三 確率の甘い台ほどよく負ける


 今日は特別国庫管理部の同僚である石橋健司と仕事だ。だが、石橋は事務所に出所するのは給料日だけで、その他の日に出所することはほとんどない。極度のギャンブル狂かつチャラい男で非常にだらしない生活をしている。

 

 石橋の携帯を呼び出すが、出ない。おそらく渋谷のマルハンだろう。仕事まではもう少し時間があるから放っておこう。席に座っている古城戸に愚痴を言ってみる。


「石橋がまた来ていないぞ。所長権限でどうにかしろ」


 古城戸は露骨に嫌な顔をする。あきらかに面倒がっていやがる。


「私が言っても聞かないのよ」

「じゃああいつじゃなく、古城戸が来てくれ」


 古城戸は手を顔の前で振る。


「今回のは石橋君向きの話でしょ? バイクくらいは出してあげるから」

「出すなら車でいい。石橋はバイクに乗れないんだから」


 今回の仕事は、能力を悪用したパーグアを捕まえる内容だ。身柄を拘束する必要があるので、夢ではなく現実で捕まえる必要がある。


 警察や機動隊が動くには逮捕令状や捜査令状が必要になるが、「八卦の悪用による犯罪」などで逮捕令状が出せるはずがなく、俺たち自らが捕まえるしかない。政府としてもそういった法律など立法できるわけもなく、俺たちに依頼するしかないのだ。捕まえたパーグアに更生の意志があれば俺たちの同僚になりえるかもしれないし、理解を示さないなら監禁するしかない。


「石橋君がいれば負けることはないでしょ。彼一人だと真面目にやらないから、由井薗君をつけるんだからね。ちゃんと監視するのよ」


 古城戸はもう邪魔をするなと言いたげに俺から目を切った。ひどいやつだ。

 俺は古城戸から車の鍵を預かって事務所を出る。今日の車はトヨタWIND。エア・カーだ。ガソリンは一切使わず電磁反発式駆動炉から発生する反発力で浮上する。


 俺は今年免許を取ったばかりだが、一応運転はできる。運転席に乗り込み、スタートボタンを押すと各種計器に通電。上方に障害物がないかセンサーが自動スキャン。サイドブレーキなどはなく、ドライブレンジに入れると初期浮上し、地上から五十センチ上昇する。この状態で走ると通常の道路交通法の適用範囲となる。俺は初心者だから今日はそれで行こう。


 前進すると無音で景色が流れ、カーブでは若干傾き遠心力を感じる。この浮遊感にはまだ慣れない。酔う人もいるに違いない。


 俺は渋谷のマルハン前にWINDをつけると携帯で石橋を再度呼び出し。今度は出た。携帯から石橋の声。


「もしもし?」

「もしもしじゃねーよ。さっきも掛けただろ。そろそろ時間だぞ」

「いまどこなん?」

「渋谷のマルハン前」

「マルハンね。近くやからいくわ」


 なんの謝罪もなく電話が切れた。なんてやつだ。

 しばらく車で待っていると、助手席のドア前に石橋が立って中を覗いた。すぐにドアがあき、中に入って座席に勢いよく腰を落とす。石橋は白いシャツにジーンズという軽装だった。本人は吸わないタバコの匂いがするからパチンコに行っていたのだろう。


「こんな車持ってたんか? WINDやろ? これ」


 大阪弁のイントネーションは東京ではめったに聞かないが、古巣を思い出して安心する。


「石橋。……ちゃんと事務所に来い。古城戸も手を焼いてたぞ」

「冬美ちゃん? 犯らせてくれるなら行くって言うたんやけどな」


 古城戸はそんなことは言ってなかったが、考えてみれば言うわけはないだろう。


「それでなんて?」


 俺が思わず吹き出しながら聞き返すと、石橋はヘラヘラと笑いながら答える。


「それはそれは見事に怒ったで。歩いてるの見かけたらバイクで轢き殺す言われたわ」


 俺と石橋は爆笑する。石橋は話を続ける。


「今日そこの店でゴト師見てさぁ。店員にチクったら警察呼んでてクソおもろかったで」

「ゴトシ?」


 聞きなれない単語だったので思わず聞き返す。


「ゴトはゴトやん。パチンコの台にイタズラする奴らのことや」

「そんなやついるのか? 磁石とかで玉を動かすとか?」

「磁石は昔はあったけど今はほぼないなー。台の前に手をかざしてる奴がいたら店員もすぐ気づくから」

「どんなのがあるんだ?」

「今日見たやつは、釣り糸みたいな透明な糸を隙間から入れて、真ん中の釘を引っ張るやつや」

「糸を釘にひっかけて動かすのか? 結構原始的だな」

「釘ちょっと横に広げるだけで全然ちゃうからな。千円で何回回せるかやしな」


 パチンコは中央にスタートチャッカーという抽選開始のための穴があり、ここに玉が入ると中央のルーレットが回りだす。これが回らない限りはそもそも抽選が始まらない。ゴト師が行っているのは、千円で何回抽選できるか、いわゆる抽選効率をいかに上げられるか、ということだ。


 パチンコ台にはこの抽選の確率が二百十七分の一、というように決まっていてこれを操作することは法律で禁じられている。最近は色々な演出があったり、タイミングよくボタンを押すなどの要素を取り入れた台もあるが、それらは全部ただの演出で、スタートチャッカーに玉が入った時点でアタリかどうかの抽選は終わっている。


 大当たりの確率が二百十七分の一ということは、凡そ二百二十回くらいが大当たりの期待値になるわけだが、通常の四円パチンコで千円分を打ち、スタートチャッカーに玉が入るのはニ十発程度である。つまり抽選を二百二十回転回すには一万円前後必要ということになる。


 釘の位置が悪い、あるいは打つ人の腕が悪い場合は千円当たり十発しかスタートチャッカーに入らないということもあり、その場合は二万円程度必要ということになる。もちろんこれは確率なので必ず出る保証はなく、七千回転回っても出ない、という沼状態の台も存在する。


 もし、スタートチャッカーの横の釘を広げて玉を入りやすくしたら、より少ない金額で抽選を行うことができるので非常に有利となるのである。


「そのゴト師が警察とめっちゃ喧嘩しててずっと見てたわ」


 石橋は実に楽しそうだ。パチンコをやらない俺にはよくわからない世界だ。


「それはいいとして、今日のターゲットの情報をみたか?」

「見たけど、アレ俺いるか? あの能力めっちゃ欲しいわ。由井薗使えるんちゃうん?」


 今回のターゲットは『火天大有フォチダユ』の因果持ち。俺と同じ、おみくじでいう「大吉」の位置にあり、今が一番良い時であらゆる幸運を引き寄せるというものだ。逆に言うと今がピークでこの後は下り坂、ということだが、因果的には確率操作、つまり「今がピーク」を利用して、くじ引きなんかの当選確率を操作できる。


 ここ最近、スクラッチくじの高額当選が続く店舗から通報があり、調査隊が調べたところパーグアの干渉が見られたため依頼が俺たちに回ってきたのだ。いまはスクラッチくじ程度の被害だが、夏休みや年末の時期になるとジャンボ宝くじが発売となる。そうなると前後賞含めて十億もの大金を攫うことになる。ギャンブル狂の石橋には願ってもない能力だ。


「当たるとわかったギャンブルをする気になるのか?」


 石橋は一瞬考え、小さく頷いた。


「金になればなんでもええ」


 だが、その声には覇気が欠けていた。迷いがあるに違いない。


「ターゲットは予定通りなら今日渋谷のあの店舗にスクラッチを買いに来る。来たら俺と石橋で両側を挟んで職務質問する、でいいか?」


「能力使わせてからじゃないと現行犯にはならんやろ? あと可能性低いけど他の能力者と共犯って可能性ないん?」


 言われてみればその通りだ。石橋はギャンブラーだが、無謀な張りはしない。データを見たうえで最も可能性が高いほうに賭けるタイプのギャンブラーだ。納得できる理由無しにイチかバチかでは張らない。


「そもそも八卦を使ってクジを操作するなという法律はないんだから現行犯もクソもないぞ。見たら捕まえるだけだ。もし複数人で現場に現れたときは中止ってことで」


 石橋は暫く考えたが、半分納得したようだった。


「そうする? もし別の奴がいたら俺は能力は見せへんで」


 石橋の相手の八卦を中断させる能力は強力だ。だが、相手がそれを知っているのとそうでないのではまったく話が違う。下手に能力を見せると次はさらに難しくなる、と言っているのだ。


「それでいい。もし別のやつがいたら俺が大体どういう能力かはわかると思う」


 俺は近くのパーグアの能力が使えるから、近くに別のパーグアがいれば自分の中に湧き上がる因果に気づく。ただ俺の能力はかなりの劣化コピーだから、正確な能力はわからない。


 渋谷の三〇五号線にある宝くじ売り場が見える位置に俺たちは立って見張ること三十分。


 その男は現れた。資料によると名前は山路悠斗、二十七歳のフリーター。白地に青い柄の入ったTシャツとジーンズ、髪は短く茶色。髭、メガネは無し。

 山路は宝くじ売り場の前で足を止めると、スピードくじを何枚か購入。俺と石橋が角で見張っていると八卦行使の気配。

 すぐさま俺と石橋が山路の後ろに立ち、肩に手をかける。


「君、ちょっといいかな」


 俺がそう声をかけると山路は突然腕を振り払ってやってきた方角へ疾走する。


「あ、オイコラ!」


 石橋も怒声を上げて追走を開始。俺も全力で追う。

 渋谷の通行人が何人か振り返る。何事かという様子だ。ここは現実だから無茶はできないし、目立つのも良くない。


 山路は道路の反対側へ向かって走り渡ろうとする。この三〇五号線は片側二車線の大き目の通りでしかも交通量が多い。結構な量の車が走る中、道路を横断するなど無謀にも程がある。

 その時石橋が大声を上げた。


「まじか!」


 俺は山路に注視すると車は山路を避けるように見事に当たることなく反対側へ走り抜けた。それが八卦の力により交通事故になる確率をゼロに操作した結果だとすぐに気づく。


「そんな使い方があるとはね」


 俺は感心してしまう。俺も石橋もこの交通量の中、道路の反対側に走る勇気はない。

 が、山路にできるなら俺にもできる。俺は『火天大有フォチダユ』の因果に触れ、交通事故の確率を下げる。モタモタしては山路に逃げられてしまう。劣化コピーの俺の能力では、事故率は三十パーセント程度にしか下がらなかったが七十パーセントに賭け道路を全速力で横断する。トラックやタクシーがクラクションを鳴らしながら掠めるが、一気に渡り切った。背中が冷や汗で気持ち悪い。石橋は渡ってこれないので俺一人で山路を追跡する。


 俺は近くにいるパーグアの能力が使えるので、山路がいる方向や距離は大体わかる。石橋は横断歩道から向かってくるようだ。

 山路は南に少し走ると道路に向かって手を挙げた。タクシーを拾うつもりなのか。だがそうそう空車のタクシーなどくるはずがない。と思った刹那、気づいた。


 山路の前にタクシーが滑り込んで停まる。山路は急いで乗り込むとタクシーはすぐに発車した。あいつ、タクシーを拾える確率を最大にしたのだ。

 石橋の『雷水解レースーシ』には少々距離が遠かったようだ。

 俺も『火天大有フォチダユ』ですぐにタクシーを拾える確率を目一杯上げにかかるが、たったの八パーセントにしかならない。渋谷の街中と言えど空車はなかなか来ないものなのだ。


 警察身分を利用して車を徴収することも考えたが、制服を着ているわけではないので止まってくれる車はないだろう。

 そうこうしているうちに、山路の車はもう見えないところまで走り去っていく。信号にひっかからない確率も操作しているに違いない。俺はタクシーを諦め、手を降ろした。古城戸ならその場でバイクを出して追えたかもしれないが、俺にも石橋にもできないし、出来たところで衆目があってはどのみち無理だ。


 『火天大有フォチダユ』はもう俺の中に感じられない。遠くに逃げ切られてしまったのだ。石橋も追いついてきて、息を切らせている。


「多分やけどな、あいつ俺らと会う前から『何かあっても逃げ切れる』確率を最大にしたんやろうな」


 そんなことを言った。


「そんな大雑把な確率があるのかよ」


 俺は思わず文句を言う。そんな操作をされてはたまったものではない。山路がどの程度の操作が可能なのかはわからないが、ゼロを百にできるほどのものだとしたらお手上げだ。


「しかし今の危なかったな? よー渡ったな」


 石橋は俺の身体を上から下まで見て怪我が無いかを見た。先ほどの道路を渡った事を言っているのだ。


「真似して『火天大有フォチダユ』を使ってみた。ギリギリだったけどな」

「使わんほうが良かったかもしれんな」


 石橋は苦笑いしながら言った。手札を晒しただけ損だと言っているのだ。山路に俺の能力の一端を知られてしまった。


「そうかもな。だが俺の能力がコピーだとは気づいていないだろう」

「あれは俺でも捕まえるのはキツイんちゃうか? もうあいつも完全に警戒するやろしな」


 石橋が八卦を阻止できるのは、目の前で発動されつつある能力だけで、視認できない場所で発動される能力は阻止できない。事前に逃亡確率を最大に操作されては石橋も打ち消せないのだ。


「希望があるとすれば、石橋の能力を見せていないということか」

「そうやな。あいつは自分の能力に自信持っとるやろ。そやからまだそのスキはつけるんちゃうか」


 あいつを捕まえるにはどうすればいいか考える必要がある。トラブル時に逃げきる確率を最大にできる男か……


「あいつが確率を操作する前、もしくは操作してもその可能性がゼロの時を作るしかないな」


 石橋は頷くが完全に同意ではないようだ。


「基本はそうやろうけどな、でも多分そういう状況作らんやろ。俺なら冬美ちゃんを使って美人局をしかけるな」

「そんなことで捕まるか?」

「あいつに確率操作が必要な場面と思わせないことが重要やろ。冬美ちゃんがヤられる確率は百になるかもしれんけどな」


 そう言って石橋は笑う。俺も笑う。


「仕掛けてみたいのは山々だが、あとで殺されるぞ。確率を操作しなくてもわかる。百パーセントだ」


 それで俺と石橋はまた爆笑する。だが、石橋の言うように確率操作が必要な場面と思わせないことは必須のように思えた。


「今日はしゃーない、諦めよ。あいつを捕まえよ思たらワンチャン奇襲しかないわ」


 石橋はそう言うと渋谷駅に向かって歩いていく。


「おい。もう行くのか?」


 俺が声をかけると石橋は振り返る。


「もうええやろ? また作戦思いついたら言うてや」


 そういうと再び駅に向かっていく。しょうがないやつだ。俺はWINDに乗り、事務所に戻ることにした。帰り道、運転しながら山路を捕らえる方法を考える。が、いい方法は思い浮かばない。石橋の言う通り、能力を使う暇を与えず奇襲を狙うしかないのだろうか。案外古城戸を使って美人局作戦が現実味を帯びてくる。古城戸が山路を誘惑し、いい感じになったところで『雷沢帰妹レジグマ』で手錠を出して捕らえる。など考えてみたが雑すぎるだろうか。


 事務所に帰り十階の特別国庫管理部の部屋に入ると古城戸はいつものように座っていた。古城戸は俺に気づくとパソコンから俺に顔を向ける。


「どうだった?」


 失敗を報告するのはつらいがしょうがない。


「ダメだった。思ったより手強いぞ」

「石橋君がいてもダメだったのなら相当ね。彼、何か言ってた?」


 そう言われて、古城戸美人局作戦の話を思い出して笑いそうになったが、堪える。


「そうだな、ワンチャン奇襲しかないと言っていた」


 古城戸は頬杖をつくと一つ息を落とした。


「ふうん。でもしょうがないわね。捕まえられるタイミングはまた考えましょ。凶悪犯ってわけでもないから慌てて捕まえなくてもいいでしょ」

「今はノーアイデアだ。とにかく凄かったぞ。車をすり抜けて道路を渡り、無駄なくタクシーを拾いやがったんだ」

「へぇ? 確率操作ってすごいのね。量子論にも絡んできそうだけど」

「あれは簡単には捕まらないな。今日の感じからすると単独犯のようだった。自分の能力に自信があるだろうから味方を作るようなこともしないだろう」


 自分一人でどうにかできる人間は、仲間を持つ必要が無いから群れることはない。

 古城戸は小さく頷いた。


「名前がわかってるってことは家もわかってるってことだよな? なら確実な作戦を思いついてからでいいよな?」

「ええ。捜査員には引き続き監視をお願いするわ。引っ越しするかもしれないし」


 俺は相槌だけ打つと会話はそれで終わった。特に失敗を責められることはなかったが、後で古城戸が政府依頼者に頭を下げるのだとしたら申し訳ない。いや、それはないか。明確な期限など切られているとは思えない。

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