第15話 恐らく治療に風呂が必要です ③

「それはつまり、貴重なクアールの体調をこいつが悪くした疑いがあるから、しょっ引くって話ですかい?」


 話によっては看過できないと気配を尖らせている。男として何とも頼もしい姿だ。こんなところに彼女は惚れたのだろうか。

 そんな仲を裂くのは浅間としても気が引けるし、本意ではない。


「全ては調べないと確信は持てないけど、そういうことはできるだけ避けたいところです。それにもう一つ危惧していることがあります」

「危惧していること?」


 本来はウェアキャットの女性の方が危険と思ったが、ぶちまけられたのが男性のみだったために他に被害はなかった。

 だが、他の人間が彼より感受性が低いとは限らない。


 人や犬より猫の方が精油で中毒を起こしやすいことから、植物の成分を代謝しにくい肉食動物の方が害が出やすい傾向があるのではと言われている。

 基準は人間でも、魔力の影響で系統分岐した亜人の体質が全て同じとは考えにくいだろう。多人種が集まるギルドならより一層の注意が必要だ。


「あなたはただの体調不良で済み、クアールなら重症になりました。そこからすると、エルフやドワーフ、ウェアウルフとか他の人種がどの程度の感受性を持つのかわかりません。最悪、ドリィさんと仕事をする度に誰かが体調不良になるなんて噂から実害が発覚するかもしれない。そうなったらギルドに籍を置き続けるのも難しくなってくるので、未然に防ぐための行動から取っていきたいところです」


 と、語ってみるとどうだ。

 ドリィはその光景を想像したのか、ぞっと背筋を凍らせている。


 けれども浅間は彼女を脅しているわけではない。そんなところも何とか伝わっているらしく、アックスは少しばかり怪訝そうに眉をひそめた。


「そいつぁどういうことですかい。なんでったってあんたが俺たちに肩入れしてくれる?」


 この世界は豊かで綺麗に見えて、定員がある。だからこそ助け合いよりは優秀であろうとする競争の方が激しく、こんな話は疑いたくなるのだろう。

 隣にいるノトラなんて定員から溢れた流浪の民であり、もっと苦しい立場だ。彼女がいい話も疑い、常に保険をかけて生きていることからして理解できる。


 ――と、目を向けていたら彼女は視線に気づいて肩を竦めた。

 援護を求めているとでも思ったのか、「それはね」と代わって口を開いてくれる。


「このコトミチが魔狼の巫女と一緒に魔獣の死病を解決しようとしているからだよ。市井の人間と違ってギルドは影響力がある。できることなら仲良くしておいた方がお互いに損はないだろうし。コトミチ、そういう話でしょう?」

「……! 異世界の技師を喚ぶとかいう話か!」


 スクナ自身がギルドとは関係が深いと言っていた。彼らにも何らかの知らせは回っていたのだろう。ノトラの言葉を聞いた途端、反応が変わる。

 このことは伝えるべきか迷っていたが、折角ノトラが助け舟を出してくれたのだ。

 剣呑な雰囲気から転じさせて、どうにか友好的にしたい。今はこの勢いに乗って説明をする。


「そういうことです。幸い、今はアックスさんとクアールしか影響が出ていません。だから今のうちに原因をはっきりさせて、対策を取りたいんです。そして何より――」


 ここまでは今回の話をできるだけ穏便に済ませようという心遣いでしかない。この世界で自分が重要な位置付けになるためにはもっと強い魅力を提示するべきだろう。


 その考えは、すでにある。

 なにせここは魔物や幻想種と戦うことが多い斡旋場だ。同じく動物を相手にする身の上として注意し、対策をしている病気はいくつもある。


「その他にも、ギルドが獣と戦った際にかかりがちな病気の予防や治療も工面の仕様はありますから、仲良くはできると思います。例えば獣に噛まれて高熱が出たり、痙攣やのけぞりが出たり、リンパが腫れたりしたことは?」


 犬猫の口腔内常在菌によるパスツレラ症や、破傷風、猫引っ掻き病などはどこででも注意すべき病気だ。

 さらにはまだ押しがある。「女性陣はちょっと下がって」と前置きをするとアックスに耳打ちをした。


「何度も熱がぶり返す上、男は精巣炎にかかる病気に聞き覚えは?」

「……ある。不貞が蔓延した地域の呪いとか言われていやしたね。一族郎党、領域から追い出されて死んだって話だ」


 クリミア戦争中、イギリス兵の間で流行した通称マルタ熱――ブルセラ症は乳製品や排泄物も含めた動物の体液から感染する上、非常に感染率が高い。

 しかも未治療時の死亡率も5%程度と高めだ。

 話を聞くに、この病気が発生した時の社会的な被害は地球上よりも酷そうである。


 それを伝えた後、浅間は下がるとドリィを視野に入れてさらに続けた。


「あとは流死産や子供の障害に関する病気も動物に関わっていると注意が必要なので対策をしていますね」


 猫を介して感染するトキソプラズマは発展途上国から先進国も含めて存在している。地球から多くを取り入れている以上、この病気がないというのも考えにくいだろう。

 アックスとの間に子供をもうけることも考えているのか、ドリィの反応は確かだった。


 動物に触れる機会が多い公務員獣医師ならば破傷風のワクチンは摂取されるし、ブルセラ病やトキソプラズマの抗体検査もされる。その辺りのシステムの融通を利かせれば、こちらでも同じく対策を取ることは簡単だろう。

 一時は緊張を伴ったが、感触は上々だ。


「――まあ、こういう話はギルド長を介してさせてもらおうと思うので、今は今すべきことをしましょう」


 アックスやドリィはいい反応を見せてくれていたのだが、ついてきていた受付嬢はそうでもない。こんな話をこの場で進めていいのかと迷っている様子だったので早めに切り上げておいた。

 ぱんと手を打った浅間は話しを切り替える。


「さて、現状でアックスさんにさせてもらいたいのは原因確定のための採血と治療です」

「さいけつ……? 瀉血みてえなもんですかい? あと治療ってのは一体何を?」

「もし症状が悪化の一途を辿っているならスクナに止めてもらうことも考えます。ただ、ある程度は落ち着いているのなら中毒成分の排除から始めるべきでしょう。体内の中毒成分を排出するための水分補給と、肌に張り付いたままの樹精香の洗い落としです。ついでにダニも落としておくといいですね」


 アックスの装いは冒険後に装備だけ脱いで寝たと言わんばかりの汚れっぷりだ。さっき確認した通り、風呂や濡れタオルでの汚れ落としはしていないのだろう。

 浅間がアックスの首を指差すと、視線を追ったドリィは「あっ」と声を零す。


「本当だ。もう、森を歩いたのに汚れを落としてないから血を吸われているよ?」

「怠いんだから仕方ないだろうよ。第一、お前の香は油っぽくて落ちにくいじゃないか」


 ダニをどうしようかとドリィがおろおろしていると、男性は適当にむしって取ってしまった。

 そんなことをすれば強固にくっついた口器が体に残ってしまい、炎症や化膿の元になってしまう。それで彼女はまた小言を挟もうとしていたのだが、アックスは頭が痛そうに俯いてそれを躱していた。

 その様を見た浅間は応急セットを前に掲げる。


「ドリィさんはお湯をもらってきて彼の汚れを落としてください。油を落とすための石鹸も貸せます。あとダニの除去は俺がしますから」

「石鹸……? よくわかりませんが、ありがとうございます!」


 この言葉を後押しにした彼女はすぐに走っていった。

 浅間は続けて受付嬢に目をやる。


「今回の件の結果報告とさっきの話については後で改めて連絡させてもらいます。今は調査の一環として、彼の治療をさせてください」

「承りました。ひとまずそれだけでもお伝えしてきます!」


 ぱたぱたと走って出ていく彼女を見送った浅間は採血と輸液のための留置針や輸液セットなどの準備を始めるのだった。

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