墨汁Aイッテキ!2022九月号

渚スコープ


最近、人魚を見たという報告が相次いでいる。

灯台付近の岸辺に腰かけ、海を眺めているらしい。

先日、灯台付近の浜辺で倒れていた男が近隣住民に発見され、病院へ搬送された。

この二つの事件に関連性はないとされているが、ロマンスに憧れる野次馬が後を絶たない。


人魚が男を助け、今も探している。

そんな夢物語がネット上を泳いでいるのだ。

同じ時期に二つの事件が発生しただけのことなのにそこまで熱中できるのはなぜだろう。


ここ最近、幻の人魚を一目見ようと多くの人が駆けつけ、その対応に追われている。

潮煙は異種族と人間が共存する町だ。人魚が現れても何ら不思議ではない。サラリーマンに紛れる吸血鬼やキャバ嬢のふりをしたサキュバス、変なクスリを売りつける魔法使いなど、例を挙げればキリがない。

今更、何を騒いでいるのだろう。


警察は退魔師というバケモノの専門家にすべてをぶん投げた。クソの役に立たない国家公務員の存在意義が分からない。

苛立ちを募らせていると、その音楽は耳に入った。

オルガンを何重にも重ねたような、不思議な旋律だ。


「何してんの、アンタ」


岸辺のテトラポッドに例の人魚が座っていた。

ウェーブのかかったロングヘア、鱗やエラが生えた青白い肌、二つに分かれた尾びれ、目撃情報のあった人魚でまちがいないだろう。

手首には漂流物と思われる赤いリボンをつけていた。


「もしかして、竜宮城にでも連れてってくれるの?」


彼女は不思議そうに首をかしげる。

そういえば、人魚は人間みたいに発音しないんだっけ。

言語を持たない代わりに、クジラのように音を反響させてコミュニケーションをとるんだったか。


『どうかされましたか?』


モモは翻訳アプリを立ち上げ、文章を打ちこむ。

人間の言葉が彼らの音に変換され、会話ができる。

音が鳴るとおそるおそる画面をのぞき込んだ。


『私たちの言葉が分かるのですか? この町に専門家がいると聞いたのです』


なるほど、退魔師を頼ってきたということか。

いくら専門家とはいえ、彼女が偶然見かけた船や嵐の夜に助けた王子様を一緒に探すことはできない。一体、何をさせるつもりだろう。


『これについて、教えてほしいのです』


彼女はモモに瓶を差し出した。中には綺麗に丸められた紙切れが入っていた。

ボトルメールか。確かに、人魚には馴染みのない文化なのかもしれない。


『これは手紙といって、遠く離れた人たちとやり取りするものです』


人魚は瓶を見て、ふむふむとうなずいていた。


『この中に手紙が入っていたのはなぜですか?』


『手紙が破けてしまったら読めなくなってしまいます。

保護するためにこの中に入れたのだと思います』


しばらく黙ってから、不思議そうに声を発した。


『遠く離れた人とやり取りするものなんですよね? なぜ私に渡したのでしょう?』


モモをじっと見つめる。


『その人は細長い何かを手紙にこすりつけていました。

それが終わると、これにしまって私にくれました。その後、倒れこんだんです』


彼女の前で手紙を書き終えた後、ボトルメールを直接手渡したということだろうか。海へ投げずに、そのまま渡した。その意味は何なのだろう。


『何も言わずに海へ沈んだから、仲間だと思ってすぐに追いかけたんです。でも、すごく苦しそうにしていたので浜辺まで連れて行ったら、人間に見つかってしまって……』


人魚は気まずそうに目を逸らした。

浜辺で見つかった例の自殺志願者が脳をちらついた。


『一旦、手紙の中身を確認してもいいですか?

もしかしたら、そこに理由があるのかもしれません』


人魚の視線がボトルメールとモモを何度も行き来する。


『お願いします。確認し終わったら私に読み聞かせてくれませんか? 

私に渡したということは、やり取りしたいということだと思うのです』


モモに瓶を手渡した。他人の手紙を朗読するのか。

奇妙に思いながら、瓶のふたを開け手紙を取り出した。

手紙の内容はただの遺書だった。


自殺しようと考えているが、勇気が出ないでいる。

海辺に通っていたところ、人魚と出会った。

それ以来、彼女と会うために通っており、とうとう自殺する機会を失ってしまった。遺書を書けば自殺できる決意ができると思い、手紙を彼女の前で書いた。

内容はここで終わっている。


「どこまでも勝手なヤツ……」


人魚は何となく不安そうだった。

変な嘘をついてもしょうがない。モモは手紙をそのまま読み上げた。クジラのような鳴き声に変換され、遺書が響き渡る。それを聞いた彼女は、とうとう泣き出してしまった。

「こんなヤツのために泣くことないよ。どうせ、もういないんだしさ」


この言葉も彼女には届いていない。

だから、ちょうどよかった。

彼女は人間の言葉が理解できない。

だから、ちょうどよかった。

ちょうどよかった? ふざけないでよ。

そんなの、自分にとって都合がよかっただけじゃない。


『ごめんなさい、あまりにも悲しくて泣いてしまいました。

そんなことを考えていたなんて、思ってもみなかったから』


独特な声を響かせながら、涙をぬぐう。


『このお手紙にお返事をしたいのですが、代わりに書いてくれませんか?』


「え、アタシが書くの?」


思わず自分を指さしてしまった。


『お願いばかりで本当にごめんなさい。けれど、どうしても伝えたいのです』


『手紙の内容が真実ならば、この人はどこにもいないと思います。返事を書いたところで相手には届かないでしょう。それでも、書くというのですか?』


手紙を一旦預かり、調査をすれば差出人の身元は見つかるだろう。

だが、そうしたところで一体何になる。

自殺した証拠を集めたところで彼女のためにならない。


『それでも構いません。そのために私は来たのです』


人魚は頑として譲らない。

気が済むまで付き合うしかないようだ。

モモはため息をついて、メモ帳を取り出した。


『こんにちは。

人魚の代わりに手紙を書いている者です。

ごめん、正直に言っていい? 

いくら何でも自分勝手すぎじゃない? 

言いたいこと言って、先に死ぬなんてさ。

悲しませるんじゃないかとか、そういうことは思わなかったわけ? 

まあ、何を言ってもしょうがないんだけどさ。

ここから先は人魚の手紙だから好きにして』


挨拶の言葉に続けて、人魚の言葉をつづり始める。

歌うように、言葉を繋げ始める。


『初めまして。

一度も手紙を書いたことがないので変なところがあったらごめんなさい。

あなたの手紙は親切な専門家さんが読み聞かせてくれました。何を言えばいいのか、まったく分かりません。死ぬために海に来ていたとは、思わなかったから。

私と一緒にいるときはいつも楽しそうだったし、あの穏やかな表情が忘れられません。

その悲しみに気づくことができたなら、少しは楽になったのでしょうか?

私はどうすればよかったのでしょう? 

いくら考えても分からないのです。

とにかく、私はあなたと話ができて楽しかったです。

お返事はいりません。また会えたら、嬉しいです』


人魚の手紙は終わった。


『ありがとうございました。これで気分が晴れました。

また何かあったら、ここに来ます。

それでは、さようなら』


彼女は嬉しそうな笑みを見せて、海へ潜っていった。

これで人魚の騒動は落ち着くだろう。


「……どうしたもんかな、これ」


瓶と手紙を抱え、モモは途方に暮れた。

とりあえず、解析班に回すしかないか。人違いだったら大変なことになるわけだし。

人魚が行った方向をなんとなく眺めているとスマホが震えた。


『モモか? 例の男が目を覚ました! 今すぐ戻って来い!』


その報告を聞いてぎょっと目を見開いた。

なんだ、生きてるんじゃない。

彼女はほっと息をついた。この手紙を見て、どんな表情をするだろう。


『了解、今から行く』


それだけ言って、モモは病院へ向かった。





墨汁Aイッテキ!2022九月号

https://protozoa.booth.pm/items/4196608


クロスフォリオ

https://xfolio.jp/portfolio/debrisbottle00/works/694379

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