第四話―⑧ 晴斗くん




「だから、言ってるだろうが! 俺はエロゲーやギャルゲーで、その手のシチュは勉強していると! 一晩で五ゲーム全クリア! 全CG回収は…‥伊達じゃあねえんだよ!」




 なな、なに!? 教室に入るなり、聞き覚えのある大声が、私の耳を貫いた!

 びっくりして、そちらを見ると……


「あ──」


 もはや見慣れたおまんじゆうさんが、クラスメイト達相手に、熱弁を振るっているのが見えた。


「いいか、委員長! エロゲで培った知識をフル活用すれば、きっとあの子にも喜んでもらえるんだ!」

「大した自信じゃない? そんな事言って、どーせ本番じゃガチガチに緊張してキスもできやしないくせに。ねえ、かなみもそう思わない?」


 けらけらと楽しげに笑う女生徒に促され、ポニーテールの少女が肩をすくめた。


「入間は、口ばっか達者だからねえ。いざって時になったら、大いにテンパるっしょ」


かなみ、と呼ばれた少女が気だるげにそう言うと、周囲から同意の声が次々と上がる。

 その中の一人が、入間くんの肩をぽん、とたたいて愉快そうに笑った。


「ま、精々くやるこったな。お前さんの成果とやらを期待してるぜ?」

「ええい、好き勝手言いおってからに! 大体、かず! お前も人の事を言えるのかよ!」

「ふん、俺を甘く見るなよ? ほれ、このLINEを見ろよ。出会い系女子とのコンタクトは取り済みだ! これから合コンなりを開いて可愛かわいい女の子とお近づきになり、そのまま彼氏彼女の関係になるって寸法よ! 完璧な計画!」


 かず、と呼ばれた男子生徒が、実に穴だらけなプロジェクトを語り出す。


「しょ、正直それもドン引きだけどね。大丈夫? あんた、だまされてない?」

「へっ、何とでも言いやがれ! コイツにだって彼女ができたんだ! 俺だって、見てろよ? そん時になって後悔しても遅いんだぞ、委員長! それにいる!」

「ま、精々頑張れや! 万が一くいったら、ダブルデートと洒落しやれむか?」

「ふぅむ、最近の入間は絶好調だねえ」


 かなみさん(?)が感心したようにうなずいている。

 それを聞いて、ますます入間くんはノリにノッていく。


「そりゃ、もちろん! あーんな可愛かわいくて、とーっても可愛い女の子が、俺の彼女なんだぜ? 不景気な顔になるはずないって! ぜーったい、彼女を幸せにしてあげるんだ!」


 顔から火が出そうだ。彼の中では、私は女神か聖女のように祭り上げられているみたい。


「脳内シミュレーションだって、完璧なんだぞ? 恋人たちの夜……雪が舞う木の下で、俺とあささんは、そぉっと優しいキスをするんだ……」

「うっわぁ、キ・モ・イ!」

「そ、そして。キスを重ねるうちに、段々と気持ちも近付いていって……ハァハァ」


 委員長さん(?)のツッコミも意に介さない。今の入間くんは無敵であった。

 どうしよう、この辺りで止めた方が良いのかな。彼の名誉のためにも。

 とりあえず、そーっと入間くんの後方へと回る。しかし、彼は気付いていない。

 それどころか、語りも鼻息も、ドンドンと荒く、力強くなっていく。


「や、やがて、二人は雪の結晶に包まれながら、身も心も一つになるんだよ!」


 え、は、初めてが野外なの? しかも雪の中?

 それはちょっと、ロマンチックを通り越して、寒そうというか、何と言うか……


「ひゃっはあ! 純愛サイコー! とか寝取られは駄目、絶対!」


 しまいにはガッツポーズまで決めながら、入間くんが絶叫する。

 どうしよう、本当にどうしよう。

 救いを求めるようにくん達を見るが、彼らもどうして良いかわからないのだろう。双子そろってガックリと肩を落とし、額に手を当てている。「OH……」というつぶやき声まで聞こえてきた。

 困りに困り果てていると、聞き覚えのある声が耳に届く。


「いやあ、はるくんは今日も通常運転だねえ」

「まったくだ、昨日まであんなに落ち込んでたくせによ」


 ぜんくんとなみかわくんだ!

 そ、そうだ。彼らにコンタクトを取って、何とか穏便に私の存在を伝えよう!

 両手を振って、おーいおーいと訴えかける。すると、ぜんくんがこちらを見た。

 やった! 気付いてくれた!


「おい、しゆん? はるの後ろで手ぇ振ってるのって、確かさあ」

「何だい──って、ああああ!?」


 なみかわくんが顔色を変えた。きようがくに開かれた目は、こっちをピタリと捉えている。


「あー、早く放課後にならないかなあ。あささんに会いたいな! ま、あの子の前じゃとてもこんなエロゲ話はできないけどネ!」


 早く、波川くん、早く! 手遅れになる前に!

 しかし、その願いもむなしく、いるくんの周囲に居る生徒達が私の存在に気付いてしまう。


「あ……」

「え、え……?」


 入間くんをはやし立てていたクラスメイト達が、言葉に詰まって黙り込む。

 そこを中心にして波のように静寂が広がり、瞬時にして教室は沈黙のおりと化した。


「え、何でみんな黙り込むの? ん、後ろ後ろ? あ、何だか嫌な予感がするやつだこれ!」


 ゆっくりと、入間くんが振り返る。当然、その後ろにいるのは私、朝比奈わか

 目と目がバッチリと合い、二人の間に緊張が走った。


「あ……えっと、こ、こんにちは?」

「ギャアアアアアアアア! あああ、朝比奈さん!? な、ここにぃ!」

「い、いえその。入間くんにですね、用事があって、あの……」


 入間くんの悲痛な叫びをきっかけに、教室が再びざわめきを取り戻す。


「──おい、あの子が入間の彼女だったのかよ!」

「馬鹿、なんで早く教えてやんなかったんだ!」

「だ、だって! まさか、あんな可愛かわいい子が入間の彼女だなんて思わないじゃん!?」

「さっきの会話、確実に聞かれてたよね……」

「あたしだったら、首るレベルよ、あれ。自業自得とはいえ、可哀かわいそうに……」


 意外な事に、そのほとんどは入間くんに対する同情の声だった。

 教室の入り口で固まっていたくん達も、天を仰いで嘆息している。


「せ、せっかく持ち上げてやったのに……あの大バカ野郎」

「何というか、期待を裏切らないじんよな。とりあえず、慰めに行くぞ」


 そして、混乱の渦中に居る入間くんの周囲では、先ほどまで囃し立てていた女生徒……委員長さん、だったかな? 達が何とも言えない表情でフォローを試みていた。


「そ、その…‥入間、ガンバ!」

「うん、まあなんだ……今日の掃除当番、代わってやんよ」

「明日の課題、答え見せてやるからさ、強くイキロよ少年」


 彼らの声と表情は、とても優しく、温かさに満ちていた。見てるこっちが、いたたまれないくらいに。


「ヤ〇ルト飲むか?」「チョコもあるぜ?」


 くん達もそこに加わり、乳酸菌飲料とお菓子を薦めている。

 クラスメイト達のありがた迷惑な厚意を受け、いるくんが再び叫び出した。


「その生温かい優しさをやめろぉぉぉ! 有難すぎて、胸にくるんだよ!?」


 生徒達に囲まれ、彼は涙目になりながら抗議している。

 どうしたものかと、私が迷っていると……


「その、ごめんねあささん。騒がしいクラスで、驚いたでしょ?」


 流石さすがに見かねたのか、なみかわくんがこちらに歩み寄ってきてくれた。


「あ、いえ。確かに驚きましたけど、その、えっちな話にどうこうと言うわけじゃ……」


 そうだ、彼の話は、その。確かに自重はして欲しいけど、本当に驚いたのはそんなことじゃあない。私が目を見張ったのは、彼の教室での立ち位置だった。

 男子だけでなく、女子も普通に入間くんと接している。

 ううん、それどころか、随分と親しげな様子で……


「ああ、なるほど。『そっち』か」


 得たり、というように微笑ほほえむと、波川くんは穏やかな口調で話し出す。


「他のクラスでの評判と、ずいぶん違うでしょ。ここでの彼の姿を見て、驚く人も結構いるんだよ。ほら、しょっちゅうあんな言動をしているから。それを嫌う人も多いのさ」


 そう言うと、やや困ったように眉をひそめた。それは、半ば公然となっている、入間くんに関するうわさについてであった。


「実際、うちのクラスでもね。彼を煙たがっている生徒がいないとは言わないよ。万人に好かれるなんて、絶対に無理だから」


 それは、痛い程よくわかる。私自身がそうだから。万人に、どころではなく、クラスでは誰からも好かれてなんかいない。


「でもね、彼とこの半年付き合えば、良い所をわかってくれる人も、それなりに出てくるんだよ。見ての通り、はる君はお節介焼きな上に、明るいからね。彼の近くにいれば、おのずとみんな笑顔になるのさ。彼の事が好きであれ、嫌いであれ……それだけは、間違いないと思うよ」


 それは、何となくわかる気がする。彼と一緒にいると、すごく楽しいのだ。

 余計な気を遣わないで済むし、何より居心地が良い。

 そんなことを思いながら、入間くんを眺めていると……


「おら、までテンパってやがる。さっさと再起動しやがれ」

「──ハッ! いかん、いかん!」


 ぜんくんのツッコミを受け、いるくんがようやく正気に戻ったようだ。


あささん、お見苦しい所をお見せしました! 今日は、どうかしたんですか?」

「あ、はい! そ、そのぅ……」


 ここで引いちゃ駄目! きっとまた雰囲気にまれてしまうにきまっている。

 このままじゃ、せっかく作ったお弁当が無駄になっちゃう!


「──お、お弁当を作ってきたんです」


 昨日の決意を思い出し、私は、ほんの少しだけ勇気を振り絞った。


「一緒に、食べて、くれませんか……?」

「──え」


 私の提案を聞いた入間くんの目から、ほろりと涙が流れ落ち、それは見る間に滝となる。

 え、なにごと?


「う、うわああああ! なんて、なんて良い子なんだ! 俺は幸せ者だよぉぉぉ!」

「じゃ、じゃあ、いいんですね?」

もちろん! たとえ満漢全席を平らげた後でも、朝比奈さんのお弁当なら幾らでも入るし!」


 喜びの声を上げながら入間くんが踊り出す。


「ったく、調子の良いやつだぜ。泣いたカラスがもう笑いやがった」

「まあ、まあ。何はともあれ、彼女に引かれなくて良かったじゃないの。ええと、あなた朝比奈さん、だっけ?」


 あきれたように苦笑する備前くんをなだめると、委員長さんがこちらに歩み寄って来た。


「は、はい!」

「あなた、勇気あるわねぇ。入間の彼女になるなんてさ。こいつの友達ってならともかく、恋人なんてあたしなら絶対にごめんだけどね」

「え、えっと……?」


 どう答えたら良いか迷っていると、入間くんがそこに割り込んできた。


「ええい、余計な事を言うんじゃねーよ! ほ、ほら! 朝比奈さん、行きましょう!」

「あ、はい!」

「全く、本当にやかましい奴」


 いいづかさんが、クスクス笑いながらこちらに手を差し出してきた。


「あたしは、飯塚よう。このクラスの代表委員長なんてやってるわ。まあキャンキャンえる駄犬どものしつけが主なお仕事ね」

「あ、はい。朝比奈わかです……」


 え、握手……よね? でも、私なんかがして、いいのかな。

 迷っていると、彼女の方から私の手を取り、両手で包み込んでくれた。


「朝比奈さん、良かったらまた遊びにきてね。コイツの壮大な滑りっぷりを聞かせて頂戴な」


 いいづかさんの言葉に同調するように、他の生徒達も私に笑顔を向けてくれた。


「そうだぜ、遠慮すんなよ! いるの選んだやつならいつでも大歓迎だぜ」

「そー、そー。このアホに変な事をされたら、言ってみ? 私が速攻でぶっ飛ばしてやっから、安心しな」


 そんな事を言われたのは、初めてだった。どう答えていいか、迷ってしまう。


「……本当に、お節介な連中だよ」


 しみじみと、入間くんがつぶやく。言葉とは裏腹に、その顔はとてもうれしそうだった。


「それじゃ、お弁当を食べに行きますか! おう、みんな! 帰ったらうーんと自慢してやっから、覚えておけよ!」


 教室のあちらこちらから冷やかしの声と、拍手が巻き起こる。

 生徒達の笑顔を背に、私達は教室を出る。去り際、扉の近くに居るくん達に声をかけるのも、忘れない。どうしても、お礼が言いたかったのだ。


「あの、色々とありがとうございました!」

「気にする事はない。結局自爆させたようなもんだしな。これに懲りず、また来てくれると嬉しいぞ」

「そうそう。パンチ一発分の代金を払っただけさ。兄貴の言う通り、あんまり役には立たなかったしな」

「そんな事はありません! 今度、改めてお礼をしますね」


 ぺこり、と頭を下げその場を去る。

 今まで感じた事のない高揚感が、私の心を包み込んでいた。


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