第8話 隠されていた絵画

「結局どういう事だったんだ?」

「森下さんが隠していたことが何だったのか、はっきりしたってこと?」


 明彦と荻久保がそれぞれに僕に問いかける。


 板張りの広い部屋の中に無造作に並べられた椅子。


 部屋の隅の棚には彫刻や石膏像、イーゼルスタンドが無数に置かれている。僕が大崎先生に話を聞きに行った日の翌日の美術室である。


 僕ら、つまり僕と星原、荻久保と明彦はそれぞれに座りやすい椅子に腰かけて、ある人物が来るのを待っているところだ。


「ああ。やはり森下さんは壁に絵の具を塗る以外に何か、あの倉庫でやっていることがあったんだ」

「一体何をしていたというの?」

「多分、絵を描いていたんだ」


 荻久保に僕が答えると、明彦が「おいおい」と頭を掻きながら呆れたような声を上げる。


「そりゃあ、おかしいだろ。だってこの間、俺たち全員で確認したじゃあないか。倉庫の中の絵は保管目録の数と一致していた。減ってもいなかったが増えてもいなかった」

「その事なんだけど」


 僕が森下さんのしていたことについての推測を語りかけたとき、ガラッと美術室の扉が開かれる音がした。


 立っていたのはショートヘアの前髪をヘアピンで留めている少女とロングヘアの大人しそうな少女。一年生の菊川さんと森下さんだ。


「話があるということだったので、来ましたけど何なんです? 月ノ下さんたちまで一緒に」

「……大島さんがイラストを販売するのを止めさせる方法が見つかったんですか?」


 僕は「いいや。ただ森下さんに聞きたいことがあったんだ」と答える。


「……わ、私にですか? いったい何を」


 僕は立ち上がって彼女たちに応える。


「そのことを話す前に場所を変えたいんだけれど、いいかな」

「は、はあ」


 僕は後ろの三人に振り返って目配せをする。星原と明彦、荻久保は僕の行こうとしている場所を察したようで何も問わずに無言で立ちあがった。





 僕らは実習棟を出ると、本校舎に向かって歩を進めた。


 渡り廊下の冷たい空気が顔を撫でる。


 僕は歩きながら、森下さんに尋ねた。 


「君は前に大島に自分のイラストを勝手に使われるのを止めさせてほしいと言っていた。そうだよね」

「そ、その通りですが」

「それにしては僕が大崎先生に相談するように勧めた時には嫌がっていた。安価で新しいイラストも付加したメッセージスタンプを販売することを勧めた時にも消極的だった」

「そ、それは」

「君は本当は『イラストを使われるのが嫌』なんじゃあなくて『広められるのを嫌がっていた』のじゃあないかな。もっと言えば大崎先生に君の描いたイラストを知られてしまうことを恐れていたんじゃあないか」


 彼女は僕の言葉にビクリと怯えたように立ち止まって自分の肩を抱いた。


 一方、菊川さんは僕と彼女のやり取りを聞いて不機嫌そうに割って入る。


「ちょっと、さっきから聞いていれば何なんです? 月ノ下先輩は玲美の悩みを解決するために知恵を貸してくれていたんじゃあなかったんですか?」


 本校舎に入ったところで、僕も一度止まって菊川さんの方をちらりと見る。


「菊川さん。君にとって森下さんはどんな子かな?」

「何です? 急に」

「良いから答えてくれないか」


 菊川さんは少し怒ったような恥ずかしそうな顔で言葉を紡ぐ。


「……友達です。あたしなんかより全然すごい、絵を描く才能があって。尊敬しています。もっと周りも玲美のことを評価してくれればいいのに、って思うくらいです」

「そうか。だから、大島が彼女の描いたイラストを我が物顔で金儲けに利用しているのが許せなかった、ということなんだね」

「はい」


 そんな風に思ってくれる友人がいる森下さんが少し羨ましいな、と僕は心の片隅で呟きながら一瞬彼女を見やる。


 森下さんは硬い表情でうつむいていた。


「菊川さん。君は知らなかったと思うけれど森下さんはここ一か月ほど、美術部で活動した後に校内のどこかで居残っていて、人に知られないように何かをしていたんだ。荻久保も先輩としてその不審な行動を心配していた」

「何ですって? 校内のどこかで居残っていた?」


 菊川さんが口を半開きにして困惑した表情で僕を見つめ返す。


「……そうだ。そして彼女がその時に居たんじゃないかと考えているのがあそこだ」


 僕は本校舎の廊下の一角を指さした。


 階段の裏手にある小さな扉、美術部の倉庫を。


 森下さんはこれから起きることを予感したのか、ますます顔をこわばらせた。






「それじゃ、開けるよ」


 荻久保がこの前と同じように鍵を取り出して、倉庫の入り口を開錠してみせる。


 僕は中に入って電灯のスイッチを入れて森下さんと菊川さんを手招きした。


「二人とも聞いてくれ。僕らはこの間、森下さんが年末に大崎先生からこの倉庫の鍵を借りたという話を聞いた。そして僕らもつい先日この倉庫に入って、あるものを見つけたんだ。それが、あれなんだ」


 僕は倉庫の奥の壁の隅に描かれた小さな犬の絵を指さした。先日、明彦が剥がした絵の具の下から現れたものだ。


「あの落書きはだいぶ前に描かれたものだ。結論から言うと、森下さんが描いたあの犬のイラストは彼女が一から考案したものではなくて、以前美術部に所属していた先輩が描き残したものをみて着想したものだったんだ」

「何を……言っているんですか?」


 菊川さんは信じられないというように首を振った。


「月ノ下さんたちも先日確認したはずじゃあないですか。玲美の描いた下書きを」

「そうだね。だから森下さんがあのイラストを描いたこと自体は本当なんだろう。でもあの画風そのものは他の人が描いたものに影響を受けたんだ」

「嘘です」


 菊川さんはきっぱりと反論した。


「確かに玲美がこの倉庫に出入りしたのは本当かもしれません。でもあの落書きが最初から描いてあったものなのかはわからないじゃないですか。ここに出入りしていた玲美が、ちょっとした悪戯心からあの犬の絵を壁に描いた。そしてその後、本格的にイラストとしてあの犬の一連の作品群を創作するようになった。こう考えれば矛盾はないじゃないですか」


 森下さんは自分のために抗弁する友人の姿をどこか後ろめたいような、苦しさをかみ殺すような表情で見ていた。


 一方、星原や荻久保たちは無言で成り行きを見守っている。


 僕は「残念ながらそうじゃない」と壁に貼られていた「倉庫の使用上の注意」を記した紙を剥がしてみせる。その下からはこの間発見したもう一つの犬の絵が現われる。


「あそこにあった落書きは僕らが入った時には絵の具で隠されていたんだ。おそらく森下さんが見られたくなくて塗りつぶしたんだろうね。だけど彼女はこの張り紙の下にある落書きは見逃していた。この張り紙は黄ばんでいて印刷された日付も書かれている。『十年以上前』だ。こんな昔に貼られた紙の下に描かれていた落書きを、去年入学した森下さんが描けるわけがないだろう」


 菊川さんは一瞬沈黙したが、それでも自分を奮い立たせるようにキッと僕を睨み返した。


「その張り紙だってテープの所を何度か貼り直したように見えますよ?」


 まあ確かに先日入った時に明彦が剥がして貼り直したし、この数年間にも何度か剥がれて貼り直した可能性もないとは言えないが。


 彼女は沈黙した僕をよそにさらに反論を続ける。


「この紙が印刷されたのは昔でも、玲美が落書きを張り紙の下に描いてもう一度貼ったのかもしれない。玲美が人の着想を盗んだ証拠になんてならないじゃないですか」

「……まだあるんだとしたら?」

「は?」

「この落書きの元になった完成作品が存在しているんだとしたら?」

「どういう意味です?」


 僕は「これを見てくれ」と入り口の横に置かれていた保管品の目録を手に取って、ある一点を指さして見せた。


 そこに記されていたのは「平成十五年度保管『山野の新春』」「平成十六年度保管『庭園の新春』」「平成十七年度保管『林道の新春』」という三作品のタイトルだ。


「これがどうかしたんですか?」

「この三つの作品、新年の祝いをテーマにした連作でね。図柄はこうなっている」


 僕は先日見つけた三枚の油絵の梱包を菊川さんの前でほどいて見せた。森下さんはどういう心境なのか、ただ無表情で状況を静観していた。


 梱包の下から出てきたのは雪景色や松林を背景に描かれた「羊」「猿」「鶏」の三枚の油絵だ。


「さて。不自然なことがあるんだけれど気づかないか?」

「え?」


 菊川さんは訳が分からないと言いたげに首を傾げた。


「まだわからないのか? この絵は平成十五年度から十七年度の三年間に描かれたことになっているんだ」

「……ああ。そういうことね」


 ため息をついて納得したような声を上げたのは星原だった。


「どういうこと?」

「何なんだ?」


 荻久保と明彦が疑問符を顔に浮かべる。


「つまりね。干支で言うと『平成十五年は未年』『十六年は申年』『十七年が酉年』なの」と星原が補足する。

「だったら別に不自然じゃないだろ、……いや待てよ」

「あ、そうか」


 明彦と荻久保も一瞬遅れて、僕の言いたいことを察したようだ。


「そう。年度は普通『四月から三月』だろ? じゃあ平成十五年度に描かれるべき絵は『猿』、十六年度に描かれるべき絵は『鶏』、十七年度に描かれる絵は『犬』でないとおかしいんだ」


 つまりはここに残されている絵は「猿」「鶏」「犬」であるべきなのに、実際に残っているのは「羊」「猿」「鶏」の絵なのである。


 考えられることは一つ。森下さんが犬の絵を隠して、代わりに羊の絵を描き上げた。そして絵の数の帳尻を合わせたのだ。


 話を聞いていた菊川さんは理解できないようで、戸惑ったように「え? え?」と声を漏らす。


「そういうことね。つまり森下さんは前にこの倉庫に入った時に偶然、ここで年賀をテーマにした『犬の絵』を見つけた。独特の画風を見て彼女は自分でも描いてみたくなった。けれどもその少し後でイラストが学年内で広まり、さらに美術部のイベントで過去の先輩の作品を展示すると聞いた彼女は動揺した。そこでなんとか犬の絵の存在そのものを隠そうとした」


 星原の推論に僕も続ける。


「そこで考えたのが、『年度』を『絵が描かれた年』と誤認させることで他の動物の絵を卒業生が描いた作品としてでっちあげることだ。荻久保の話だと森下さんが何か作業をしていた時、『白い絵の具』が無くなっていたんだったよな。つまりこの『羊』」の絵を描くために消耗していたという訳だ」


 後は油絵のタイトルと年度が描かれたラベルを梱包材ごとすり替えて、誤魔化してみせたということだろう。


「いや。ちょっと待ってくれ」と異議を唱えたのは明彦だった。


「森下が自分が真似をした『犬の絵』の存在を知られるのを恐れて、羊の絵を描いてすり替えたのは判った。でもよ。その後、元々あった犬の絵はどこに行ったんだ? 簡単に持ち出せるような大きさじゃあない。かと言ってこの部屋にある作品の数は増えても減ってもいなかった。これはどう説明するんだ?」


 明彦の指摘はもっともだ。僕も実はその点だけが最後まで確信が持てなかった。ただある程度の推測はできる。


「そうだな。実は考えられる方法が一つある。……荻久保」

「何?」


 僕は倉庫内に置かれたひときわサイズの大きな絵を指さした。


「前に文化祭向けのイベントで共作企画というのがあると言っていたよな。どういう内容だったっけ」

「え、だから。二人で二枚のキャンバスにそれぞれつなげると一枚の絵になる大作を作るっていう……。あ、まさか」


 そう。そのまさか、だ。


「保管目録には絵のサイズまでは記載されてなかった。つまり他の同じサイズの絵とつなげて一枚の作品に見せかけて梱包したんだ。可能性としてはあの特大サイズの絵画が整理された列に保管していると思うんだけど。……どうかな。森下さん。一緒に探してくれるかな」

「……それには及びません」


 観念したように森下さんは呟いた。

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