墨汁Aイッテキ!2024八月号
眠れる機械の美女
ミリカさんがうちに来てから、どのくらい経ったか。時間の感覚がマヒしてきた。曲作りが終わったのは厳しい残暑に苦しまされていたころだった。
できあがった後の私は真っ白に燃え尽きていた。
座礁したクジラのように転がって眠ってしまった。
眼が覚めたら、ミリカさんも壁にもたれて眠っていた。
「……寝てた」
私も彼女も充電が切れたのだろうか。
店員によれば、『充電が切れる時の警告を無視すれば、突然、眠ったかのように見える』とのこと。
充電が切れる前に警告があるはずだが、それを無視するとぶつりと動きを止める。
警告、あったっけ? 覚えてない……。
人間と同じサイズの金属の塊だ。どこかに収まってくれるのならまだいいほうだ。
いきなりその場で立ち止まり、充電が完了するまでハンガーラックと化すのは別に珍しい話でもない。
「あら、おはようございます」
起きた私に気付いたのか、彼女が手を振ってくる。
私のパソコンの中でミリカさんはヘッドホンをつけて何かを聞いていた。後で聞いた話だが、彼女は私のパソコンに入り込んで、できあがった曲を聴きこんでいたらしい。
「ここまでお疲れさまでした!」
彼女の手の中に音声ファイルがある。
彼女はにこにこと嬉しそうに笑い、ファイルを大事そうに抱えている。
「そういえば、この曲にはどういう思いがあるんですか?」
「え……?」
「あの……答えたくなかったら別にかまいませんが」
ただの社交辞令として聞いたのだろう。それは分かる。私は黙ってしまった。彼らには『心』がない。
つまり、感情という物が分からない。読み取ることはできても、理解することができない。より正確に言うなら、そういうものだと思い、それ以上深入りはしない。だから、言葉では理解できても、そこに含まれている思いまでは分からない。
彼女は製作者の意図しているところが分からない。
だから、私に解説を求めている。
「……」
これは予想外だった。こういう質問は頼まれてもいないのに自分で語るから意味があると思っていた。
喜んでいいのか、これは。
「まあ、いっか」
歌詞の中身をまとめたノートを開いた。文字が汚いことも手伝って、シャーペンで斜線を引いた部分やそこから伸びている矢印、あちこちに書き加えられている文字で全体的にかなり汚い。何故、あの時の自分はパソコンでやらなかったのだろうか。
手で書くと汚くなることくらい、分かっていたはずだ。あの時の自分を呪いながら、私はノートの文字を追って行った。
墨汁Aイッテキ!2024八月号
https://protozoa.booth.pm/items/6020373
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