春の夜の夢
怒声を浴びることを覚悟して、泉は振り返る。そこに立っていたのは、これまた美形の青年であった。青年は泉の聡明な面差しをまじまじと見つめ、ややあって、ああ、と合点がいったようで
「……そなたが、葛城の神童と名高い、あの……」
と瞠目した。
泉も、そういった反応に対し、別に謙遜はしないのだった。
「泉です」
彼の不遜さをあしらうように青年は言い放つ。
「へえ、かの神童が帝の庭を走り回るような悪童だったとは。しかもひめみこたちを覗き見た上に、だ――ませた子供だな」
「ち、違――」
怒りか恥ずかしさか、その両方か、泉の頬が朱に染まる。
「あっはは、ちょっとからかっただけさ!」
青年は豪快に笑い声を上げた。
「無理もないよ。あんな美人姉妹、都中探したっていないぜ」
美人かつ高貴すぎるのだ。泉は落胆と嫉妬を隠せなかった。彼にはどうあっても手の届かぬひとである。
ひめみこさま。
しかし目の前の青年は「ひめみこたち」と言った。
「あなたは、どなたなのですか」
泉の質問に、青年は肩を竦める。
「……あなたは、ひめみこさまと添う可能性のあるお方でしょう? そしてひめみこさまたちと同じ年頃に見えます。ということは――帝の従兄弟のうち最も……」
泉は口ごもった。
「最も毛並みがいい、だろ」
青年はあけすけに言い、苦笑する。
「そうだろうな、父方も母方も祖父は帝だ」
それを聞いても不思議と、かしこまらなければ、とは思わなかった――思わせない人であった。
「……名は永屋と申す」
「
「そうだ。それじゃあ泉――ひめみこに薬玉を返しに行こうか」
「くすだま?」
泉ははっとして手の中の丸いものを見る。これは、毬ではなかったのか。
「ああ。ひめみこたちが大小様々な薬玉飾りを作っているんだ」
「それは……五月の、節句のために?」
五月には端午の節句がある。
「まあそうなんだろうが、妹の吉美のひめみこは年中何やかんやとこしらえておられるよ。手仕事がお好きなんだ」
二人の親しさが伺える発言に泉の気持ちはもやもやしたが、永屋王はついてこい、というように手で示し、歩き出した。
ひめみこたちの居所に近づいてくると、何やら楽器を演奏しようとしているらしく調弦の音が聴こえてきた。
「泉は楽器も得意か?」
「得意ではないですが、練習はしています」
「……その口ぶりじゃ、それなりに弾けそうだな」
などとのたまって、にやりと笑う。
「日高のひめみこ! よろしいか?」
永屋王が大声で呼ばわると、例の衝立の向こうから側仕えの女房が現れた。
「これは王――あら、こちらは?」
泉に気づき、不審げに眉を寄せる。
「吉美のひめみこの薬玉で遊んでいるのを庭で見つけてな。なに、家柄も把握しているし、問題はない」
「はあ……」
永屋王は依然腑に落ちない顔をしている女房の横をすり抜け、衝立の向こうに押し入った。泉も慌ててついていく。
そこには目くるめく光景が広がっていた。
飾られた薬玉から漂う、えもいわれぬ甘い香り。
楽箏を奏でながら、
「吉美の、ひめみこさま――」
ひめみこが顔を上げ、あ、という顔をした。
「葛城泉と申します。先程はご無礼を致しました」
言いながら、薬玉を差し出す。
ひめみこは手を止めたが、薬玉に指を伸ばしはしなかった。
「いいわ。それ、あなたにあげる」
泉が
「あら、永屋の新しいお友達? ねえ、一緒に楽器で遊んでいかない?」
少し影のある妹に対し、この姉は光を集めたように明るく美しいひとだった。
「そうら、来た。泉、何を弾く?」
気がつけば、永屋王は
「では、箏を」
泉が楽箏を引き寄せると、永屋は面白がるような表情を浮かべた。
「じゃあ、わたくしが琵琶ね!」
日高のひめみこが快活に笑った。
春の夢は、辺りがすっかり暗くなり、庭で泉を探していた医師が疲れ切って宮殿に戻ってくるまで続いたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます