第20話 チャリで来た



 部屋に入ると、そのままベッドに倒れこんだ。


 ……。


 はっ!


 このままではいかん。枕元の目覚ましを全てセットし、携帯電話のアラームもオンにする。これでよし…。


 ……もう…うごけん。


 ……。


 ……。




 話は、十時間前にさかのぼる。いつもの日課、真奈美さんの付き添いを終えた午後二時ごろのことだ。ハッピー橋本から電話があった。


「よう、二宮。今日、花火大会あるから行こうぜ」


花火大会か。花火なら入場料がかかるわけでもない。食事代だけで楽しめる。悪銭が身につかなかった俺には、願ったり叶ったりの誘いだ。


「わかった。夜にな」


「なに言ってんだ、今から行くぞ」


「今から?」


 つまり、こういうことだ。


 確かに、花火大会は夜だ。だが、会場になっている沼まで行くには、ここから電車で往復千円ちょいかかる。千円というのは、高校生の俺たちにはけっして少なくない金額だ。だから自転車で行こう。そうすれば無料だ。今は暑いけれど、夕方から夜になれば涼しくなるから、自転車だって大丈夫だ。


 俺たちは冴えてる。


◆◆◆◆


「あっちー」


出発から一時間半で上野が音をあげはじめる。


「飲み物買っていいか?」


「まだ、がまんしろよ。近くについてからみんなで二リットルのボトル買おうぜ。コスパ悪い」


ハッピー橋本がそれを許さない。


 俺は、そろそろコメントもしたくない。真夏の午後二時からの一時間半は、じわじわと体力を奪っていく。アスファルトからの照り返しで、遠くに逃げ水が見える。ひたすらママチャリをこぐ。


 上野の自転車だけ、すこしかっこいい。だが間違っている。マウンテンバイクなんか買ったお前はアホだ。その凸凹のタイヤはママチャリより大変なんだぞ。


 午後四時半。ようやく会場に到着する。花火大会は七時からだが、早くも屋台が出てる。少し高くなった土手に、陣取り、途中のスーパーで買ったペットボトルとポテチをつまむ。二リットルのボトルは一瞬で空だ。


「じゃーんけーん。ぽんっ」


「あいこでぇーせっ!」


「せっ!」


「せっ!」


「うあぁぁー」


ほら上野。お前、スーパーまで行って来い。俺らは動かんぞ。


 正直、動きたくない。ちかれた。


 そう。俺たちは冴えていた。発想よし。だが、検証能力悪し。電車だって無意味に運賃を取っているわけではないのだ。往復千円は往復八十キロを意味する。片道四十キロだ。四十キロという距離は、自転車だって楽じゃない。


 とはいえ、花火が始まってしまえばなかなかの見ものだ。


 周りに、浴衣の女の子がちらほら見えるのもいい。


「お前さぁ、あそこの三人なら誰よ」


「一番右かな」


「お、俺も俺も」


「俺も」


「圧倒的にあれだよなー」


 女の子と遊ぶのもいいが、こういうときは意外と男だけの方が楽しかったりする。


「浴衣だとさ」


「やっぱあれが気になるよな」


「下着つけてないとか、ラノベとエロゲの中だけの話かな」


「でもすっげー注目してもブラの気配が感じられなくね?あの子とか」


「あ、俺も思ってた」


「だよなぁー」


「聞いてみてぇ…じゅる」


「おまわりさん、この人です」


「なにかね?」


「うわぁー!な、なんでもありません。冗談です!」


「冗談で呼び止めないように」


「はい。気をつけます」


「びびったぁあっ」


「こういうイベントのときってお巡りさんいるよな」


「だよな」


「おめえ、洒落にならねーよ。やめろ」


 楽しく、女の子を見たり花火を見たり。花火を見上げてる女の子って警戒心緩んでるよね。浴衣の胸元がどうのこうのって話したりして、すっかり男子会である。


 楽しかった。


 しかし、帰りである。


 四十キロ走ってきた道のりは、帰りも四十キロである。


 そして、花火会場は沼である。沼とは土地の低いところに水が溜まったものである。


 聡い皆様なら分かったと思う。


 つまり、上り坂が多いんだよ。


「……」


「……」


「……」


三人とも無言の帰路である。


 くっそ。ハッピー橋本のママチャリは、LEDライトで重くない発電機が付いてやがる。こっちは母親のを借り出してきたから、豆電球だ。ぎゅぅんぎゅぅん、って音が苦しげだ。感覚的にも重い気がする。上野のも電池式のライトだ。しかし、だんだんライトが暗くなってきてるぞ上野。大丈夫か。そういえば、母さんが五月ごろに電動アシスト自転車を欲しがっていたのを思い出す。父さんが買ってやっていれば今頃…。くそ。実は夫婦仲わるいんじゃねーか。電動アシスト自転車くらい買ってやれよ。


 周りは真っ暗だ。


 あぶない。


 これ以上、国道の車道を走るのは危険すぎる。トラックが多いし、トラックも自転車が走っているとは思わないらしく、ひやりとする場面が増えてきた。


 歩道に上がる。


 歩道は車道の倍くらい凸凹してる。さらに、真夏である。脇の茂みからはみ出た草がトラップのように顔に当たってくる。自治体と国は、歩道を広くして平らな自転車用レーンを作るべきだ。コンクリートから人とか言うな。まず、歩道をきれいにしろ。今すぐ。そこのマンホールが盛り上がってるの直せ。あぶない。


「くっそ。税金泥棒どもめ」


上野も同じことを考えていた様子だ。俺たちはビジョンを共有できてる。




 二人と別れて、ようやく自宅に帰りついたのが午後十一時というわけだ。


 シャワーも浴びずに、部屋に戻ったらばたんきゅー。


 そして、冒頭の状態。


 それにしても、あれだけの距離の移動手段をたった千円で提供してくれる鉄道のすばらしさよ…。鉄道ってすげえなぁ。


◆◆◆◆


 びーっびーっびーっ。


 んがっ!


 目覚まし鳴った。んあ?あれ?ちがう、携帯だ。アラームかと思ったら《着信》って出てる。


 びーっびーっびーっ。着信。公衆電話。公衆電話?どこの阿呆だ…。ふざけんな。


 びーっびーっびーっ。あきらめろよ。出ないから。


 びーっびーっびーっ。分かったよ。出るよ。もー。


「ふぁい?」


「……あ…な、なお…とく…」


「真奈美さん?!」


何時だ?枕元の複数の目覚ましを見る。一時十七分?


「…あの…」


「…どうした?」


「…あの…く、来るときは…で、電話しろ…って…」


思い出した。以前、夜中に真奈美さんが家出して歩いて来た時に、そう言ったっけ。まさか、真夜中に女の子を一人で歩かせるわけにもいかない。二度とやるなって意味をこめて、そう言ったっけ。まさか。


「い、今、どこにいるの?」


すごくいやな予感がする。


「え、駅…う、うちの近くの…。で、でも電車なくて」


駅までは、一人で歩けるようになってるもんね。昼間でも。


「うちに帰って寝たほうがいいよ」


「……ね…寝れ…なくて。な、なおとくん…ち、近くにい…」


ぶつっ。


 電話が切れた。ワンコイン分の通話時間が終わったんだ。幸か不幸か、ばたんきゅーしてたから外に出れる服を着ていた。


 自転車にまたがる。


 勘弁してくれ!悲鳴をあげる太ももに喝を入れて、ペダルを踏みつける。一番下まで踏み切ったら、後ろに蹴り上げるようにペダルを押す。こうすると平均速度が上がる。


 幸い道路は誰もいない。全速力。


 線路に沿って走る道を走る。走る。


 信号は全部無視だ。律儀に止まってられるか。


 二十分後…シャッターを下ろした隣の駅が見えてくる。


「真奈美さ…ん!ど…こだ!」


駅前のロータリーに入ると同時に声をあげる。タクシーの運ちゃんが、なにごとかとこっちを見る。


 駅の近く。少し離れた酒屋の前、自動販売機の横で動くものを見つける。


 見つけた。


 自転車の向きを変えて、そっちに向かう。


 しゃがみこんでいたジャージ姿の真奈美さんが立ち上がるところだった。


「…な、なおと…く」


がしっ。


 わぁっ。


 抱きつかれた。ぎゅー。


 がしゃん。


 スタンドをかけそこねた自転車が道端に転がる。


 ぎゅううううーっ。


 ちょ、ちょっとまって。息が切れてるところにそれは、息が出来ないから。


 全速力で自転車を漕いで来て、急に止まったからか汗が吹き出る。


 めまいがして、抱きつかれたままへたり込んでしまう。


「ちょ…まな…みさん」


それでも、真奈美さんは離してくれない。


 ぐええ。


 もう、いいや。


 そのまま、シャッターの降りたコーヒーショップの軒先に転がってしまう。真奈美さんも一緒に。


 二十分、自転車を飛ばしてきた俺の体はヘモグロビンを求めている。


 どっ!どっ!どっ!どっ!どっ!


 頭まで脈打ってるのが分かる。心臓、全開なう。


 暑いよ。汗がだばだば出る。


 ……。


 そのまま、しばし身動きもできない。


 ……。


「…無事でよかったよ…」


本当にもう…。この引きこもり娘は…。いいかげんにしてくれ。


 暑いけど、相変わらず真奈美さんの抱きつきは心地いいな。もう少し力を弱めてくれると、もっといいんだけど。


 あ。


 そうだった。美沙ちゃんに真奈美さんの抱きつきを喜ぶのは禁じられているんだった。姉妹で仲良すぎるだろう。俺に嫉妬することないのに…。


 そっと、真奈美さんを引き剥がしつつ、起き上がる。


「真奈美さん」


「な…おと…くん」


「できれば、家から電話してくれないかな。電車終わってから来るの大変だから」


「…なお…と…くん」


なんで泣く?


 泣かれると、男の『どうしよう遺伝子』がパニックを引き起こすんだが…。


「はいはい。大丈夫だからね」


意外と冷静に対処できるようになってきたな。


 真奈美さんを立ち上がらせ、放り出してあった自転車も起こす。


「後ろ、乗って…。とりあえず、真奈美さんの家に行こう」


「…うん」


ぎゅっ。


 自転車の二人乗りなら抱きつきも正しい。


 重い。太ももが、もう限界だ。つーか限界オーバーだ。


 それでも、なんとか市瀬家までたどり着く。何時なんだろう。もう二時過ぎてる気がする。シンと静まり返った住宅街と、明かりの全部消えた市瀬宅はぜんぜん知らない場所のようだ。


 こんな夜中によそのお宅にあがりこんでいいのか。というか、美沙ちゃんの家でもあるんだぞ。美沙ちゃんが、この中でパジャマ姿でベッドで可愛い寝息を立てているんだぞ…。《いいね!なんだか、こうふんしてきたよ!》


 自分の中のやばさが目を覚ます。いかん!そっちは犯罪への道だ!ダメ!絶対!


「……な…おと…ん…あの…ね」


夜中の静寂の中でも、聞き取りづらいほどの小声で真奈美さんが言う。


 もう、いいわ。どーにでもなれ。思考能力が落ちて、先々のことがあまり考えられなくなってきた。でも、この時間に女の子の部屋に忍ぶわけにはいかないってことだけは分かる。


「この時間に、お邪魔するわけには行かないし、まして真奈美さんの部屋に朝までなんていられないよ」


「……そ、そうだよ…ね…で、でも…」


泣くなって。なんだか泣き上戸になってないかな。


「庭に、いるからさ」


「…え…」


「真奈美さんの部屋の窓の下にいるから」


幸い、熱帯夜。外でも寒くはない。たぶん、そこが許される限り、一番真奈美さんの部屋に近い場所だ。


「……」


「だから、真奈美さんは部屋で安心して寝てていいよ」


俺は近くにいることだけはできる。


「つーことで。ね」


「…うん…」


真奈美さんが家に入る。俺は、そっと気配を消して、庭に移動。


 真奈美さんの部屋の明かりがついて、真奈美さんが顔を出す。


 真下から見上げると、いつもは前髪で隠れている顔が見えた。作り物のような、シンメトリーの顔。切れ長の二重まぶた。鳶色の瞳。桜色の唇。すっと伸びた鼻筋。セルロイドのような真っ白な肌。もれてくる街灯の明かりと部屋の明かりが影を落とす、その顔は現実味がない。これがCGだったらリアルさに欠けると評されるかもしれない。人間味のないほどの整った顔。表情もない。


 その目で、俺を見る。


「おやすみ」


口だけ動かして、そう言う。


「おやすみなさい」


桜色の薄い唇がそう動いて、中に引っ込む。


 明かりが消える。


 庭に張り出した縁側だけ、ちょっと借りることにする。驚かさないように、美沙ちゃんに事情を説明するメールを送っておく。着信音で起こしちゃったら、ごめん。


 それにしても、脚が…。


 脚が限界だ…。




 ……。


 ……。




 俺は…。


 死んだのか?




 ああ、死んだんだ。これが、過労死というやつか。


 だとしたら、過労死も悪くない。


 なにせ、天使がこんなに近くにいる。




「お兄さん。起きれます?」


違った。


 美沙ちゃんだった。


 美沙ちゃん、まじ天使。


 すずめが鳴いている。


 なんで俺、美沙ちゃんに膝枕されて目を覚ましてるの?


 やっぱり死んだんじゃないか?


 死ぬ前に、都合のいい夢の世界に入っているんじゃね?


「昨日は、お姉ちゃんがホントにごめんなさい」


え?なんのこと。


 そんなことより。この頭の下の美沙ちゃんの脚の感触の素晴らしさよ。寝起きという状態も手伝って、一部分がじわじわたいへんなことになってきた。美沙ちゃんの前でこれ以上はやばい。


「ん。だ、大丈夫」


後ろ髪を引かれる思いで体を起こす。


 痛ぇ。


 全身が筋肉痛だ。脚が特にハンパない。


 思い出した。


 昨日、橋本たちとバカな計画で脚を酷使したあと、真奈美さんが夜中に出歩いたから自転車でここに来たんだった。


 死んでなかったよ。


 美沙ちゃんが天使なのは、まじ天使だけど。今朝もかわいいなぁ。


「何時?」


「八時です」


「じゃあ、真奈美さんをつれて学校に行かないと…」


起き上がって、眠気覚ましに伸びをする。背中も痛い。昨日、縁側で寝たせいでもある。


「大丈夫ですか?」


あんまり大丈夫じゃない。立ち上がると膝から崩れ落ちそうだ。


 よたよた。


 歩くのって、大変だよねー。


 今朝の俺は、アシモより歩くのがヘタだ。


「お兄さん、いくらなんでも体力なさすぎ」


「昨日は、自転車で花火大会まで行ったんだ」


「馬頭沼のですか?」


「ああ」


「信じらんない。お兄さんバカですか?」


俺も信じられないバカだと思う。美沙ちゃんにたまに罵られるのもいいね。レベル99とか言われちゃうな。


「ちょうど良かったです」


「?」


「遅くもなっちゃったし、お母さんからタクシー代もらったんで、タクシーで行っちゃいましょう」


それは、真奈美さんの引きこもりリハビリからすると、あまり良くない気がする。でも、俺も今日は甘えたい気分だ。


 そして、タクシー代というのは十キロほどの距離を二千円以上かかるものだった。やっぱり電車ってすごいね。鉄道最強。






(つづく)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る