オリエンテーションⅡ


 数分後、オレ達は理事長室に到着した。遠野は何らかの規則性を以て、扉を複数回ノックした。すると扉が透化し、扉の先で見覚えのある男がオレに微笑みかけていた。


「入りなよ」


「御意」


 遠野は仰々しく返答すると、オレの首根っこを掴み、部屋の中へ押しこんだ。部屋の中は魔術に関わる書物が納められた本棚と、観葉植物に彩られた生活スペースがあった。生活スペースには黒皮のソファーとアクリルテーブル。テーブルの上にはマドレーヌが置かれていた。


 白衣の男はオレの前に立ち、


「久しぶりだね、体の調子はどうかな?」


「ちょうど今、胃がムカムカしてきました」


「それは、私の顔を見たからさ。まぁ、ソファにでも座って話そうよ」


 白衣の男はオレ達をソファーに座らせた。そして自身も黒皮のソファーに腰ろを下ろし、家の中にいるようにふんぞり返った。


「改めて、理事長の宮内記です。今日から君には本校の生徒として学生生活を謳歌し、そして私の部下として業務に従事してもらいます」


 オレはテーブルのマドレーヌを摘み、舌の上に乗せた。マドレーヌはチョコレートのように溶け、甘味が口いっぱいに広がっていく。それは幸さんのマドレーヌそのもので、オレは宮内を睨みつけていた。だけど、宮内はケロリとした表情で言った。


「リラックスできたし、本題に入ろうか」


 宮内はリモコンを取り出し、天井に取り付けられたプロジェクターに向けた。電源ボタンを押下すると、白い壁に一人の生徒の映像がうっすらと表示される。


 遠野が室内の照明を暗くすると、見覚えのある顔であることがわかった。鼻筋の通った顔立ちに、琥珀色の瞳。彼女は昨日、自宅で会った少女だった。


 宮内はフフンと小鼻を膨らませ、


「娘の憩依だ。可愛いだろう。母親似なんだ。暁くんには憩依の警護をしてもらう」


 宮内はリモコンをプロジェクタに向け、映像を切り替えようとした。オレも紅茶を口に流し、その様子を見守っていた。だが次に表示された映像を見て、オレは咽せた。


 プロジェクターから投射されたのは、おそらくどこかの家のリビングだった。おそらくというのは部屋に黒ずんだ血液が飛散しすぎて、リビングであることが確信できなかったからだ。部屋の中央には椅子があり、男性の遺体が手足を拘束されて放置されていた。


 遺体は裸体の所々を削がれており、激しい苦痛と恐怖、ストレスの後に亡くなったことが死際の表情で読みとれた。保護区で何人もの遺体と対面したオレだが、それでもこの映像を見ていると背筋が寒くなった。


 だが、宮内は表情を崩さなかった。


「一週間前、特区創設時の魔術開発部の幹部の遺体が発見された。遺体が発見された部屋では魔術が使用された痕跡があった。害虫どもは魔術で防音処理を行い、拷問をした。」


「その言い方だと、加害者は特定している?」


「魔術開発部の幹部が殺害される事件は今回だけではないんだ。殺害された幹部の遺体の側には必ず、あるものが残されている」


 宮内はプロジェクターの映像を切り替えた。黒ずんだ血の池の上に、真ん丸な花とそれを囲むように小さな花が添えられている。そしてオレはこれらの花がアリウムとジニアであることがすぐにわかった。小学生の頃、幼なじみがこれらの花を見て、可愛いと笑っていたのを覚えていたからだ。


 でも、だからこそプロジェクターに東映された二つの花に自分とのつながりを感じずにはいられなかった。


「ジニアリウムと呼ばれている組織だ。魔力の発展を阻止するべく暗躍している。奴らは特区設立に関わった五人の魔術開発部の幹部に四人を手に掛けた。そして幹部の最後の一人が……私だ」


「だとしたら、オレが守るべきなのはアンタの娘じゃなく、アンタ自身じゃないのか?」


 宮内は肩を竦め、


「さすがに特区の外から来た田舎者に守られるほど私は弱くないよ。他の幹部達だって、自分の身を自分で守れるだけの力を持っていた。弱かったのは彼らの家族や恋人や部下だ。ジニアリウムは自分の家族や恋人や部下を人質にしたり、裏切らせたりして、幹部達を抵抗できなくさせる。そうした状況だからこそ、暁くんを選んだ。君は私を裏切ることができないからね」


「どういう意味だ?」


「君の命は私が自由にできるということだ。ところで暁くん、額から汗が吹き出しているけど大丈夫かい?」


 宮内にそう言われ、オレは自分の体が汗ばみ、息苦しくなっていることに気づいた。自分の体の状態を意識すれば意識するほど、皮膚がヒリヒリと悲鳴をあげる。息苦しさのあまりに手元のカップをひっくりかえし、テーブルに紅茶の池を作ってしまった。


 そのとき、宮内がどこからか錠剤を取り出し、紅茶の池の上に落とした。オレはそれが、アレルギーの症状を押さえる薬だと気づき、犬のように錠剤を口に含み、池溜になった紅茶を必死に吸い上げた。薬には即効性があり、薬を飲んで数分後にはアレルギーの症状が収まった。


 宮内はクスっと笑みを浮かべ。


「君に服用している薬はプロトタイプだから数日で効果が薄れてしまうんだ。だから定期的に薬を服用する必要がある」


「その薬は護衛任務の報酬ってわけか」


 宮内は目を大きく見開き、


「君は両思いの幼なじみに会いたいと言ったね。それが叶うまでは死は選べないよね。そういうわけだから、今日から娘の警護を頼むよ。遠野くんにはサポートをお願いしているけど、他の人には話していないから、警護のことは内密にね。じゃぁ解散」


 宮内にそういわれ、オレは廊下に追い出された。再度理事長室の扉をあけると、そこには無人の狭い部屋があるだけだった。こうしてオレは警護と、遅れて始まった学生生活に従事することになった。

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