@nINe

 蓮宮はすみや 叶世かなせ杜乃もりの 天加あすかの部屋に戻ると、椅子の上で体育座りする杜乃がシステムで資料を眺めていた。やっていることは杜乃だが、その体勢からまだ天加であることを認識する。

「戻ったよ」

「おかえりー」

 視線は画面から逸らすことなく、生返事を返す天加。

「じゃあ作っちゃうからな」

「あ、手伝うよん」

「ありがとう」

 システムの前から立ち上がり、キッチンへ赴く蓮宮を追随する天加。

 買い込んできたものをキッチンで袋から取り出しながら、蓮宮が問いを投げる。

「さっきシステムで何見てたの?」

「ん?ああ、昨日かな?まで関わってた事件の資料だと思う。首ないやつ」

「ああ。よくあんなえぐいのあんな風に見てられるね」

「杜乃が平気だからね。なんだろう。えぐいとは思うんだけど、嫌悪感はないかな」

「へぇ」

「ってこれも前から言ってるじゃん」

「まあ、そうなんだけど」

 蓮宮は鍋に水を貯めて火にかける。

 話しながら天加もネギを刻む準備を進めていた。

 キッチンボードを敷き、その上にネギとナイフを横たわらせると。

「……」

 天加が、そのナイフを見つめて固まっていた。その表情は、まるで何もない。完全なる無表情だった。

「…やるよそれは。チャーシューも買ってきたから、袋から出しておいて」

 蓮宮がそう声をかけると、天加は弾かれたように動いて蓮宮の顔を見る。

「…あ…ごめん」

「いいって。むしろこっちが気づかなくてごめん」

 蓮宮が天加と入れ替わって、キッチンボードの前に立てナイフを握った。

 入れ替わった天加は、まだパッケージのままの食材を手にとってそれらを開封しようとするが。

「いや、違う。ごめん。今のはあたしが悪い」

「気にしない気にしない。そういう約束だろ」

「そうだけど、今のはあたしが迂闊だった」

「ま、本人がそう気をつけようとしてくれていることは進歩だから、意識することは大事だね」

「…叶世くんは言い方が優しすぎるんだよ」

 話しながらも、二人の手は止まらない。火にかけた鍋の水は小さな気泡を作り始めていた。

「だって事実じゃないか。自覚して、直そうとしたり回避しようとしたりして、その成功のための失敗はどんどんするべきなんだと思うよ。反省は無意味だからやめたほうがいいけど。それよりなら後悔したほうがバネになると思う。その失敗は、頑張った結果だからなんんか一つでもあるものがあれば責められるべきものではない、ってね。そういえば、これも前も話したね」

「…そうだけど…」

 続く会話の中で蓮宮の手が葱を適量刻み終えると、鍋は沸騰してきていた。

「さ、ここまでできればあと大丈夫だよ。向こうで待ってて」

「……いちゃだめ?」

「いいけど、あとは僕がやるよ」

「うん。わかった」

 シンクやコンロから一歩引いて、後ろ手に腕を組むようにして壁に寄りかかる天加。こんな時でも着ている私立酉乃刻高校の制服のスカートの裾を少し気にしたような目線の動き。それはごまかしか、落胆のそれか。蓮宮は視界の隅でその様子を捉えていたが、一旦調理に集中することにした。鍋に麺を投入する。茹で上がりを待ちつつ、丼ぶりにスープを作る。

「…叶世くんはやっぱり、彼女の方が好きなの?」

 絞り出すようにした天加のセリフはそんな疑問だった。声もかなり小さい。

「どっちが、なんてことはないって、いつも言ってるだろ」

「…でも」

「そもそも、杜乃といるときの僕をどれだけ知ってる?」

「ほとんど知らない」

「一緒だよ。別に杜乃だろうと天加だろうと変わらないし、どっちが上も下もない」

「どっちも好きってこと?」

「恋愛感情かどうかでいえば、違うと思うけどね」

 蓮宮はそう言った。けれど、天加はその発言の根拠を聞いたことがある。そのため、茶化すこともできないでいる。

「…やっぱりそっか」

「そういう天加は、相変わらず?」

「うん。叶世くんのことは本当に大好き。でもやっぱりそれ以外の人間とあなるとなかなか興味が持てない。人間嫌いってわけじゃないとは思うんだけど、やっぱりまだ確信はないし」

「…臆面もなく告白しないの」

「いつも言ってるじゃん」

「そうだけどさ。その落ち着いた冷静なトーンで言われると、真実味が増して受け取り方が変わるだろ」

「へへ」

「いつも通りのハイテンションならまだ受け流せるけどな」

「ふざけてるみたいだもんね。確かに」

「…なぁ、昔よりこうして色々話せるようになってるじゃん。一回学校行ってみないか?」

「…それはちょっと考えてた。けど、まだ厳しいかも。少しだけ行ってみるとかならありかもだけど」

「ならさ、休みの日に行ってみれば?」

「…休みに?」

「いきなりクラス全員いるところに突撃するのは確かにハードル高すぎるよ。杜乃にとっても天加にとっても。でもさ、少ししか生徒のいない土日とか祝日なら、ハードル下がるんじゃない?」

「……なるほど」

「僕ももちろん付き合うからさ」

「……うん。それなら、ありかも」

 と、麺が茹で上がったようだ。蓮宮はそのまま盛り付けていく。

「あ、できたね。おはしとれんげー」

 天加が食器を持って部屋に戻った。

 そのあとを追って、二人分のどんぶりを持って、蓮宮も追った。

「さ、食べちまいますか」

「わーい!いっただきまーす!!」

 自分がリクエストした食事を前にした天加のテンションはそれまでとは段違いに上がって、それまでのしおらしい天加は影も形もない。

 嬉しそうにラーメンをすする天加を見て、蓮宮は少し安堵していたが、その強い表情のコントラストのせいで、彼女の中にある影、闇を意識せざるを得ないのも、また事実だった。

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