朝食

 その夜は、体を重ねることなく終わった。夕食を外でしっかりと食べたから疲れたのもあったが、もちろん葵が躊躇したからだ。俺がどんなに抱きたいと思っても、葵が合意しない限り、無理に抱くことはしないと決めていた。

 彼は「心の準備をしておく」と謝りながらすっかり疲れ切った顔で、俺の腕の中に丸まって寝た。愛おしそうに俺に密着して。



 ――猫みたいだ。



 ふと、そう思った。きっと彼の好きだったあのお兄さんに、こんな愛情表現はできなかったのだろう。きっと彼は、俺に抱かれることに些か不安を持っているだろう。というよりかは「俺を迎え入れることに」だろうか。

 でも彼のその葛藤は、お兄さんより今の俺を見てくれていることを意味する気がして、むず痒いような気持ちにもなった。






 朝を迎え、彼は確実に変わった。


 絢斗が起きると、もう隣に葵の姿はない。分かっていても少し不安になる。そんな自分の弱さにも、嫌な気持ちになる。

 しかし、キッチンから聞こえる軽快なリズムに思わずベッドから飛び起きる。廊下を小走りで進んでいくと、パンの焼けた良い香りが漂ってくる。


「絢斗、起きたの。おはよう」


「え? お、おはよう。え?」


 混乱する俺をよそに、エプロン姿の葵は紅茶を淹れている。ずっと使っていなかったと思われるエプロンはシャツの上から着るには少し緩いデザインすぎて、お世辞にも似合っているとは言えなかった。だが葵のことだから、「頑張ろう」という気持ちを体現する為に着てみたのだろう。


「まだできてなくてごめん……やっぱり朝はあんまり強くなくて」


 まだとは言えど、パンはこんがりと焼かれてバターやジャムの瓶も並べられている。サラダの上には自家製と思しきレモンソースが掛かっていて、皿に乗せられた目玉焼きは程よく柔らかそうで、見ているだけで寝起きの胃袋が朝食モードに変わっていく。


「強くないどころか……クソ苦手だろ……」


「そうなんだけど……せっかくの同棲なんだから、素敵なご飯を提供できたら、すごく嬉しいかも……とか」


 そうマグカップを両手に言ってから「できたよ」と微笑まれる。幸せすぎて、死ねる。初めて好きな人の為に死ねると思った。


 まず、葵が「同棲」と言ったこと。次に、朝がとてつもなく弱かった葵がこんなに早く起きたこと。それから、料理をしてくれたこと。決別したように見えても病的なまでに根付いている兄の存在に、遂に俺が打ち勝ったということなのだろうか。そうなのか。




 柔らかい朝の光


   幸せの涙が滲む


  好きだ


大好きな人が作ってくれた朝食


      今まで見た何よりも美しい光景


          好きだ






「食べよっか」






    好きだ

           もう誰にも

             誰にも

        渡したくない朝だ

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