第8話 施薬院生活の始まり
言われた通り昼まで寝ていようかと思ったけれど、母屋に人が出入りし始めると目が覚めてしまった。
枕元には、琳の医療チートライフを支える鞄と共に、ちゃんと寧楽時代の装束が畳んで置かれていた。麻っぽいしゃりしゃりした素材の布を体に巻き付け、紐で結ぶスタイルだ。シンプルだけど、ワンピースみたいでかわいいかも。
さっそく装束を身に付け、忙しそうに立ち働く人を捕まえてみることにした。猛然とこっちにやって来るあの女の子にしよう……めっちゃ急いでそうだし、顔もキツめな子だけど……うーん、仕方ない。
「あのっ! 香蓮尼さん、どこにいらっしゃいますかね?」
琳は通せんぼするような格好でその子を止めた。琳にぶつかるギリギリのところで、こけそうになりながら止まった彼女は金切り声を上げる。
「ちょっと! 危ないでしょっ!? 馬鹿なの?」
馬鹿なの? ってリアルに言う人初めて見たな、と琳は思う。
「でも、こうしなきゃ止まってくれないかなって」
「は? ……あんた、新人?」
女の子は、上から下までじろりと品定めするように琳を見て、嘲笑うように言った。
「いくら人手が足らないからって、こんなどんくさそうな子雇うなんて、香蓮尼さまも何を考えていらっしゃるんだか――」
うわ、何か感じ悪っ。確かに頭良さそうには見えないかもしれないけど、会ったばっかりでそこまで言われる筋合いなくない?
「香蓮尼さんは私を拾ってくれたんです、悪く言わないでくだ」
「黙んなさいよ」
彼女は勢いよく顔を近づけてきた。琳は驚いて押し黙る。
「だから、もうちょっと使えそうなのを拾えって言ってるだけよ!」
うーん、こういう気の強い子苦手だー。絶対仲良くなれん……別にならなくてもいいんだけど。
「それからあんた、香蓮尼さまを随分気安く呼ぶのね」
「え」
あ、多分身分の高い人なんだろうな、とは思ってたけどやっぱりまずいのかな。
「す、すみません」
「言葉遣いには気をつけなさいよ」
釘を刺しながらも、彼女は
「香蓮尼さまは蔵にいらっしゃると思うわ。蔵で施薬院に入って来る薬草の出納を管理されてるの」
と教えてくれた。あれ、意外とイイやつなの?
「蔵……ってどこですか?」
「外に決まってるでしょ」
また馬鹿なの? って顔されたけど。
いや、それはわかります。この建物の中に蔵があるだろうとはさすがに思わないです。
「自分で探しなさいよ、そんなだだっぴろいわけでもないんだから。あたし暇じゃないのよ」
令和人からしたら、まあまあだだっぴろいんですが。
「はい、ご教示いただきありがとうございます。お忙しいところ呼び止めてすみませんでした」
琳が
「……あ、名前聞くの忘れた」
外に出ると、蔵は案外早く見つかった。いかにも寧楽時代の倉庫っぽい……
ここは母屋と違って人気は少ない。そっと蔵に近づいてみる。
「香蓮尼さん、じゃなくて、香蓮尼さま、いらっしゃいませんか?」
薄暗い蔵の入口から、袋を抱えて出てきた男――というか青年を呼び止めた。
「ああ、蔵ん中にいるよ……あんた、初めて見る顔だな」
「昨日の夜から香蓮尼さまにお世話になってる、坪倉琳といいます!」
「つぼくらりん? 変わった名前だな」
青年は訝し気な顔をした。
「俺は小麻呂」
おお、何か寧楽時代っぽい。
「何だ、琳、もう起きたのかい」
そう言いながら、香蓮尼が蔵の外に出てきた。
朝の明るい光の下で見ても、やっぱりばあちゃんに似ている。
「はい、みんながうろうろし出したら、寝てられなくて」
「じゃあ、ここで薬草の出庫を手伝ってもらおうか。ここに今日必要な薬草の名前と量が書いてある表がある――あんた、字は読めるね?」
琳は香蓮尼の手元の薬草のリストに目をやる。うん、そんなに崩れた文字じゃないから、読めそう。
「はい」
「後でまとめて量るから、とりあえず蔵の外に運んできておくれ」
「わかりました」
要はピッキングのお仕事だな。琳は渡されたリストに改めて目を落とす。
さあ、働こう! と気合を入れた瞬間。
「香蓮尼さまああああああ!」
大声を上げ、さっきの女の子が蔵の方へ駆けてくるではないか。
果たして、彼女は肩で息をしながらこう言った。
「ひ、人が、死んで、るんです」
天平二年のガール・ミーツ・おじさん 鈴乃 @suzu_no
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