第10話 大崎先生の話

「お呼びだてして申し訳ありません。大崎先生。実はこの間、僕がうかがったあの犬の絵の話をもう一度聞かせてもらえませんか?」

「ああ。この間の話?」


 ふと大崎先生は、森下さんが僕らに見せていた犬の絵画に目を向ける。


 そして先日、僕が大崎先生のところで話を聞きにいって犬のイラスト画像を見せたときと同じようにこう言った。


「あら、懐かしいわね」


 そう。先生はこの犬の絵画の存在を覚えていたのだ。そして彼女はにこやかな表情で話し始める。


「この犬の絵はね。私がここに赴任して間もないころに伸び悩んでいた美術部員の一人に指導して描かせたものだったの。そしたら、それが評判になってね。ほら、そこの壁にも落書きがあるでしょう? 何人もの生徒が真似をしてね。一時は学校中のいたるところに、この犬の落書きがされるくらいに流行したの」


 まさに「ミーム」というやつだな。


 僕は先生の言葉を聞きながらそんな発想が頭をよぎった。


 大崎先生は僕を横目で見ながら更に話を続ける。


「それでね。この間、月ノ下くんからあの一年生の間で流行っているっていうメッセージスタンプを見せてもらった時には何だか嬉しかったなあ。ああ、まだこの画風は愛されているんだなって」


 森下さんは驚いた顔で声を漏らす。


「あの、先生。怒っていないんですか? 私、昔の美術部員の人が描いた絵を真似したのに」


 大崎先生はそんな彼女の言葉に「うん?」と首をかしげる。


「でも、森下さん? あなたが参考にしたのはこの『林道の新春』という作品よね?」

「そ、そうですが」

「この絵には互いにじゃれ合う二匹の子犬を横からとらえた構図しか描いていないわ。だけれど、貴方が描いたイラストは『寝ているところ』や『走っているところ』とか更にバリエーションが加わっているけれど。これはどうしたの?」

「それは……、インターネットやペットショップで実際に動いている犬を見て描いたんです」

「つまり、犬の体の構造を自分なりにとらえ直したうえで、この画風にもう一度落とし込んだんでしょう。すごいじゃない」

「え。でも」


 なおも何か言いかける森下さんを遮るように大崎先生は続けた。


「あのね、実はこの犬の油絵は江戸時代の絵師『長沢芦雪』を参考に描いたものなの」

「ええっ!」

「ちょっと待ってね。……ほら」


 いいながら大崎先生は携帯電話でインターネット検索をして、一枚の日本画の画像を見せた。そこには確かに問題の卒業生作品によく似た犬の絵が映し出されている。


 森下さんはそれを見て愕然とした顔になる。


 自分が参考にした油絵もまた他の人の作品に影響を受けて描かれたものだった、という事実に衝撃を受けたのだろう。


「当時、美術部にいた部員の一人で技術は身についてきていたのに描きたいものを見失っていた子がいたのよ。それで、それなら古い作品でも新しい作品でもなんでもいろんなものを見て面白いと思ったものを自分の中にインプットしたらどうかとアドバイスしたの。そして、彼が考えたことは過去の日本の浮世絵の素朴な画風を油絵のような西洋画の技術でとらえ直したらどうなるか、という発想だった」


 荻久保が「なるほどねえ」と納得したように呟いて犬の油絵を見やる。


「確かに油絵だけど、どことなく日本画の風情を感じさせる気がするよ」

「そういえば、ゴッホも葛飾北斎の浮世絵を見て模写したという逸話があるものね」


 星原も興味深そうに呟いた。


「そうそう。セザンヌもモネも何枚もの浮世絵を所持していて、ジャポニズムの影響を受けたとされているの」


 大崎先生はうんうんと頷きながら、更に森下さんにこう言い聞かせる。


「確かにアートやデザインの世界で盗作やトレースというのは良く問題になるわ。私も他の人の作品を何の工夫もなく模写をして、自分の作品のように発表するというのは良くないことだと思う。……でもね。何かを創造する時に他のものを一切参考にしない人間などいないとも思うの」

「そ、それはそうかもしれませんが」


 消え入りそうな声になる森下さんに大崎先生は優しくこう告げる。


「既存の概念にとらわれない斬新な作品を創ろうという気持ちは大事よ。流行りものの真似をしても、どこかで見たようなありきたりな作品にしかならないものね。でもね、かといって周りの影響を全く受けずに創られたものは多分常識からかけ離れすぎて、優れた存在とは到底いえないものになってしまうと思うわ」


 横で話を聞いていた星原も小さくため息をつく。


「『型を知らなければ型破りな作品は作れない』という言葉もあるし『学ぶことはまねることだ』ともいいますしね」


 彼女の言葉を聞きながら、僕は菊川さんに改めて尋ねる。 


「菊川さん。君はどう思う? 森下さんの作品を単なるコピー作品だと思うかな」


 彼女は即答する。


「そんなことないと思います。確かに他の人の作品に影響を受けていたのは解りましたが、その人も江戸時代の巨匠を真似ていたんでしょう? 私からすれば、この一枚の絵から自分で作風を捉え直して、十も二十ものパターンに発展させたこと自体が凄いですよ」

「き、菊川さん……」


 森下さんはようやく陰鬱な表情を消して、ほのかな笑顔を見せた。


「私にとっては玲美は、凄い才能がある友達だってことに変わりはないんだからさ。玲美も、もっと自信持ちなって」

「う、うん。ありがとう」


 一年生女子の二人は顔を見合わせて笑いあった。


「あー、ところでさ」とここで明彦が口を挟む。


「そもそも最初に相談していた大島ってやつが森下さんのイラストをパクってメッセージスタンプとして販売しているって件はどうするんだ?」


 そう言えばその問題が残っていたな。


 だが、森下さんは明るい顔で首を横に振った。


「もう、気にしないことにします」

「え? 玲美、いいの? あいつのはあなたと違って本当にトレースしているだけなんだよ?」

「うん。だって私が作ったものをみんなに楽しんでもらえていることには変わりないし、今回のことでほんの少し自信がついたんだ。だから私、次はもっと良いものを作れるように頑張るよ」

「そう。自分で作ったものでもないイラストで大島が丸儲けしているのは何か悔しいけどなあ」


 菊川さんの気持ちはわかるが、本人が何もしなくていいと主張している以上は何も言うべきではないのだろう。


 そんな風に僕が考えていた時。

「大崎先生! ここにいらっしゃいましたか」


 白髪交じりの角刈りの中年男性がにゅっと顔を出した。体育教師であり生活指導も担当している飯田橋先生だ。


「あら。飯田橋先生。どうかされました?」

「そろそろ職員会議が始まる時間でして」

「そうでしたね! 失礼しました」


 ここで飯田橋先生は「何かあったんですか?」といかつい顔で僕らを睥睨する。


 どうやら僕らがもめ事を起こしているとでも考えたのだろうか。


 しかし一瞬、漂いかけた重い空気を大崎先生がすぐにとりなしてくれる。


「いえ。ほら見てください。この犬のイラスト。可愛いでしょう? うちの部員が描いたもので今、一年生の間で流行っているみたいなんです。私も画像を送ってもらいまして」

「ほほう! 犬のイラストですか。これは良いですな。私も好きなんですよ、犬」


 その言葉を聞いて明彦が顔をひきつらせた。彼は何度か飯田橋先生に説教された経験があるので良い感情を持っていない。おおかた「動物好きって柄じゃないだろうが、お前は」とでも思っているのかもしれない。


 飯田橋先生はそんな僕らをちらりと見て「今日は部活がないなら、あまり遅くまで学校に残らないように」と注意して廊下にひっこむ。


 そしてそのまま大崎先生と職員室の方に去っていったのだった。

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