第五話―⑦ 彼の過去



「ほら、入間くん、お母さんがいないじゃないですか。だから、家事とかやらなくちゃいけなかったみたいで、勉強にまでなかなか身が入らなかったとか」

「──え?」



 お母さんが、いない? え、あれ? だって、さっき……


「あ、あのっ! 晴斗くんのご家族って、その……!」

「お父さんと、二人で暮らしてたみたい。とても仲の良い親子だったらしいわ。あのオドオドまんじゆうが、お父さんの話をする時だけはやたらとじようぜつだったしね」

「うん、本当にお父さんの事が大好きなんだなあって思ってました。なのに、あんな事になって……」


 そこで、二人は黙り込んだ。唇をみ、悲しそうに首を横に振っている。


「な、なんですか! 彼に、何があったんですか!?」

「し、知らなかったの!? あ、え、まず……っ!」


 しまった、というように有森さんが口を覆う。でも、私は追及の手を緩めなかった。


「話してください! 一体、何が……!」


 本当は聞いてはいけない事なのかもしれない。彼が話さない以上、私が知る必要はないとも思う。けど、私は、私は……!


「アイツね、中学二年の時にまた、ちょっとしたイジメにあってさ。階段から落ちて、足をした事があったの。幸い、骨に異常は無かったんだけど、頭も打ってたし、一応検査入院をしようって事になったのね」


 私の様子を見るに見兼ねたか、ありもりさんは観念したように話し始めた。


「それで、あいつのお父さん。職場を早退して急いで病院に向かったらしいわ。でも、あせっちゃったのかしらね、交差点でトラックが飛び出してきた事に気付かず……そのまま、事故で亡くなったの」

「──っ!」


 な、なにそれ……彼は、そんな事はなにも、一言も──



『ま、怒るとやたらと厳しかっ「た」けどさ。でも、俺にとっては大事な父親ですよ』



「あ……」


 そうだ、どうして気付かなかったんだろう。

 彼が、お父さんの事を話す時は、いつも過去形でしやべっていたのに……


いるくん、すごく取り乱しちゃって。自分のせいで、お父さんが死んだ!って暴れて暴れて……なみかわくんが止めても聞かなくて。私達、ろくにお見舞いをする事もできなかったんです」

「そうして、お葬式が終わった後、アイツ、クラスの誰にも黙って、そのまま転校して行っちゃったのよ。波川のご両親が転勤するから、それに便乗したとか聞いたけど……いくらおさなじみだっていっても他人だし、そんな事があるのかって私も信じられなかったわ」


 言葉も無かった。まさか、彼の過去にそんな事があったなんて。


「でもまあ、あんなに元気になったみたいで、安心したわ! 見違えて明るくなったし、あなたのおかげなのかしらね?」

「ええ、本当に良かった! ありがとうございます、あささん!」


 違う。私は、何もしてない。

 そうだ、そればかりか──



『はい、そうです。みんな、とっても仲が良いんですよ』



「あ……っ」




『はい、とっても優しくて面白いお父さんです!』




「ああ……っ」




いるくんのお父さん達は、どんな人なんですか?』




「あああああ……!」




『今朝は、大変だったの。お父さんがお母さんに、まーた叱られて……』

わかさんは、家族の話が本当に好きなんだね』




「わ、私っ、ちがっ! そんな、つもりじゃ──」




『「毎朝毎朝」、感心しちゃうなあ』




「──っ!」


 知らなかったとはいえ、私は、何てことを……!


「あ、 あの! 大丈夫ですか!? 顔色が……」


 私の様子を不審に思ったのか、とおさんがおずおずと尋ねてくる。


「い、いえ。別に……何でも、ありません」

「え、お姉ちゃん!? どうしたのさ! もしかして、かずっちが何か変なことを言ったんじゃ……!」

「わ、わたしは何もしてないわよ! いや、ちょっと、入間のことを話しただけで──」


 ふたに詰め寄られて、ありもりさんが慌てて首を振る。そうだ。彼女はなにも悪くない。

 けれど、私はそれをフォローするどころか……。


「だいじょうぶ、本当に……なんでも、ないの。なんでも──」


 うつむきながら、そう答えるだけで、精一杯だった。

 どくどくと、心臓が、いやな音をたてながら弾む。足もふらつき、喉の奥から吐き気のようなものさえ、せり上がって──


「……え?」


 突然、視界がふさがれた。真っ白な布のようなものが、目と鼻の先で揺れている。


「今日は、お茶はめて帰ろうか? ほら、これで汗を拭いて」


 その声に顔を上げると、いつの間にかはるくんが私のかたわらに立っていた。こちらに向けて差し出されたその手には、真っ白なハンカチが握られている。

 心配そうなその顔を見つめながら、私はこくり、とうなずいた。



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