った晴生は仲裁に入った。


「まぁまぁ、お兄さん、そのヒラメ、痛んじゃいないですかね? 彼女、鼻が利くみたいで――」


「そんな訳ないだろうっ! 釣り上げて直に締めて、クーラーボックスに入れたんだっ!」


「そうですか。でもお勧めしませんよ。4月から6月のヒラメって産卵を終えたばかりだから痩せているんですよ。夏のヒラメは猫マタギっていうぐらい、猫が食わない程味が落ちちゃっているんですよ。俺は昆布締めなんかをお勧めします」


 た晴生の的確なアドバイスによりに男の方もぐうの音が出なくなったが、高校性に論破され何か反論しようと男が口を開いた瞬間――


 突如光学顕微鏡を抱え、眼鏡を掛けた白衣の年配の男が現れ、切り身を掻っ攫っていく。


「ふむ、『クドア』だね。これは」


 恰好は知的でいかにも博士っていう感じだが、度々顕微鏡を覗き込む姿は無邪気な子供のように興味津々だった


「実に面白い。君よく分かったね。彼の言う通り、4月の産卵を終えてヒラメが味が落ちてしまっている。なるほどね……」


「何だ。あんた、突然現れてっ!」


「申し遅れました。僕は東京の――農業大学の農学科で教授をやっている|上川丈一郎と言います」


 上川教授の口から東京の有名農業大学の名前を出て、辺りは騒然となった。

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