第10話

「君の実力、見せて貰うぞ、水瀬君」

「は、はは、はい、隊長」


 授業中の緊急招集にもかかわらず全く動じた様子のない那由多とは対照的に、水瀬は緊張でガチガチになりながら答えた。

 空には降下してくる数十体の魔導機兵。その姿は見慣れている。

 しかし、写真や映像ではなく、また避難の途中に視界に入った訳でもなく、戦うために真正面から対峙するのは初めてのこと。

 だから、水瀬は膝が震えるのを止められなかった。

 緊張を解くため、という模糊の妙な理屈によって、またもや女子の制服を着させられているが、正直全く効果がない。

 避難が済んだ後の不自然なまでの静寂に包まれた大通りで、そのど真ん中に立っている状況もまた緊張に拍車をかけているのかもしれない。


(実戦……これが実戦の空気なんだ)


 息が乱れて今にも倒れ込んでしまいそうな緊迫感の中、それでも自分とは違って実力も実績もある隊員の面々の存在を頼みに何とか踏み止まる。


(実戦、だけど、魔導機兵だけなら……だけ、なら……?)


 魔導機兵しかいないことを心を落ち着ける材料にしようと、それらの配置を確認していると、一体だけ全く趣の異なる姿を持った人型の何かが存在していた。


「な、何やの? あれ。魔導機兵とはちゃうみたいやけど。ま、まさか、ゲベットみたいな幹部やないよね?」


 そのことに気づいた旋風が、若干動揺したように隊員の面々に問いかける。

 水瀬もまたその答えを求めて、少し離れた位置で空中を浮遊している那由多に視線を向けた。彼女の手首には飛行補助用の魔造石英が埋め込まれた腕輪がはめられている。


「あれは――」


 その那由多は、魔導機兵達の奥に佇む全身鏡張りの鎧を油断なく見据えていた。外見は資料で見たゲベットに少し似ているが、彼とは異なり明確な意思が感じられない。


「魔導人形師アンナの新たな人形だな」

『ああ。……旋風、油断するなよ。ゲベット程ではなくともアンナ手製の人形は強敵だ』

「征示先輩……分かった。気いつけるわ」


 以前どこかで耳にした自分勝手という評価とは裏腹に、征示の言葉には素直に耳と傾ける旋風。彼女は彼に負けて以来この調子らしい。

 その忠告をした当人、玉祈征示は参謀として、既に避難が済んだ建物の屋上から全体を俯瞰しているそうだ。旋風に勝利できる程の彼が後方支援に専念している理由は、長時間の戦闘が不可能という一点に尽きる。


「さて、征示。今回は水瀬君の実力を測る、ということだったが、事情が変わったと思っていいのかな? さすがに未知の敵の相手はさせられないだろう?」


 予想外の状況を前に、逃避的にあちこちへ意識を飛ばしていた水瀬を尻目に、那由多が堂々と右手を掲げる。その自信に満ち溢れた姿を見れば、彼女こそ隊を率いる者として相応しいと誰もが思うに違いない。


『是非もないな。那由多、本気を出して構わないぞ』

「珍しいな。いつもは連係を重視して、消費魔力を抑えることを第一に作戦を立てている君が。まあ、私としてはこちらの方が性に合っているがな」

『それは相手が命のやり取りにもならない雑魚の場合だけだ。今回は、あの人形の力を見るためにも全力が正答だろう』

「ふむ。なら、久々に全力全開で行かせて貰おうか。〈流星りゅうせい煌雨こうう・――」


 そう那由多が告げた瞬間、莫大な魔力が一瞬にして励起し、彼女の前方に魔力拡散光とは異なる無数の輝きが生じた。その数、およそ五〇。ほぼ魔導機兵と同じ数だ。


「――無量むりょう大数たいすう〉!」


 その叫びと共に彼女の周囲に発生した光一つ一つから眩い柱が天に昇っていく。

 そして、空が那由多の輝きに埋め尽くされ、魔導機兵の姿が見えなくなる。

 一瞬遅れて天に咲き乱れる鮮やかさの欠片もない無骨な花火。

 光に遅れること数秒して轟く爆砕音。

 各々の光の柱が上級の魔法と遜色ない威力であるが故に引き起こされた結果に、改めて那由多という人物のずば抜けた才能に畏怖と頼もしさを感じて呆けてしまう。


『水瀬、油断するな!』


 だから、征示に一括されるまで水瀬は状況を正しく認識できなかった。

 あの特殊な一体が那由多の壮絶な一撃を受けて尚、健在であることを。


「え?」


 気づくと、目の前に自分の歪んだ姿があった。それがあの鏡張りのプレートアーマーに映し出されたものだと理解するのにかかった時間は、致命的だった。

 しかし、本当に取り返しがつかなかったのは、その脅威を前に愚かにも体を竦ませたことだ。腕を振り上げる敵の動きは鈍重で、冷静だったなら回避は容易かったはずなのに。


「あ、あ……」

『旋風!』

『分かってる。任せてえな!』


 死を覚悟する程状況を把握することもできず、ただ呆然と振り下ろされる腕を見詰めていた水瀬は、次の瞬間何が起こったのか理解できなかった。

 自動車が正面衝突したかのような巨大な音と共に、眼前の脅威が突然姿を消したのだ。


『しっかりせえ! 殺されたいんか!?』


 耳元から伝わってくる旋風の怒声。しかし、姿は見えない。


「お、大原さん? 一体どこに――」

『そんなことはどうでもええ! ぼさっとしとるとホンマに死んでまうで!』


 その言葉にハッとして敵の姿を探す。そして、水瀬は数メートル先の地面で起き上がろうとしているそれの姿を視界の端に捉えた。


『くっ、うちの一撃やと軽いんか。隊長、焔先輩!』

「任せたまえ。〈収斂しゅうれん極天光きょくてんこう〉!」「ああ。〈拡散スプレッド爆炎陣〉エクスプロード!」


 旋風の言葉を合図に、那由多と火斂が同時に強大な魔法を放つ。

 先程の無数の光を束ねたような極大の輝きと、相手を囲うように襲いかかる紅蓮の炎。

 世界で活躍する魔導師のトップエリートに勝るとも劣らない魔力が込められた二つの魔法。その威力を前に、その場にいた誰もが勝利を確信したことだろう。


「な、何っ!?」


 だからこそ、その異常な現象に、那由多すら驚愕を表したのも無理もないことだった。

 敵を包み込む炎の中から光の柱が空に立ち上っている。それは明らかに那由多が今も尚放ち続けている魔法の光だった。


「反射、だと? いくら鏡面だからと言って、この私の魔法を――」

『那由多! 魔法を止めろっ!』


 征示の叫びに那由多は一瞬の躊躇もなく彼の言う通りにした。

 光が消え去る直前、それは徐々に反射の角度を鈍角から鋭角へと変じていた。後少し遅ければ那由多は自らの魔法に焼かれていたかもしれない。


「くっ、俺の炎も効果が薄いか」


 炎の渦から這い出てくる人形の姿を見て火斂が呟く。

 少なくとも見た目には彼の魔法の影響は見られなかった。


「魔導人形師アンナ……人形を生み出すという特性から考えて土属性なのだろうが、私の光や火斂の炎でびくともしない装甲を生み出すとは――」

「魔導師としての実力も相当のもの、ってことですか」


 那由多の言葉を引き継ぐように火斂が忌々しげに続ける。

 端的に言えば、土属性の魔法はエネルギーを固体に変えるものだ。理論上は、レアメタルや現在の科学技術では生成が難しい物質も作り出すことができる。

 ただし、あくまでも理論上の話であって魔法としてまだ確立できていない組成の物質は基本的に生成不可能だし、ましてや未知の物質を個人で生み出すなど言わずもがなだ。

 しかし、この人形の装甲は明らかに既存の科学で知られた物質とも異なるものとしか思えない。

 那由多の光を反射し、火斂の炎に耐え、そして――。


〈嵐撃破〉テンペストストロークッ!」


 人形の間際に突如として旋風が姿を現し、風の刃を纏った拳を叩き込む。

 恐ろしい程の衝撃音と共に人形は数メートル吹っ飛ばされるが、しかし、即座に起き上がったそれには旋風の攻撃の跡は見られない。


「いっつつ……」


 むしろ旋風が右手に走る痛みに顔を歪めていた。

 ほぼ減衰なく光を反射し、耐熱性が高く、さらに衝撃に強い。そのような物質を人間程の大きさを持つ人形の装甲に使用できる程生産する。

 魔導人形師アンナは明らかに常識的な魔導師の範疇にはない。


「気をつけろ! 様子がおかしいぞ!」


 火斂の叫びに人形を注視すると、それは人間のように意思を持って右手を掲げていた。


『奔れ、くろがね。〈die zahllose Stähle〉』


 そして、発せられたのは幼げな女の子の声だった。と水瀬が認識した次の瞬間には、無数の刃が人形の周囲に発生し――。


「人形を操りながら、さらに魔法を!?」


 那由多の驚愕を合図に刃がその場から忽然と姿を消す。超高速で移動したのだ。


「くっ、水瀬君!」


 誰もが反応できずにいる中、那由多の声だけが耳に届き、だから水瀬はその複数の刃全てが自分を狙って放たれたことを知った。

 知りながら、もはや体を強張らせることすらもできなかった。


〈硬拳〉ソリッドフィスト!」


 目を閉じる間もない刹那の中、眼前に何かが躍り出る。

 次いで連続する金属音。それと同じ数だけ地面を叩く何かの音。その全てが止まり、静寂が戻って初めて水瀬は目の前の人物が何者か気づいた。


「た、玉祈先輩?」

「大丈夫か?」


 振り返らず人形を注視し、構えを取ったまま征示が尋ねてくる。彼の両腕は宝石のような輝きを帯びた鉱石によって覆われていた。


「は、はい」

「征示、また来るぞ!」


 火斂の叫びに征示の構えに力が入る。そのまま間髪容れずに人形から放たれた刃を、征示は滑らかな動きで全て叩き落した。


「す、凄い」

「これぐらいで驚くな。敵はまだ健在だぞ」


 征示の冷静な言葉に思わず俯いてしまった水瀬を尻目に、彼は再び口を開く。


「この刃。あの装甲と同じ材質だな。……このままではジリ貧か」


 言われ、改めて地面に落ちたそれを見ると、確かに表面が鏡のようになっていた。

 これでは那由多や火斂の魔法は効果がないだろうし、旋風でも精々軌道を逸らすぐらいしかできないだろう。


「仕方ない。魔力を惜しむ状況じゃないな」


 そう小さく呟いた瞬間、征示の中で巨大な魔力が励起した。


「『其は風と共に走り、全てを削り取るもの』土風二元連関〈砂塵、鋼を粗す〉サンドブラスト!」


 そして、右手を振りかざし、魔法が発動する。

 それは一見すると単なる砂嵐だった。しかし、その全ての粒子は意思を持ったように少しも拡散することなく、人形を包み込む。


「那由多、撃て!」

「承知した! 〈収斂しゅうれん極天光きょくてんこう〉!」


 那由多の言葉と共に再度発現する光の柱。その時には砂嵐は射線を遮らないように上空に移動し、その場に留まっていた。


(で、でも、また反射されるだけじゃ――)


 そんな水瀬の予想を裏切り、収束された光は人形の体を斜めに両断する。


「ど、どうして?」

「成程。サンドブラスト、研磨剤を吹き飛ばして対象を削る加工法の名。それを魔法で再現した訳か。端的に言えば、鏡面仕上げを粗しに粗した、というところだな」


 つまりピカピカの金属表面を特殊なヤスリで削ったような状態か。

 そうなれば光が反射する際の減衰が極めて大きくなる。即ちエネルギーがより多く対象に伝わるようになり、光によって溶断することができた訳だ。

 真っ二つにされて地面に転がる人形に視線を移す。確かに鏡のようだった表面はくすんで輝きを失っていた。


『……今日の遊びはおしまい。〈Das Spiel ist aus〉』


 そう再び人形から幼い女の子の声、恐らく魔導人形師アンナの声が響き、空間に溶け込むように無惨な人形の姿が消えていく。どうやら撤退したらしい。


「ふう……何とか、なったか」


 征示は緊張を解いて呟き、右手を一薙ぎした。

 それを合図に、両腕を覆う鉱石と共に上空で待機していた砂塵が消滅する。


「もお、先輩、ええとこで出てくるんやから。役者やわあ」

「全くだ。最初から征示があの魔法を使ってれば楽勝だったんじゃないのか?」


 旋風と火斂の言葉に征示は疲れたように顔を横に振った。


「そういう訳にもいかないだろ? 相手の特性を的確に判断して最適な魔法を使わなければ、俺はすぐに魔力が切れる。事実、もう土属性の魔力は空っぽだ。正直、引いてくれて助かった。俺はあれ以上戦えなかったからな。何か次の手があったら……」

「そ、そうか。じゃあ、薄氷の勝利だった訳だな」

「ああ。……やはり俺達には純粋な破壊力が不足している。あるいは別の力で補うべきか」


 そう深刻そうに告げた征示に視線を向けられ、水瀬は思わず顔を伏せてしまった。

 今の段階で〈リントヴルム〉が必要としている要素を何一つ備えておらず、戦闘でも全く貢献できず、むしろお荷物になってしまっていた自分を恥じて。

 罵声の一つも浴びせられて当たり前だろう。


「……水瀬、まあ、気にするな。初陣だから仕方がない」


 しかし、征示の口から出たのは気遣うような言葉で、だから、周囲の面々は少しばかり微妙な表情を浮かべていた。

 強い弱い以前に魔法の一つも放てなかったのだから、むしろ他の隊員達の反応の方が普通だ。と言うより、彼らでさえ過剰な程優しいと思う。


「泥水水瀬」


 その呼び名にハッとして顔を上げる。

 その蔑称を口に出したのは、今しがたフォローしてくれた征示その人だった。


「一年ではそう呼ばれているそうだな。だけどな、水瀬」


 彼はゆっくりと近づいてきて、水瀬の肩に手を置いた。


「こと魔法において泥水が純水より弱い道理もない。君は使い方を間違えているだけだ」

「先、輩?」

「海保水瀬。今日の放課後から魔法の特訓をするぞ」

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