序章 第2話

「どうして…ばっかり…。」

…知らない誰かがそこに居る。だが、その姿を捉える事は出来ない。

俺は今、どうなってるんだ…?確かあいつが…。

つい先程にも感じる記憶を辿るが、ふわふわと上下する不安定な意識がそれを阻む。深く考えようとすればする程、ノアの意識は真っ暗闇の奥へと低落していく。その間にも正体不明の声はまた何かを呟いた。

「何が…悪い…何が悪い…!…は…が……かっただけ…。」

それは、肌が粟立つ程の怨嗟…嫉妬だ。この人は、きっと誰かに…。

「お前は何も悪くない。」

…は?

「欲しいなら、与えられないなら奪うしかない。」

待て…何で…。

聞き慣れた声。毎日毎日、日常的に聞かざるを得ない声。

「お前の運命は、産まれた時に世界に押し付けられただけのもの。」

何で、こんな言葉が俺の口から出ている?

「そんなもの壊して何が悪い?」

止めろ…。俺はこんな事思っちゃいない…!

止まれ、止まれと口を抑えようとするが、何故か指先ひとつも動かせない。体の主を、その意志を無視して紡がれる言葉は、一体誰のものなのか。それは分からないが、少なくとも自分はそんな事一度も思った記憶はないのだ。それなのに…。

「気に入らないなら、全てを覆せば、壊せば良いだけだ。」

尚もこの口は、恐ろしい暴論を吐き続けている。

止めろ…。

「ほら、早く…」

止めろ…!

「止めろっ!」

突如として辺りに響き渡る怒鳴り声。それに反応し、ビクッと跳ねた目の前の細長い手と視界を焼く眩しいライト。それらを順々に認識して行く過程でノアははたと気付く。…手?ライト?

「…え?」

首を少し動かし、その手の方へと視線を向けると、自分より少し高めの位置に知らない青年の驚愕色に染まった顔があった。自分の傍らに座っている彼の片手には、清潔な真っ白い包帯が握られている。それと同時に感じ始めた、鼻の奥をツーンと刺激する独特のエタノール臭と背中の痛み。ここで漸くノアは、先程の出来事をは全て夢だったのだと悟る。

「…あ、えぇと…。」

途端に焦りが心を煽り、上手く言葉が出てこない。彼の眉間が少しずつ狭まっていくのを見れば、尚更だ。

「…何か悪い夢でも見てたんだろうけど、いきなり怒鳴られると心臓に悪い。」

「あ、あぁ…。うん、悪かった…。」

「まあ、良いけどね…。それで、君のその傷、どうしたの?人の家の前で血塗れになって倒れてるのを見た時は肝が冷えたよ。なんのホラーサスペンス小説かと…。」

何と、まさかそんな状態だったとは。彼が語るシーンを想像しかけて…あ、これはヤバいやつだと慌てて思考を打ち消す。よく彼はそんな自分を家に入れたものだ。普通は役所や警察に届けそうなものだが…。若しくは病院…?いや、この傷じゃ対応してくれる場所なんて殆どないだろう。現代の医療技術の殆どは魔術を応用したものだ。闇影に負わされた傷は何故か外部から働きかける魔道具では塞がらない。今時古い技術を扱う場所は極小数なのだ。そう考えると、自然と選択肢は限られてくる。

「あー…これは、えーと…。」

闇影関連の事案を受け持つ影狩りと呼ばれる役職の中でも、自分が属している国直属の機関、白き鷹ブランファルケ…通称白狩りしろがりは、それ以外にも堕天人だてんびと高深度能力者カルマイレギュラーに対処する義務がある。しかし、個人や団体が依頼するには多額の報酬を支払わなければならず、更に国からの指令があればそちらを最優先案件として片付けなければならない。つまりストレートに言えば“金は払ってもいつ対処して貰えるか定かでない”という印象が根強い為、余り快く思われていないのだ。勿論、それ以外にも悪印象を与える原因はいくつかある。それら全てにおいてこちら側にもれっきとした理由はあるが、それを話したとしても理解して貰えるかは別問題だろう。だからこそ、ノアは彼に白狩りである旨を伝える事を躊躇した。あの疑心に溢れた目を向けられるその瞬間を想像してしまったのだ。

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