24 タツミくん、照れる


 タツミはもくもくと針を刺している。


 時折困るとクヅキに聞いたり、手伝ってもらって糸を変えたりするものの、ほとんど無駄口もたたかずに取り組んだ。

 それほど熱中していた。


 ただ、その作業スピードはあんまり早くない。

 途中昼ご飯をはさんで数時間を費やしているのに、小さな布の半分も終わっていない。


 それにしても、よくもまぁ飽きずに単調な作業を続けられるものである。さすがにクヅキも感心した。


「タツミ。おい、タツミ」


 名前を呼んでもなかなか気づかない。

 針を使っているときに肩でも叩いて驚かせても危ない。


「ターツーミ!」


「えっ。は、はい!」


 やっと気づいた。

 タツミが目を丸くして顔をあげる。


「お前、ずっと同じ姿勢でやってると体おかしくなるぞ。針置いて、立ったり腕回したりしろ」


「あ、はい」


 タツミが針をどこに置こうかときょろきょろする。

 クヅキは針山を押しやってやった。


「あ、すみません」


 針から手を離し、タツミは思いっきり伸びをした。

 言われてみれば、確かにちょっと凝り固まっていたようだ。

 伸びた節々が軋んで痛気持ちいい。


「むうー」


 腰に手をあて立ったまま、タツミは出来上がりつつある図柄を見下ろした。


 タツミとしても、なんだか少し不思議な感じだ。

 昨日のミシンは分かりやすく面白かった。

 刺繍は面白い、という感じではない。でも続けることに苦もない。


 タツミが椅子に座り直す。枠から布を外し……刺したままの糸を引っかけて慌てた。針山ごと枠を通してなんとか外す。

 布を広げてみた。


 まだまだだけど、着実に進んでいる。

 線の上をずれずに縫っているつもりなのだが。こうしてみると、なんとなく糸の並びがえごえご歪んでいる。


「……クヅキさん」


「ん?」


「なんでまっすぐにならないんですかね?」


 クヅキは一緒に布を覗き込んだ。


「そうだな。針を刺す角度がぶれてるんじゃないか」


「角度?」


「布へ斜めに刺すか、まっすぐ刺すかで微妙に変わる」


「むう。難しいですね」


 そんなことタツミは微塵も気にしていなかった。


 クヅキはタツミの糸目を一つずつ指でなぞる。


「でも、言うほどずれてないし、揃ってるし」


 きっちり下図のうえを一定の長さで刺している。


「タツミお前、意外と器用だな」


「え、そうですか?」


 タツミはあまり器用だと評されたことはない。むしろ。


「どっちかっていうと、俺、不器用だって言われるんですけど」


「そうか? 不器用にこれはできないぞ」


 タツミはちょっと考えた。本当にこんな簡単な作業で器用だとか言ってもらっていいんだろうか。


「あーでも。あれですね。これ、魔力とか考えなくていいから、それが楽です」


 タツミは魔力の操作が苦手だ。たとえ魔術でなくても、機械や道具に量や方向を調整して魔力を流すとかが上手くない。


「ああ。お前、指先は器用なんだな。でも魔力が不器用で、世間じゃ役に立たない器用なのな」


「……役に立たない、器用」


 それでは意味がない。


「いいじゃないか。うちでは役に立つんだから」


「役に立つ」


 それなら良いかもしれない。


「あー、でも。俺、もう少し早くできないと、ダメですね」


 役に立つと褒められて、照れたタツミは言った。

 自分の刺繍速度がのろいという自覚はある。なんせ隣でクヅキがさくさくと針を進めている。


「別にダメじゃない。ま、時給じゃないから、お前はきついだろうけど」


「……ですよね」


 ちゃんと稼ぐことを考えたら、やっぱりタツミのスピードは遅すぎる。


 しょんぼりするタツミを見て、クヅキは考え、そして言った。


「でも、お前はまだ刺繍初日だからな。早さなんて技術と一緒にだんだん身に付く。それより、最初は丁寧にできることの方が重要だ。丁寧さは後から身に付かないし、むしろ慣れと同時に減ってくからな」


 クヅキにまっすぐ見つめられ、タツミはどぎまぎする。

 クヅキが笑う。


「これだけ丁寧に刺せるお前は刺繍師に向いてる。良かったな、タツミ」


 言葉で説明できないなにかが込み上げてきて、タツミは下を向いた。

 こらえていないと鼻と目からなにかが出そうだ。


 たとえクヅキに期待されていなくても、タツミは全力で頑張ろうと思う。そしていつか期待されるようになりたい。

 タツミの目標は残念な感じに低かった。


「……クヅキさん、あの、俺、なんか他の縫い方とかも、教えてほしいんですけど」


「さすがにランニングステッチだけじゃ飽きたか?」


「飽きた、っていうか。今なら覚えられる気がするっていうか」


 タツミなりのやる気である。


「あー。じゃあ、バックステッチ教えたる」


 これも基本の刺し方で、細い一本線のようになる。


 クヅキが二、三針やって見せ、タツミに渡す。

 タツミはひとつひとつをクヅキに確認しながら針を進めた。そうしてようやく一針さして、息をつく。


「……今のでできてます?」


「うん、できてる」


「じゃあ、こっからはこのくっついてる縫い方したらいいですか? 途中で急に変わることになっちゃいますけど」


 タツミは刺し方の名前を覚えられていないらしい。


「いいよ、練習だし。ランニングステッチさっきやったやつバックステッチ今やったやつと、適当に交互に練習しろ」


 大きく頷いて、タツミがまた刺繍に取り組み始める。

 その手つきはひどくゆっくりとしているが、しかし覚束ないというわけではない。


 それを黙って見守りながら、クヅキは急く自分を抑えていた。


 刺繍のこととなると、ついあれもこれも教えたくなってしまう。それではタツミが潰れてしまう。

 なにをどのぐらい教えればタツミはできるのか。手探りだ。


 かといって、このペースで基礎から順番に教えていたら、タツミは当分稼げない。

 ともかくまずは最低限の知識と技術で少しでも仕事ができるようにしてやりたい。


 タツミは自分のことを無能だと言う。

 魔力が少ないからだろうか、とクヅキは考える。

 確かに魔力がないとできないことは多い。それで無能だと言われるなら、クヅキは無能以下のなにかだ。


 クヅキがいくらタツミに無能じゃないと言ったところで強がりにしかならないだろう。


「あの、クヅキさん」


 タツミに呼ばれた。


「うん。どした?」


「あ、すみません、刺繍のことじゃないんですけど。俺、ちょっと気になってて」


「うん、なにが?」


 話しながらもタツミは作業の手をちゃんと動かしている。非常に遅いが。


「あの、ここの工房、名前って、なんですか?」


 うっかり雇われ働き初めて二日。あまりにも今さらな質問で、聞くタツミも恥ずかしい。

 なぜ最初に聞いていないのか。自分はどこに就職したのか。


「工房の名前? 特にないが」


「……え?」


「え?」


 お互い手元を見ているので、相手がどんな顔をしてるのかは見えていない。


「名前、ないんですか?」


「ないです」


「え、でも、それ。え? だって、お客さんとかになんて呼ばれてるんですか、ここ」


「なんてて。別に。ただ、“工房”って」


 名前もなしに商売してるのか。大丈夫か。


「だって、うち闇工房だし」


「そういう、そういう問題ですか?」


 んー、とクヅキの考え込む気配がする。


「でも。名前なんかあったって、大っぴらに広告打てるでもなし。意味ないだろ」


「それは、そうかもですけど。他の工房と分かんなくなっちゃいませんか?」


「その方が足つかないし。捕まりにくくていいんじゃないか」


 そういうものなんだろうか。すべからく闇工房というのは名無しなのか。

 タツミは裏社会の事情などよく知らないが、そんなことはないだろうと思う。


「大丈夫だ。ノーブランドでも余所にうちの真似は絶対できないから」


 それは自信ではない。確信がクヅキにはある。


「ただ、それは魔導紋のはなしだからな。デザインはブロッサので、本当はちゃんと守らないといけないんだけど」


 でも工房にも紋衣にもブロッサの名前は出していない。出すことはできない。


「え、なんでですか?」


「闇業者のキャリアなんてキズにしかならないだろ」


 ブロッサ本人は気にしないと言う。でも、少しでも表社会で仕事をできなくなるリスクがあるのなら避けるべきだとクヅキは思う。


「タツミもよくよく気をつけろよ。いつでも戻れるように、あんま裏社会に深入りするな」


 タツミの手が止まる。上げた顔は驚いている。


「…………」


 でも言葉になっては出てこなかった。

 深入りするなというクヅキの忠告は、たぶん正しい。しかし、長く工房ここにいるなと言われたようで、タツミは動揺した。


 クヅキは刺繍を続けていてタツミを見ていない。


「でも、俺、あの、まだ入ったばっかだし、だから、まだ」


「ああ、大丈夫だ。うちは闇業者だけど、別にヤクザでもないし。ここで仕事してるだけならそうそう捕まらないから」


 違う。クヅキが考えているのは、タツミが思っているのと違う。

 タツミは犯罪者になることや裏社会から出られなくなることを心配しているのではない。

 タツミはやっと見つけた居場所を失うが怖い。


「俺、働きたい、です。ずっと、は無理でも、できるだけ、ここで」


 クヅキの手も止まる。

 ちらりとタツミを見た。


「……うん。俺もタツミにいてほしい。できるだけ」


 クヅキは視線を戻して仕事を再開する。


「でも、これだけは覚えとけ。ここは闇工房、正規の店じゃあない。ある日挙げられて消える、かもしれない」


 タツミは息を吸い込んで固まった。


「大丈夫、心配するな。俺がお前をちゃんと一人前の刺繍師に仕込んでやるよ。そうすれば、ここじゃなくても仕事ができる」


 タツミは小さくうなずいた。

 ただ、よく分からないもやもやが込み上げる。


 稼げさえすればどこでもいい。タツミはそう思っていたはずだ。なぜもやもやするのだろう。


 タツミはもやもやを懸命に言葉にした。


「でも、俺、ここで働くのが、いいです」


「そだな」


 クヅキが短い息を吐く。それが笑ったのか、ため息だったのか、タツミからは分からない。


「そうできるように頑張る。けど。ごめん、タツミ」


「……なに、が?」


「俺が人間じゃないから、闇でしか店開けないし。ばれたら終わりだから」


「そんな。でも。クヅキさん、人間です」


「はは。ありがと、タツミ。でも、違うから」


 無魔力クヅキがしたいことを自由にできていることが奇跡なのである。


「こうしてられんのは、ライドウの気まぐれみたいなもんだ。ひまつぶしのつもりなんだか、なぜか目つぶってくれてるから、だ」


 ライドウが飽きるか面倒になるかしたら、きっとこの時間はおしまいだろう。


 タツミは眉間にぎゅっとしわを寄せた。

 なんでそんな風にクヅキが言うのか分からない。

 タツミから見たライドウはそんな人ではない。ものすごくクヅキを気づかい大事にしていると思う。タツミには羨ましいほどに。


 タツミの知らないなにかが、二人の間にはあるのだろうか。


「まぁ、あれでライドウは気が長いからな。当分は大丈夫だろ」


 黙り込んだタツミに対してクヅキは言った。


「……クヅキさん。捕まったら、ダメです。絶対」


「うん。気を付けとく」


 クヅキは軽く笑って答える。

 別にタツミは工房がなくなるのを心配して言っているのではない。クヅキが心配なのだ。


 クヅキにそれが伝わっているのかどうか。


「ああ、でも。もし俺が捕まったらさ、金庫の金はみんなで分けろよ」


 クヅキがそんなことを言い出すのでタツミは顔をしかめた。


「……今この話の流れで、そのもしもの話とか、します?」


「いいだろ。もしもは、もしもだ。どうせライドウは金なんて要らないだろうから、あいつにはやらなくていい。モズクは必要だから、ちょっと多目にやって。そんで、残りはお前やブロッサや他の働いてるみんなで山分けにしろ。全員で分けても、当面の生活費ぐらいにはなるだろ」


 縁起でもない、とますますタツミの顔は渋くなる。

 絶対にそんな話を了承したくはない。


「……あの、金庫、いっぱい金が積んでありますよね。俺、目が潰れるかと思いました」


 話を少し逸らした。


「ああ。でも金の延べ棒を積んでるのは、別に金満趣味とかじゃないからな」


「え、そうなんですか?」


 タツミはてっきりそういう趣味なのかと思っていた。だって普通は金を積んだりしない。


「違うわ。……俺じゃ銀行口座開けないし。ライドウも本名の口座を使うと監視されるっつーから、預けられないんだけど。札束って結構場所とるだろ。延べ棒にすれば、ちょっとコンパクトになるからだよ」


「……札束は、場所をとる……」


 延べ棒ならコンパクトとか、タツミには一生言う機会のなさそうな台詞だ。


「でも大した床じゃないから、そのうち抜けて大家に怒られそうだよな」


 頭の上へあの金塊が降ってきたら、間違いなく死ぬ。とんだ死因だ。大家が怒るぐらいで済めばいいが。


 ふいにクヅキが顔をあげてタツミを見た。


「それよりタツミ。手が止まったままだぞ、お前」


「あ、すみません」


 すっかり話に気をとられていた。

 タツミは慌てて練習を再開する。


「でもいいな。隣にだれかいて、話しながら仕事するのも」


 クヅキはにやにやしながら言った。普段は部屋で一人作業することが多い。


「そう、ですね。でも、俺、話しながらだと、もっと遅くなるので」


「タツミが遅くても俺は困らない」


 タツミは困る。



 タツミもクヅキも刺繍とどうでもいい話に没入している。外が暗くなりはじめていることに、まだ二人は気づかない。

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