第7話 朗読

 双子の家には本がたくさんある。二人の両親が読書家だからだ。

 もっと言うと、双子の両親は父親も母親も小説家だ。何かの受賞パーティで知り合ってから創作論で意気投合して交際を始めたらしい。

 したがって二人とも家にいることが多いのだが、二人とも執筆に夢中になると家事が疎かになるタイプで、双子は時々放置されていた。それで神那が中学生になるまでは専業主婦だった神那の母親にフォローしてもらっていたのである。


 蛙の子は蛙だ。双子もよく本を読む。ただし、年相応に絵本、児童書、大衆文学と成長してきた神那とは異なり、明らかに親の創作資料である軍事史の学術書や世界の貧困ルポルタージュなどを熱心に読んでいる。


 参考書を買いに町で一番大きな本屋に行ったら、分厚い単行本が平積みにされていた。双子の母親が新刊を出したらしい。神那は彼女が書くどろどろとした人間関係がわりと好きだったし、隣人でたまに世話になっている人の書いたものというのが特別なもののように思われたので、迷わず購入した。


 ――という話を、本屋の帰りに双子の家に上がり込んで、リビングのソファで二人横に並んでソシャゲをしている双子に語り聞かせると、双子が揃って嫌そうな顔をした。


「神那ちゃんが母さんの本が好きなのは、神那ちゃんとああいうどろっとした世界が無縁だからだよ」


 双子の片割れが唇を尖らせる。


「怖いもの見たさだよ。他人事でしょ」


 言われてみればそうかもしれない。学校の友達ともそこそこうまくやっており、両親や年の離れた兄や姉ともそこそこ会話が弾む神那に、嫉妬や憎悪が渦巻く双子の母親の創作世界はまるで異世界の話で、フィクションとしてとても面白いと思っていた。


 つい、心配になって聞いてしまった。


「双子にとっては、身近な話……?」


 即答だった。


「いやぜんぜん」

「僕ら基本的に相方と神那ちゃんとしか深く交流してないし」

「あと僕らひとを憎むという感情がないので。ひとを殺したくなるほど恨む心境が分からないから感情移入できない」

「小説でミステリっていうと完全にフィクションって感じの本格ミステリしか読まないな。そもそも小説あんまり読まないけど」


 神那は一瞬胸を撫で下ろしたが、自分の母親のことなのにここまで興味がないのもどうなのか。


「欲しかったら献本あげたのに。同じ本確か十冊くらいあったよ。今も三冊は残ってるんじゃないの。近々古本屋に売ったら新刊だからそこそこの高値がつくのでは」

「あんたたちおばさんに何の恨みがあってそんなこと……」


 たぶんただの反抗期である。双子の母親の育児は若干手抜きだが神那の目からすれば毒親というほどでもない。


 神那は溜息をついて買ってきた単行本を抱き締めた。


「面白いと思うんだけどなぁ、自分のお母さんが小説家って。めったにない職業でしょ。すっごく、すっごくすっごく特別なことだと思うんだけど。うちはお父さんがサラリーマンの営業マンでお母さんは学校事務のフルタイムパートだよ。もう、どこにでもいる、平々凡々って感じだよ。だから、両親ともひとには見えない新しい世界を表現できる人なんだって、すごい能力だな、才能なんだな、って私いつも思ってるんだけどな」


 双子が揃って首を傾げた。


「僕らは神那ちゃんのお母さんの方がうらやましいけどね」

「そう?」

「僕らが小学校の時さ――」


 神那はすっかり忘れていた。


「神那ちゃんのお母さん、学校に朗読のボランティアに来てたでしょ」


 神那と双子が通っていた小学校では、年に一度、学活の時間に朗読会が行なわれていたのだ。小学校一年生と二年生は紙芝居、三年生と四年生は児童書、五年生と六年生は短編小説――神那の母親とその主婦仲間たちがボランティアで本を読み聞かせていたのである。


 それはちょっとした演劇でもあったので、聞いている神那は恥ずかしかった。いつもよりオーバーリアクションの母親を見るのがつらかったのだ。周りの同級生に神那ちゃんのお母さんでしょと言われるのも嫌だった。幼稚園くらいの時までは母親に寝物語にいろんな話を聞かせてもらうのが習慣だったというのに、小学校の朗読会で母親が何の本を読んでいたのかは憶えていない。


 しかし双子はそれが好きだったという。


「うち、変な本多いでしょ。極端から極端。絵本はたくさん買ってくれたけどその次が一足飛びで国際テロ組織犯罪小説だのイヤミスだの。ぜんぜん子供向けじゃなかった」

「だから僕らも児童書を読むという習慣がなくて」

「でも朗読会をきっかけに学校の図書室に通うようになったんだよね」

「それもこれも全部――」


 神那は顔が真っ赤になるのを感じた。


「神那ちゃんのお母さんのおかげ」


 その時だ。


「神那ちゃーん! いらっしゃーい!」


 噂をすれば双子の母親だ。彼女は相変わらずのジャージにヘアバンドで、今の今まで夢中で執筆していたのが分かる恰好だった。


「ごめんねぇ、ちょっと手が離せなくって。おやつ食べる? 神那ちゃんも高校生で食べ盛りだからうちで何か食べてもおうちで夕飯食べられるでしょ」

「あ、いえ、いいんですけど。それよりおばさん、本買ったからサインをください」

「えっ、本当に? ありがとう! 今回のはあんまり高校生に読ませたい内容じゃないんだけど、まあ十代って刺激の強いもの欲しくなっちゃう年頃だよね」


 双子が「サイン書いたら汚損で古本屋に売れないよ」と声を揃えた。双子の母親が「売るの前提で話をするんじゃない!」と少し大きな声で双子を叱りつけた。






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